第62話 家族との別れと新たな命(3)

文字数 3,810文字

「人は誰しも、欲深さや心の弱さを持っている。そこに巧みにつけ込んでくるのが、邪剣の恐ろしさだ。まして、悪霊の騎士は良心というものを一切持ち合わせてはいない。奴に打ち勝つには騎士となり、修行を重ねなければならない」
 恐るべき男だが、何故か自分が倒さなければならないという使命感が湧いてくるのが不思議だ。
「ディーン、この剣を持っていくのだ」
 父親は牛革の袋に厳重に梱包された聖剣アルンハートを差し出した。
「聖剣アルンハート。この世の闇を照らし、魔を滅すると伝わる剣だ。フーマン王がアジェンスト帝国に投降されたとき、正統なテネアの統治者が現われるまで預かるよう、我がロード家に託されたものだ。柄に彫られた二匹の絡み合う蛇は、テネア王の家紋だ」
「俺が持っていてもいいの」
 うむ、とトラルは頷いた。ディーンはトラルから剣を受け取る。そして袋から取り出し柄に手を掛ける。
 トラルが、うむと頷くのを確認すると、ディーンは厳かに剣を抜いた。すると、不思議なことに、あたり一面を皆照らす程、神々しいばかりの光が剣から放たれた。
 この剣こそが幻の剣。刃は決して欠けることがなく、斬っても錆びるどころか、ますます照り輝く。体に突き抜けるような衝撃が走った。
 出会うべくしてこの剣と出会ったような不思議な気持ちを感じる。その様子を見て、トラルは納得したように頷く。
「テネアは今、ルーマニデア様が病に倒れ、御息女のマークフレアー様が治めておられる。この剣をお見せすればお前の素性にも納得されよう。お前はテネア騎兵団に入りマークフレアー様にお仕えするのだ」
「分かったよ。父さん」
「うむ。サルフルム様には、テネア騎兵団の入団試験を受けさせて頂きたいとの文を送っている。テネアに着いたなら、サルフルム様を頼るが良い」
「分かった」
 マチスタの居酒屋で働く少女カヲルを人攫いから救ったとき、鬼のサルフルムと異名を取る老兵はディーンに騎士道の一端を見せてくれた。
 色々、教わらなければならない尊敬すべき人だ。
 あのとき、サルフルムは「ディーン、お前ならばマークフレアー様も気にいるかも知れん。あの方はテネアのため、若く伸びゆく力を所望している。もし、騎士になる気持ちがあるのなら、わしを頼って来るが良い」と言っていた。
 マークフレアーとはいかなる人物なのだろうか。
「ディーン、出来ることならお前には危険な荊棘の道を歩むことなく、静かに暮らす人生を歩んで欲しかった。我々家族とずっと、このオリブラで暮らして欲しいと思っていた気持ちは本当だ」
「父さん」
「だが、お前は騎士になる宿命なのだろう。マキナルとの出会いと決闘、また、サルフルム様との出会いも偶然ではないのだろう。お前を騎士に誘わんとする神の思し召しかも知れん。それは抗おうとしても止められなかっただろう」
 そうかもしれない。最早、迷いはない。
「それと、お前の実の父親もテネア国の騎士だったのだ」
 ディーンは静かに聞いた。
 父さんの親友であったという実の父親は故郷を蹂躙した敵に復讐するため、オリブラを出て遠い地で死んだと聞いていた。
 テネアで死んだということなのだろうか。それ以上トラルは何も言わなかった。
 ただ、「お前の実の父親は悪霊の騎士にとって危険人物だった男だ。またテネア騎兵団にとってもある意味好ましくない人物といえる。お前と私が血の繋がらない親子だと知っているのは、家族の他は限られた人間しかいない。しばらくは明かさない方が良いだろう」と言った。
 実の父親は一体どんな人物だったのだろうか。優しく力強い人だったとは聞いた。悪霊の騎士と戦って死んだのだろうか。
 しかも、テネア騎兵団にとっても好ましくない人物とは、一体どういうことなのか。
「父さんの親友だった男だ。熱い男ではあったが決して人の道に外れたことをする男ではない。心配は要らない」
 ディーンの不安を見透かしたようにトラルが言う。
「それと、ミラがお前を待っている。ミラの部屋に行ってみるといい」
「え、だけど、ミラ姉さんの体調は大丈夫なの」
「今は落ち着いている。短い時間であれば心配はいらない」
「分かった」うむとトラルは頷いた。

 家に戻ったディーンは、ミラの部屋の扉をノックした。ランプの灯りだろう。薄明かりが漏れている。どうぞ、と声がしたので、扉をそっと開ける。
「ディーン?」
「うん、俺だよ。体は大丈夫なの、ミラ姉さん」
「大丈夫よ。心配掛けてごめんね」
 ランプの薄明かりの中、ベッドに横たわるミラは窶れて見えた。
 しかし、ユラユラと揺れる灯りに照らされた茶色がかった金髪は光り輝き、一層美しく見える。
 ミラは上半身を起こし、ディーンを迎えた。
「あ、無理しないで、ミラ姉さん。寝たままでいいよ」
「ありがと、ディーン。でも大丈夫よ」
 ディーンはベッドの傍らにある小さな椅子に座った。懐かしい。ディーンが初めて作った木造の椅子だった。母のために作ったものだったが、大人が座るには小さすぎた。その時、私が貰ってもいい、とミラに言われて、あげたものだ。
「いよいよ、明日、旅立つのね。準備は出来たの」「うん」
「そう。森のお墓には行って来てくれた」
「行ってきたよ。花も手向けてきた」
 ディーンを産んですぐに亡くなったという実の母親の墓標に祈りを捧げたのは今日の昼間のことだ。
 どんな人だったのだろう。もし今も生きていたら、僕は母親と二人で暮らしていたのだろうか。
「とても優しい人だった。あんなにも優しい人を私は見たことがないわ。そしてあなたを命懸けで産んでくれた、とても強い人。私達家族にとっても大事な人」
 うんと頷くと、それ以上ディーンは何も聞かなかった。
「姉さんには本当に感謝している。ありがとう」
 ミラはゆっくりと目を瞑り、静かに頷く。
 マキナルとの決闘前日に、ミラと過ごした衝撃的な夜のことを口に出すのは憚れた。今でも、あれは夢だったのではないかと思える。
 しかし、どうしても非情になれないディーンの弱さ、迷いを解き放つためミラは導いてくれたのだ。
 それをきっかけに騎士になる覚悟が出来たし、本当の見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)に開眼することも出来た。そう思うと感謝してもしきれない。
 しかし、血の繋がりが無いとはいえ、姉であるミラと明かしたあの夜の罪悪感はどうしても拭えない。
「一人前の騎士になれたら、オリブラに帰ってくるよ」
 ううん、とミラは微笑みながら首を振る。
「ディーンには、もっと大きな使命が待っている。そんな気がするの。きっと、あなたはオリブラには収まらない大きな人になるわ」
「俺はここが好きだよ。父さん、母さん、ミラ姉さん、ノエル兄さん、ジュン、家族みんなが暮らす、俺の故郷だ。きっと、戻ってくるよ」
「そうね。ディーンが戻って来てくれたら、私も嬉しいわ。けれど、騎士になったら、私達家族の為だけではなく、みんなの幸せの為に、その力を使ってほしいの。あなたなら、きっと出来るわ」
 姉さんはいつも、家族はおろか村人の為に自分を犠牲にして尽くしてきた。そういう人間になって欲しいということだろう。
「分かったよ、ミラ姉さん。でも、ミラ姉さんはどうして、そんなに他人のために尽くすの。その時は感謝してくれるかも知れないけど、すぐに忘れてしまうじゃないか。こちらが困った時には、助けてくれないし、それどころか、ひどいことを言ったりするじゃないか。なのに、どうして」
「ディーン、私は感謝して欲しいと思って人を助けたことはないわ。困っている人を、ほってはおけないだけ。この世界は一人だけでは生きていけない。助け合って生きていかなければならないわ。世界中の人々が幸せにならない限り、本当の幸せは誰にも来ないと思うの」
 マチスタで同じようなことを聞いたことがある。「我々家族だけが幸せになっても、それは本当の幸せではない。皆が等しく幸せにならねばならん」と父さんが言っていたことを思い出す。
 言っていることは分かるが、では、どうすればいいのかは、まだ分からない。
「難しく考えないで、出来ることからすればいいのよ。ディーンの力をちょっとだけ、みんなに分けてあげればいいの」
「分かったよ、ミラ姉さん」
 そう言うと、ミラは優しく微笑んでくれた。
「それと、一つだけ約束して。どんなに長い時が経っていてもいい。どんな姿になっていてもいい。必ず生きて帰ってきて。どんなことがあっても、死んでは駄目、必ず生きて帰ってきて」
 いつもどんな時も見守ってくれたミラには感謝しかない。懸命な目で見つめる姉を悲しませることだけはしない。ディーンは強く決心した。
「分かったよ。約束する。必ず生きて帰ってくるよ」
 うん、とミラは安堵した表情を浮かべた。
「最後に一つだけお願いがあるの。あなたを抱き締めさせて」と優しく見つめながら言う。
 ディーンはうん、と頷くと、上半身を起こしてベッドに座るミラに体を寄せる。
 華奢な腕で、優しく包み込まれる様に背中を抱かれる。ディーンもミラの背中に腕を回す。柔らかく暖かな安心感に包み込まれ、改めてミラの深い愛情を感じる。お互いに慈しむような抱擁がしばらく続いた。
「明日は早いんでしょう。もう休んだ方がいいわ」
「分かったよ。ミラ姉さんも早く体が良くなるよう、ゆっくり休んでね」
「うん。ありがとう、ディーン」
 ミラが横になるのを見届けてから、ディーンは部屋を出た。
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