第45話 青年期の終り
文字数 2,877文字
そして帰りの便のJITBOXを受け取って、2019年のJAM参戦作戦は全て終了した。
終わったのだ。
終わったのだ、って……著者さん、無事に終わって喜んでいいはずなのに、なんだか落ち込んでますね。
おかしいなあ。冷静に考えてもこれは立派な成功ですよ。それも去年一昨年よりも上手くいったのに。ヒドイッ。
我が著者は思い知らされたのだ。自分の限界と、それが予想よりもはるかに低いことを。
上手くいったのはたまたまのところと、助けてもらってなんとかしたところばかりであると。
加齢による衰えもあるとしても、ちゃんとできたじゃないですか。
著者は今更気づいたのだ。
自分が特別ではない、どうでもいいどこにでもいる、なにも人より優れたところのない、ちょっと変なだけの平凡なおっさんであることを。
それって認知歪んでると思うけどなあ……。いくらなんでも比較しすぎですよ。
比較して幸せになれる人はどこにもいないと思いますわ。もし比較するとしたら、それは他人とではなく過去の自分とだけですわ。
自分の過去と比べても、体や記憶力の衰えが目につくのだ。加齢というものは寂しいものだ。できたことがどんどんできなくなっていく。
不安定すぎますよ……精神的に。それもますますひどくなってませんか?
我が著者は46年間いろんなことをやってきて、自分にはその結果なにもないと思うておるようだ。
そんな。ここまでいろんなお褒めの言葉をいただいたり賞だって受賞してるのに。
それでも書いた小説も絵も売れず、読まれず、お金にならず、また仕事探ししていてまともに評価の対象になる資格や職歴もないことを思い知らされたのだ。
それでもキ号作戦で厳しい選抜の中から選ばれて研修も終わり、今ちゃんと稼働として夜勤もしてるじゃないですか。
そのほかはなにもない、と著者は思い込んでおる。その中で若い仲間が目覚しく活躍していっている中で、自分はもう終わりだ、終わるべきだ、とまで落ち込んでいる。
それは子供過ぎますよ。大人になることってそういう未来への全能感を失っても、責任や使命のために堪えて生きることだと思いますよ。
今幼い子が無邪気にいろんなことに挑戦してるの見て、それに過去の自分を重ねて寂しくなるのは仕方ないよー。もう子供じゃないんだから、今はそういう子のためにがんばる側だよー。
さふなり。我が著者はようやく大人となりつつあるのだ。平凡な、どこにでもいるおっさんであることを受け入れることにようやくなった。遅すぎることだが。
たしかに著者さん、自分が「何か」になれるって内心、信じてましたもんね。でもその結果、なりたかった鉄道デザイナーにも鉄道模型モデラーにも小説家にも結局はなれなかった。結果ひたすら中途半端に色々かじっただけのただのおっさんですもんね。ヒドイッ。
著者さん、何者かにはなれなかったけど、大人にはなったんだよ。それはそれで受け入れるしかないよー。
そのおっさんとしてヤング鉄くんたちのためにやることはあると思う。結婚も育児ももうできる機会はないけど、それはそれでの役割と幸せをやるしかないんだと思う。
たしかにどこを見ても今の世の中は絶望的で、その解決に著者さんなんの寄与もできないし、それでものすごい疎外感に苛まれているのもわかりますわ。自分がここにいる意味が全くない、むしろメーワクばかりかけていて、今すぐにでもいなくなってしまいたいと思っているのも。
それでも、信じてくれる人がこれだけいるんだから、無責任なことはしちゃいけないわ。苦しいのはわかるけど、その苦しさは堪えなくてはならないもの。
うむ、著者もこう認識して、ただのちょっと変なだけのおっさんとして、我ら鉄研や作品のキャラクターとともに、改めて邁進してゆくしかない。覚悟を決めよ、ということである。
著者さん、それでもまだこういう活動、これから続けてくんですよね!
わからぬ。所詮他人からは物好きでやってるとしか思われてはおらぬだろうからの。
そう言いながら、著者さん、お金貯めて「鉄研でいず!」のボイスドラマやろう、って言ってましたよ? とあるつてで知った声優さんに総裁たちの声アテてもらって。
とはいえ、それが何かになるわけでもなかろう。もう期待しても虚しいだけだ。
でも2021年JAMに向けてがんばってるじゃないですか。四十八瀬川橋梁モジュールをはじめとして酒匂川とか小田急線の橋を作っていく、って!
でも資金難でも楽しいことはあるじゃないですか。冬には京都四国遠征にもいけたし。
希望はないかもしれませんが、それでも本を出し続けてこれていましたわ。
頓挫してるって言いながら、この酒匂川鉄橋モジュールだって少しずつ進んでますよ。
絵も頑張って描いているじゃないですか。わたくしはちょっと恥ずかしいのですが……。
私たちと楽しいクリスマスだって過ごせたじゃないですかー。私たち非実在高校生だけど、それでも楽しかったなあ。
さふなり。大それた希望はなくとも、その場その場でちゃんと素敵なことはあるのだ。そのことに気づいて生きてゆくのもまた大人ということであろうの。
そうですわ。青年期のようなことはできなくても、壮年期としてなすべきことも、為せることもありますわよ。
なんだか著者のことでここまでページを使ってしもうたぞよ。これも著者がよくない。著者が。
でも、もう著者いじめもほどほどにしようよー。毎回著者さんの爆ウツのたびにぼくたちが宥めるのめんどくさいもんー。
うむ。そうかもしれん。
とはいえ、これはシメに困ったぞよ。
いいじゃないですか。著者さんがこうしてまた1年頑張って、精神的に成長して青年期の終わりを迎えられたんですから。
ここからまた著者さんと私たちの冒険がまた始まるんですよ!
またいろんな失敗や遠回りや仲違いをして、その度に這い上がっていくんです。
ほら、こんなことしてるうちに2020年になっちゃいましたよ。
うむ。ボヤボヤしているとまた時間を無為に浪費してしまうの。
浪費してもいいのです。それでも生きているのです。その意味はその時にわからなくとも、きっと必ずあるのですわ。
総裁の胸に、正月の阿字ヶ浦で見た、太平洋に向かっていって途切れる線路が思い起こされた。
その風景で吹いていた穏やかな海風が、また総裁の胸の中を抜けていく。
そう、終わりなのだ。
またここから始まるかもしれないけれど、終わりなのだ。
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