第23話 マチスタの少女(2)

文字数 2,873文字

 少し歩くと10軒ほど小さな店が立ち並んでいる界隈がある。何人かの男達が店に出入りしているのが見える。ここは所謂、色街と呼ばれる一角だった。先程の場末の酒場に輪を掛けたように妖しげでどこか哀愁を帯びた雰囲気が漂っている。
 ノエルはその中の一軒を覗いた。店の中には3卓のテーブルがあったが客は誰もいない。
「?!」
 奥から黒いフードを被った老婆が出てきた。
「ヒヒヒ、誰かお探しかい」
 顔中皺くちゃで腰が曲がっている。こんなに醜い老婆をこれまで見たことがない。まるで魔女のようだった。
「ああ、エリアンちゃんはいるかい」
「んん、エリアン?はてな。ああ、あの娘はもういないよ。テネアにいっちまったよ。ヒヒヒ」
「何だ、いないのかよ」ノエルはがっかりした様子だった。
「残念だったね。でも他にもいい娘がいるよ。どうだい。ヒヒヒ」
 あまりの老婆の不気味さにディーンはすぐに店を出たくなった。
「おや、可愛い坊やもいるじゃないか。今、ちょうど二人いい娘がいるんだ。遊んでいかないかい。ヒヒヒ」
「どうせ年増婆アだろ。エリアンちゃんがいないんじゃ止めとくぜ」
「そんなことはないよ。確かにエリアンほど若くはないが、いい娘だよ。どうだい?ヒヒヒ」
「いいよ、いいよ。今日は遠慮しとくぜ」
 ノエルはヒラヒラと右手を振った。
「そうかい、それは残念だね。けど、また来ておくれ。次は若い娘もいるかもしれないからさ。坊やも来ておくれね。ヒヒヒ」
 二人は店を出た。お目当ての娘がおらず、ノエルは興醒めしたようだった。
 老婆の不気味さだけが印象に残った。ノエルは何回か遊びに来たことがあるようだが、ディーン自身はまだ女を抱いた経験はない。初めては好きな女性と体験したいと思ってはいるが、もし美しい女性に誘惑されたら耐えられる自信はなかった。
「兄さん、帰ろうぜ」
「そうだな。けど折角来たからもう一軒覗いて行くぜ。お前はどうする」
「俺は帰るよ」
 そうか、とノエルはそれ以上引き止めなかった。荒っぽい連中に絡まれそうで一人で帰るのは気が引けたが、いざとなれば剣がある。二、三人が相手でも負けない自信はあった。
 先程の酒場の前に来た。相変わらず男達で賑わっている。酒を呑むのがそんなに楽しいものなのか、と思いながら、ディーンはそそくさと通り過ぎた。
 宿に戻るとトラルが燭台の灯りで書物を読んでいた。
「父さん、帰ったよ」
「ディーンか、ノエルはどうした」
「兄さんはもう一軒酒場を回るってさ」
 さすがに売春宿を巡っているとは言えない。
「そうか。あいつも山の中の暮らしに飽きてきている。少し息抜きも必要だろう」
「俺は山の中の暮らしが好きだよ」
「フフ、そうか」
「だってさ。父さん、母さんがいるし、ノエル兄さん、ジュンもいる。それにミラ姉さんも帰ってきたし。これ以上望むことはないよ」
 ディーンは粗末なベッドの上に寝転がった。家族の温かみは居心地良いものだった。
「ディーン、外の世界を見てみたいとは思わんか」
 父に聞かれ、暫し天井を見上げた。
「そりゃあ、見てみたいとは思うよ。けど、木こり以外に成れるものなんてないよ」
「世の中の仕事に貴賤はないが、人には持って生まれた宿命というものがある。一生掛けてやり遂げねばならない仕事がある」
「それが木こりだと言うんだろ」
 トラルは書物をパタンと畳んだ。
「ディーン、父さんはお前に木こりになってほしいと思ってはいるが、無理強いをするつもりはない。お前が望むならば、オリブラを出て外の世界で生きる選択もあろう。ただし、その時はお前の持てる力と知恵で為すべきことを果たさねばならん」
「俺が持っている力と知恵?」
 自分の力とは何だろう、剣術は自信がある。近頃では太い木を5,6本まとめて斬ることもできるようになっている。実戦経験はないが誰が相手であろうと負ける気はしない。
 知恵は父さんが与えてくれた書物で学んだ。マチスタの裕福な家の子供たちは学校という所に通い勉学を習うという。一度偶然その教科書というものを覗いてみたことがあるが、トラルが与えてくれた書物よりはるかに簡単だった。
 そういえば父さんは昔、騎兵隊員だったという。父さんは俺のことを騎士にしたいのだろうか。
「ねえ父さん。騎士ってどんな人たちなの」
「ん、急にどうした」
「父さんは昔、騎兵隊にいたんだろう」
「誰から聞いた」
 トラルにジロっと見られ、思わずたじろぐ。
「村の人たちが噂しているのを聞いたことがあるんだ」
「そうか」
 トラルは立ち上がり窓の外に目をやった。外はすでに暗闇だが、遠くを見るような視線だった。
「私の知っている騎士と呼ばれる者達は鉄のように固い信念を持った者達だ」
「信念?」
「ああ、そうだ。信念を曲げるくらいなら死を選ぶ。そんな者達だ」
「死んでも大事な信念ってあるのかい」
 そんなものがあるとは到底思えなかった。
「ディーン、お前が今一番大事にしているものは何だ」
「一番大事なもの?」
「そうだ」
 改まって聞かれると、すぐに思いつかない。何だろう。自分の命が一番大事なものではないのか。しかし、そんな当たり前のことを聞いているのではないような気がした。
 お金か、いや、馬も大事だ。馬がいないと木も運べない。こうしてマチスタの市場に来ることもできない。いや待てよ。そもそも家族の生活の糧である木や森は大事だ。でも、それはなんの為だ。
 ああ、家族のためだ。父さんや母さんは家族のために辛い仕事をしたり、食事を作ったりしてくれているんだ。きっと、父さんは家族を守るためなら、命も投げ捨てるに違いない。家族こそ自分の命を掛けてでも守るべきものだ。
「俺が一番大事なのは家族だよ」
「ディーン、そのとおりだ」
 トラルはニッコリと微笑んだ。
「私の様に木こりで家族の生活を守ることも大事だが、この世界が良くなければ、いくら頑張っても幸せにはなれん」
「え、どういうこと」
「我々家族だけが幸せになっても、それは本当の幸せではない。皆が等しく幸せにならねばならん」
 難しい話だった。面食らった様な顔のディーンにトラルは笑った。
「少し大げさすぎたか。だがそれは本当のことだ。お前もそのうちに分かる」
「つまり王になって、いい国を作れってことかい」
 トラルは、ほう、という顔をした。
「その通りだ。よく分かったな」
「ちぇ、からかって。俺が王になれる訳ないだろう」ディーンは大きなあくびをした。
「もう寝るよ」
「そうした方がいい。明日の朝は早いぞ」
 トラルは再び書物を広げた。窓の外でホーホーとフクロウが鳴いている。
「だがな、ディーン。騎士を目指すのは悪くない。騎士道以上に高貴なものはないと私は思っている。己の信じるものを守るために人生を掛けるのは男として本望だぞ」
「仕える王のために犠牲になるのは嫌だよ」
「確かにな。だが世の中には民のために生きる素晴らしい君主もいる。運が良ければ出会えるかもしれん」
 騎士か、父さんはどんな騎士だったのだろう。何故、騎兵隊を辞めたのだろう。考えている内にディーンはウトウトし、いつしか眠りについていた。
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