第28話 届かぬ思い、止まる手
文字数 3,032文字
7月18日午前10時半。
諸君も知っておるであろう。
京都アニメーション第1スタジオに男が侵入して起こした、悲惨な放火事件が発生した時刻なり。
うむ。ワタクシは実は京都アニメーションの作品をそれほどよく知っておるとはいい難い。せいぜい「響けユーフォニアム」や「らきすた」や「ハルヒ」を少し見た程度であるのだ。
総裁、アニメ見る習慣ないですもんね。だからアニメネタ毎回古いし。
さふなり。しかし、このことの前に、ワタクシはとてもつらい事件のニュースに深くココロを痛めておった。
違う事件ではある。しかし、ワタクシのなかではつながっておるのだ。
どちらも、素晴らしい創作と創作者を、驚くべき野蛮で破壊し尽くした、とんでもなくおぞましい事件であるのだ。
そもそもこういうことをしてしまう心がそもそも理解できないですわ。
京アニの事件の動機がもし報道にある「パクられた」であるとしても。
作品をパクられたとしても、それで作品を作る人を攻撃する理由になるとは思えません。
作品を本気で愛しているのなら、たとえ何があってもそれを壊す気にはなれないものだと思いますわ。
結局作品を愛してるんじゃなくて、作品を成功の道具としてしか見てないよね。
それでいい作品が作れるとは思えない。
作品を愛してたって、それが伝わらないかも知れないのに。
ものごとを愛していく。この2つはそういう創作の心が、そのすぐれた表現にもかかわらず、彼ら犯人には一切伝わらなかったのだ。
そうなのだろうか。彼らをただ野蛮と罵って隔離して終わりなのだろうか。隔離しようにもそれは社会をひたすら細かく分断していく。それは我々の創作の望んだ社会なのか。望んだ未来なのか?
ならば、創作をするイミとは何であろうか? なんのために創作を我々はしておるのだろうか?
意味なんかないよー。イミわかんなくても作りたいからやっちゃってるんだよー。それが創作の業という意味だよー。
ならば、我々の創作とは、彼奴らの罪と、その深い本質では、おなじものなのではないか。
たしかにわたくしたちの創作の大先輩は「頑なに信じて罪を犯せ」と出版創作について語りましたわ。
しかしそれは比喩表現としての「罪」ですわ。
しかしそのことで、ワタクシは2連続のショックですっかり痛んでしまっておった。
斯様な所業をしてしまう人間を、不条理が世の常とはいえ、すっかり信じられなくなっておった。
それゆえ、工作は停滞し始めておったのだ。
いくら不条理の中にいるとはいえ、人間は不条理に耐えるには限界があるのだ。それもまた人間の性質なり。
辛いですね……たしかに。信じてきた世界がここから次々と崩れていってしまいそうだ。
どうしてこうのでしょうね。9・11テロ、東日本大震災、そして2つのこの事件。
どうしてわたくしたちは常に何かに怯えて暮らさざるを得ない方向に追い込まれていくのでしょうか。
そうかもしれないけど、だからどうしたらいいんだろう。
斯様な野蛮な暴力には、なにをしても無駄なのかも知れぬ。防ぐことは実際には無理であるからの。
そんななか、JAM出展リハーサルの準備をしておった。場所はアミュあつぎ、本厚木駅前のファッションビルに入っている広域公民館の一室である。
まさかとは思うけど、警戒しちゃいますね。そんなことを知っていると。
斯様な無法で野蛮な人間がそう何人もいてたまるかと思う。しかし、それを否定するものはなにもない。
想像を超えた野蛮には抗し得ないのだ。
かといってそう屈しないと勇気を出しても無意味かも知れぬ。
とはいえ屈してしまったらそれこそ暗闇しかないのだ。
わかってはいる。
しかしどうにもならぬ。
そうですよね……。考えても考えても答えは出ないし、むしろこう考えることすら意味のないことなのかも。
野蛮といくら罵ったところで、それがなんになるのか。
対話のできない相手をただ罵るだけでなんのイミがあるのか。
世の中の分断をさらに悪化させるだけではないか。
そしてこのつらい日が、参議院選挙の日であった。
世の中は選挙戦で、ますます無思慮に見える分断で引き裂かれていっていた。
ただの嘘と罵倒とレッテル貼りばかりの政界ですよね。
政治とはそういうものでなかったはず。
もっとこらえ、待ち、配慮し、長期の視点で対立する利害を調整するのも政治であったはず。
それがどうだ。あるのは対立を煽り、結果をすぐにと求め、レッテルを貼り相手のせいにして対話を拒否する政治だ。
でも総裁、わたしたちには選挙権ないですよ。非実在女子高校生だから。
とはいえ著者をして投票せしむことはできる。そして著者とともに考えることもできる。
ワタクシは深く考え込み、沈み込んでいったのだ。そして創作の手は、止まってしまっておった。
そういえば、アニメやそういう文化に理解を示している有名な候補がいましたね。オタクを票田にする、って。
彼はこの事件に対しても慎重な反応をしましたわ。そして以前から利害調整や根回しの重要性も言ってました。見るべきところはあると思いますわ。
しかし、それがどうなったかの結果はリハーサルのあとに出ることになっておった。
すごく精神的にパーシャルな状態を強いられますね……。
それでもリハーサルをせねばならぬ。JAM出展もせねばならぬ。多くの人と約束したことであるからの。
ある意味、その約束が、ワタクシの弱った心を奈落の底に落ちるのを最後につなぎとめておったのかも知れぬ。
さふであるのだ。いくら普段から「テツ道の旗は降ろさぬ!」と言っているワタクシでも、これはキツかった……。
もともと「才能は金にならないが金で才能は買える」という現実にも屈していくようで辛かった。
また創作に使っているソフトの払いも無理になり、翼をもがれるような苦しみも味わっていた。
後にそのことを更に思い知らされる。が、
だが、やはりワタクシはまた「乙女のたしなみ・テツ道」の旗を掲げることにした。
リハーサルに来てくれるtomyさんや他のみんなのことを思うと、下げるわけには行かぬ。
仲間というものはそういうときはありがたいのだ。「天下吾一人」と覚悟していても、見落としにきづかせてくれる仲間とはありがたいものなのだ。
展示においてのプランは立てておったのだが、多くの事に気づけた。
そして、それは少し力になってくれた。
うむ。しかし、にもかかわらず、この物語はつづくのだ。
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