第3話 悪霊の騎士(2)

文字数 3,129文字

 
 騎兵は次々と敵兵を押し分け城内に侵入してくる。
「乗れ」騎兵は手負いの男に近寄ると声を掛ける。騎兵はもう一頭の馬を用意していた。
 ボロボロとなりながら男は必死で馬に飛び乗る。押し寄せる敵に騎兵は剣を構えて立ちはだかった。
見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)、雷撃斬」
 騎兵が剣を振るうと大きな木製の門扉が真っ二つとなって倒れ、兵達の行く手を遮った。
「城の外まで逃げよ」
 後方から騎兵が叫ぶ声がした。かろうじて二人はテネア城から脱出することに成功した。追っ手を躱すため、タシー川を越え、さらにテネアの町を出て、一気にマクネの森に入る。この森は木々が生い茂り、昼でも薄暗いほど深い。

「全く無理をしおって」
「マスター・ロード、済まぬ」
「詫びは良い、まずは傷の手当じゃ」
 騎兵が兜を脱いだ。50代に差し掛かろうという年代の男だった。彫りが深く年相応の皺が刻まれているが、大きな目は力強かった。
 額の傷はかなり深い。この男でなければ致命傷の一撃であろう。マスター・ロードと呼ばれた男は傷の手当にかなり精通しているようだった。男の頭をグルグルと布で巻き、あっという間に止血させる。
「普通の突きではないな。誰に突かれた」
「悪魔のような男だ。何故か最初は女に見えた」
 それを聞いたマスター・ロードの顔が青ざめる。「あの男か」
「知っているのですか」
「うむ。だが、今はお主の傷の手当が先だ」
 マスター・ロードは男をうつ伏せにさせる。体が思うように動かず男はウウっと唸り声を上げる。今や、右腕は全く動かすことが出来なくなっていた。
「むう、これは」
 背中の傷はかなり深手だった。恐らく脊髄まで達していよう。
「お主、右腕は動くか」
「動きませぬ、先程までは何とか動かすことができたのですが」
「うむ。傷が神経まで達している。よくぞ此処まで逃げることができたものよ」
 あの状況下でも聖剣アルンハートを離さず、剣を振るい続けた男にマスター・ロードは改めて驚愕する。幼い時から体が大きく体力も常人離れの男だった。
 それ以上に驚かされたのは男の精神力である。熱い情熱で決意したことは死んでも遣り遂げる強い意志を持つ男だった。
 しかも、恐ろしく頭が切れ、人々が思いも寄らないことに気付き実行する行動力も凄まじかった。
見た目は猛獣の如き恐ろしい風貌だが、中身は心優しく知恵を持った男に次第に人々の人望も厚くなっていった。
 時期テネア王として申し分ない男だが、今、そのテネア国が存亡の危機を迎えている。
「俺がもう少し早く戻っていれば」
 男は深く後悔していた。
「いや、お主が居ても結果は変わらなかったであろう。むしろテネア王の血筋を残すことが出来たのは不幸中の幸いだった。あの男は尋常ではない。あの男一人に我らは壊滅状態に陥ったのだ」
「まさか、ローラル平原最強の剣、見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)が勝てぬ相手などおらぬはず」
「いや、見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)を持ってしても奴を止めることができなかった。まさか、あの邪剣が蘇っていたとは」
 マスター・ロードは無念の表情を浮かべる。
「邪剣?」
「そうだ。ジュドー流剣術と呼ばれる悪魔の剣だ」
「もしや、テネアに伝わる、あの昔話と関係があるのですか」
 そうかもしれんと、マスター・ロードが頷く。
「人々が平和に浮かれる頃、アデリーの峰々を越えて悪魔がやってくる。悪魔は邪悪な刃を振るい、男も女も老人も赤子も八つ裂きにする」
 男は思い出す。テネアでこの昔話を知らぬ者はいない。夕暮れ遅くまで遊ぶ子供を帰宅させるための方便や、調子に乗り過ぎず決して油断するな、という人生に対する戒めだとばかり思っていた。
 マスター・ロードの話では、その剣は魔王の如き者でないと扱えぬ邪剣の中の邪剣だった。  
 相手の心にある憎しみ、妬み、悲しみ、不安といった負の感情を引き出し、地獄に引摺りこむための剣術だという。その遣い手は恐ろしいほど美しい姿をしているが、狡猾で邪悪なのだという。
「見る者によってその姿が違う。その遣い手の前では、隙を見せてはならぬ。負の感情を読み取られ、地獄に引摺り込まれる」
あの男もそう言っていた。
「奴は何者なのですか。本当に悪魔なのですか」
「悪魔と言っても良い。まさか、今現れるとはな。我らも為す術がなかったのだ」
 マスター・ロードの話に男はクソっと拳を握る。二年前、放浪の旅に出たことが今更ながらに後悔される。
 遠い異国で祖国がアジェンスト帝国に侵攻されていることを知り急いで帰国すると、祖国は帝国に踏みにじられ父であるテネア王フーマンは既に殺されていた。
 圧倒的兵力で攻めるアジェンスト帝国軍に対し、テネア国軍は果敢に戦い、最後は民と共に城に籠もって徹底抗戦したという。
 しかし、食糧や物資の補給がままならない中、時間と共に消耗の度合いを高めていく民を救うため、フーマン王は帝国が持ちかけた停戦交渉に応じ、民に一切手を出さないことを条件に自らが投降することで城を明け渡したのだ。
 ところが、アジェンスト帝国は約束を違い、フーマン王を殺害、圧政により民を虐げはじめた。その中心となったのがあの男だった。
 人々は男を悪霊の騎士と呼び恐れた。
「我々もすぐに帝国に反撃を試みた。だが、あの男の前に為す術はなく、一人また一人と倒れ、残ったのは私を含む数人ばかりの有様だ」
マスター・ロードの表情には悔しさが滲む。
「奴を野放しには出来ません。傷が治ったらすぐに兵を集め、反撃に出ます」
滲む血で額の布が真っ赤に染まる。
「止めておけ」
「何故です」男は立ち上がろうとする。
「傷に障る。今はジッとしておれ」
「ジッとしてなどおれませぬ。我が父を手に掛けたのは奴です。俺の手で必ず復讐せねばならぬ。それに奴はこのテネアに居てはならぬ存在。奴が人々に大きな災いをもたらすのは間違いありませぬぞ」
 手負いの猛獣の眼光が強く猛っている。今すぐにでも城に戻りそうな勢いだ。
「そうか。王を手に掛けたのは、やはり、あの男か。だが、今の我らでは勝てん」
「確かにマスターの云われるとおり、奴と剣を交えてみて分かりました。俺一人では勝てない。奴は普通ではない。だが、マスターのお力をお借りできれば」
 いや、とマスター・ロードは首を横に振った。
「我が腕では、あの男には勝てん」
 男はかなり驚いたようだった。
「そんな馬鹿な。見偽夢想流マスターのあなたより強い剣の遣い手などいないはずだ」
「確かに見偽夢想流はローラル平原最強の剣。ジュドー流に勝てるのは我が流派しかおらぬだろう」
「ならば」いや、とマスター・ロードはもう一度首を横に振った。
「剣の技量の勝負であれば引けを取らぬ。だが、無の心に達しない限り、勝てぬ相手だ」
「マスターはその境地に達しているはずだ」
「私が達しているのは触りの部分よ。それでは、あの男には勝てぬ」
「ですが、このままでは」
「時を待つしかない。あの男とて一人では限界があろう。帝国と渡り合えるだけの軍勢を揃え、対抗するしかない」
「援軍を集めよということですか」
 うむ、とマスター・ロードは頷く。
「だが、ローラル平原の国々はテネア同様、帝国の侵攻でかなりの痛手を受けている。数万もの軍勢を集めるのは容易なことではない」
 男は少し考え込んだ。確かに帝国を追い払うにはかなりの軍勢がいる。だが、どの国に援軍を要請出来るというのか。
 いや、無傷の軍勢を持つ国がある。ローラル平原の東に広がる大国ピネリー王国だ。
 人の住む場所が限られるローラル平原にあって、大河ミネスコ川の恩恵を受け発展した都市ミネロを擁している。ミネロの守備軍だけで数万は常駐しているはずだった。
「ピネリー王国に援軍を要請せよということですか」   
 ウム、とマスター・ロードは頷く。
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