第20話 エムバの王子(3)

文字数 4,198文字

 それからニヶ月ほど経ってヨーヤムサン一味がエムバにやってきた。まだ、エリナとの婚約解消の喪失感から立ち直れないでいた時だった。
 しかし、アルジは思わぬことで眠れない日々を過ごすことになる。闘技場でエムバの戦士と相まみえた女山賊エリン・ドールのことが脳裏に焼き付いて離れないのだ。
 今回、ヨーヤムサンは若い女山賊5人を引き連れてエムバに来ていた。その女山賊達のリーダーがエリン・ドールだった。
 これまでヨーヤムサンがエムバに来るときは単独かもしくは男の手下を引き連れてきていた。女の手下を連れてきたのは初めてである。一体、ヨーヤムサンは何人の手下を従えているのだろう。まさか女の手下までいるとは全く想像していなかった。
 王の間で父レンドに従い、ヨーヤムサン一行を迎えた時、後ろに控えている女達の姿がすぐ目に入った。中でも女達のリーダーと思われる女の容姿は印象的だった。自分より年上に見える。20歳くらいだろうか。
 真っ白な肌、大きく見開かれた青い瞳。まるで人形の様だ。髪型はかなり奇抜で、腰まで伸びた青い髪を小分けに束にして細かく編み込んでいる。また、首筋と目元に蝶の刺青が掘られていた。服で隠れているため見えないが、蝶の刺青は体中に施されているようだった。そして首には翼を模した黒いチョーカーネックレスを着けている。
 ピタッと体に密着した奇抜な出で立ちが彼女のスタイルの良さを際立たせていた。エムバ族の女達も男達と同様、体格に優れている者が多いが、背が高く、しなやかな肢体は全く迫力負けしていない。
 まるで造り物のような体だ。こんな女が外の世界には存在するのか。アルジは思わず見惚れてしまっていた。
「フフ、お前のことが気になるようだぞ。エリン・ドール」
 ヨーヤムサンはアルジの視線に気付いた。
「お目に適って光栄ね。この子は誰」
 エリン・ドールは無感情のまま、ほほ笑む。それが逆に妖艶でアルジは顔を真っ赤にして俯いた。
「これは済まぬ。紹介するのが遅れたな。ここにいるのは我が息子アルジだ。アルジ、挨拶をせよ」
「アルジです」
 オドオドと挨拶する少年はまともに視線を合わせることが出来ない。
「初めまして、エリン・ドールよ。あなた、年は幾つ」
「16です」
「そう。若いのね」
 お前だって若いじゃないか。そう思ったが口に出すことができない。
 エリン・ドールは21歳の若さで山賊ヨーヤムサン一味の四傑に数えられていた。その容姿から、青い瞳の人形、青い瞳のお嬢ちゃんと称される。仲間からは、お嬢と呼ばれることが多い。
 だが実態は10代から20代の女ばかりで構成される40人もの荒くれ者達のリーダーだ。ヨーヤムサンには3年前から付き従っている。
「アルジよ。女だからとか、若いからとか、人を見た目で判断するのは危険だぞ。戦場では死に直結する」 
 ヨーヤムサンが諭す。それは父レンドからも何度も聞いていた。偏見を持つな。事実だけを拠り所にしろと。だが、男の戦士達には敵う訳がないと思う。いくら背の高い女とはいえ体格では劣る。
 けれど男である僕がエリン・ドールに勝つことなんて出来やしないだろう。エムバ族にしては珍しく身長が160cmと低く、華奢な体つきのアルジは自虐的に、そう思う。
「エリン・ドールは鞭捌きの達人だ。並の男が相手をすれば一瞬で体が切り刻まれる」
「鞭、まさかスナイフルの遣い手か」
 珍しくレンドが興奮する。
「ほう。さすがに知っているようだな」
「うむ。エミリアの姫がスナイフルの遣い手だった」 
 レンドは、アジェンスト帝国との戦いで散った亡き妻のことを思い出していた。
「スナイフルは幻の魔獣ムバンドの革で作られていると聞いた。エミリア族しか作り方は知らぬはず。まさかエミリア族の出身なのか。いや、彼らは褐色の肌を持つのが特徴。白い肌の人間はいない」
「エリン・ドールはエミリア族とアジェン人とのハーフなのだ」
 以前、エミリア族がアジェンスト帝国の侵攻を受けた時、奴隷として捉えられたエミリア族の女戦士とアジェンスト帝国の貴族との間に生まれた女性だった。
「久しぶりにスナイフルの妙技を見てみたいものだ」「お望みでしたら、ご覧に入れましょうか」
 エリン・ドールがニコッとほほ笑むが、機械的な笑みは感情の無い人形の様だ。
「うむ。是非見せて欲しい。折角だ。我がエムバの戦士と立ち会った方が良かろう。ラリマーを呼べ」
 
 すぐにやってきたラリマーがレンドの前に膝まづく。エムバ族らしく背が高く筋骨隆々の18歳の男は先月大人達の仲間入りをし、正式に戦士になったばかりだった。
「おお、これは王子ではありませんか。お加減はいかがですかな。闘技場に全く出てこられないものですから心配しておりましたぞ。私も正式にエムバの戦士となりました。半年後にはエリナと結婚する予定でございます。結婚式には是非、王子にも御出席を賜りたいと願っております」
 ラリマーはアルジの姿を認めるとニヤニヤしながら挨拶をした。
 エリナとの婚約解消を知って以来、闘技場には全く通っていない。まるで生きる屍のような日々を過ごしてきた。心配した母后が毎日好物などを持って訪ねてくるが、アルジの表情に生気は戻らない。
 ただ、ひたすら誰にも会いたくなかった。そうした中、ヨーヤムサン一行の出迎えの挨拶に来るようにと父王レンドから命じられたのだ。全く気乗りしなかったが父王の命には従わなければならない。
 重い体と心を引きずりながら、やっとのことで出てきたというのに、寄りに寄って一番会いたくない、ラリマーが目の前にいた。
 しかも半年後にはエリナと結婚するのだという。結婚式には王子としての立場から招かれるだろう。二人の婚礼姿を想像するだけで胸が引き裂かれそうだった。
 ああ、僕は二人を祝福出来るのだろうか。
「ラリマーは槍を得意としている。若いが我が一族の中では、かなりの腕前だ。スナイフルに対抗するには槍しかあるまい。エリン・ドールとやら良いか」
「勿論、お手柔らかにね。坊や」
 パチっとウインクされ、ラリマーはムッとした表情を見せた。
 あのラリマーが自分より体格が劣る女に誂われたのである。これまで感じたことの無い、新鮮な感情が自然と溢れて来た。
 だけど、女がラリマーに勝てるはずがない、そう思うと沈んだ気持ちになる。

 場所は中庭に移った。平らに地均しされたこの場所は野外闘技場として使われている。
 エムバの戦士たちが流した血と汗が、茶色の染みとなって地面に刻まれていた。
 立ち会いを見ようと、二人を囲むように100人ほどが集まっていた。皆、興味津々の様子だ。
「寸止めでの立ち会いとする。双方、正々堂々戦え」 
 レンドが開始を告げる。
 エリン・ドールが右手に持った黒い鞭をトントンと軽く叩いている。想像していたより、かなり細い鞭だ。これではすぐに刃で切断されてしまうのではないか。アルジは不安に思う。
「いつでもどうぞ」
 そんな不安をよそに人形のような女が言う。
「そちらこそ、いつでも掛ってきていいぞ」
 ラリマーは自信満々に槍を構えた。
「そう。それじゃ、遠慮なく」
 途端にエリン・ドールからビュンビュンと風を切る音が聞こえ始める。鞭をしならせ、回しているのだ。 
 早い、その場にいた誰しもがそう思った。ラリマーも迂闊には攻め込めないでいる。
「仕掛けて来ないの。じゃあ、あたしから」
 エリン・ドールから鞭が放たれる。それは鞭というより目にも留まらぬ槍の連続攻撃のようだった。鞭の先端に結ばれた刃の穂先が次々と襲いかかってくるのだ。
「くッ」凄まじい連続攻撃にラリマーは自分の間合いに近寄ることさえ出来ないでいた。
 防戦一方だ。何とか鞭の動きを封じようと、鞭を絡み取るように槍を操ってみる。
 思惑通り、クルっと鞭が槍に絡みつき、ラリマーは良しとばかりに思い切り槍を引き寄せる。
 力勝負ならばラリマーに分があるのは明らかだった。エリン・ドールから鞭を奪い取る作戦は成功したかに見えた。ところが巻き付いていた鞭が、まるで意思を持っているかのようにクルクルと逆回転に回り、槍からパッと離れたのだ。一体何が起こったのか、一同は驚愕した。
「思い付きは良かったわ。でもスナイフルは只の鞭じゃない。この子はあたしの意志を狂いなく伝えてくれるの。まるで生きているみたいにね」
 青い目の人形が無感情に微笑む。魅惑的な美しさにアルジが思わず見惚れていると、今度は逆に鞭がラリマーの持つ槍の穂先にクルっと絡みついてきた。それでは鞭が穂先で切断されてしまう。エリン・ドールのミスだと、その場に居た誰しもがそう思った。
 ところが槍を手放したのはラリマーの方だった。
スナイフルとはエミリア族の言葉で、切断出来ない、という意味を持つ。どんなに鋭く研がれた剣であっても斬ることが出来ないことから由来している。
 絡み取られたラリマーの槍はエリン・ドールの頭上を越え、後ろにカランと転がる。一瞬、何が起こったのか、茫然とするラリマーの右腕にスナイフルが絡みつく。
「クッ」と必死に抵抗するが、どうしたことか、可憐な人形のような女の引く力に勝つことが出来ない。
 そんな馬鹿な、とグッと鞭を掴み引っ張るが、エリン・ドールは涼しい顏をしている。
 そして、逆にクイっと鞭を引かれると、ラリマーは前に引っ張り出された。「あっ」と躓かないよう必死に駆け出す。
「くそ」前のめりに両足をバタバタさせながらも、何とか転ばずに踏み止まる。
 ハアハアと息を切らして顔を上げると、青い瞳の人形のような女が無表情でこちらをジッと見つめていた。
「残念、もう少し楽しみたかったのに」
 スッとエリン・ドールは顔を近付け、ラリマーの右の頬をペロッと舐める。ラリマーの顔は真っ赤になった。
「そこまでだ」レンドが勝負の終了を告げると、スナイフルはスルスルとエリン・ドールの右手に収まった。
「見事だ。久しぶりにスナイフルの絶技を見させてもらった」
「どう致しまして」
 何事もなかったかの様なエリン・ドールの表情にアルジは驚愕する。あのラリマーが赤子扱いで何も出来なかったのだ。
「ラリマー、自分より体格の劣る相手だと侮ったな。お前には良い教訓となっただろう」
 自分より体格の劣る、しかも女に手も足も出せなかった屈辱に、ラリマーはギュッと両拳を握りしめた。
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