第12話 魅惑の貴婦人(2)

文字数 2,598文字

 アジェンスト帝国軍のトップの登場を、人々は拍手で迎えた。そしてサマンドの傍らには妖艶な貴婦人がつき従っていた。
 カトレアを模したゴージャスな銀のネックレスを身に纏い、掻き上げた豊かな黒髪は腰の辺りでクルッとカールが掛かっている。
 透き通るような白い肌にすうっと通った高い鼻。惹き込まれるような碧い瞳と長いまつ毛。小さな唇と泣きぼくろが非常に魅惑的なこの女性はナルシア夫人。サマンドの第三夫人である。
 国教であるメートフィ教では子孫維持のため三人まで夫人を持つことが許されており、サマンドの様に地位の高い者は三人の夫人を妻帯するのが習わしだった。
 しかし、舞踏会には、そのうち一人の配偶者を連れてくるのが慣例である。今夜、サマンドは29歳のナルシア夫人を連れて参加していた。
 今年40歳を迎えるサマンドにはまだ子供がおらず人々は養子を取るのではないか、と噂しあっていた。 
 下級貴族の次女であったナルシア夫人と結婚したのは10年前である。このとき、サマンドには既に二人の夫人がいたが、跡取りが出来なかった。
 そこで若いナルシア夫人を第三夫人として娶ったものの未だ子宝には恵まれない。人々は夫婦間が疎遠になっているのではないかと噂していた。
「久しぶりに踊らないかい、ナルシア」
「いいえ、私、人に酔ったみたいだわ」
「それはいけない。ここで休んでいるといい。何か飲み物を持ってこさせよう。おい、君」
 召使いを呼ぶとサマンドはカットフルーツの入った果実酒をナルシア夫人に手渡した。
「私は会場の皆に挨拶をしてくるよ」
 サマンドはナルシア夫人を残し人混みの中に消えた。

 会場の壁際には、豪華な装飾が施されたテーブルと椅子が並び、会話を楽しむ男女や踊り疲れて休憩する客達で賑わっている。その中の一対の椅子に座りながら、ナルシア夫人は孔雀の羽で出来た扇を優雅に仰いでいた。
 多くの男性貴族達が訪れてくる。サマンドに敬意を表しての訪問だったが、妖艶なナルシア夫人に魅せられ訪ねてくる者も少なくなかった。
 そうしている内に、主催者である帝王、皇后両陛下が登場し舞踏会は最高潮を迎えた。
「皆の者、今宵は無礼講じゃ。大いに踊り、大いに飲み、大いに食べよ」
 いつも通りの言葉をマントヴァ三世が投げかけると、場は大いに盛り上がった。自身は果実酒を嗜みながら、ご満悦な様子である。
 そして、いつものように一時間ほどで退席した。マントヴァ三世は社交的な場を好まない主だった。
 国民的歌手、ババロフリアルが舞台に現れ、舞踊曲を歌う。男性の出しうる最高音の音階と圧倒的な声量で聞く者を虜にする。


エミール川の霧も
私の情熱を妨げることは出来ない。
ああ、愛しき淑女よ。
あなたの口づけで今夜は眠りたい。


 エミール川の畔という情熱的な恋の歌だ。貴婦人達はうっとりした表情を見せる。
 相変わらずテプロは貴婦人達を相手に華麗な舞を披露していた。もう既に5人と踊っている。それにしても現帝は一体何が楽しいのか、とテプロは思う。
 政治は宰相に、軍隊は最高司令長官に実権を握られ、自身は飾りの帝に憐れみさえ感じずにはいられない。自分が帝王であればそんなことはさせない。自ら政を行い、敵も自分が蹴散らす。自分の理想の国を創る。我が野望達成のためなら、どんな手でも使う。テプロは全身の血が漲るのを感じた。
 ふと会場を囲むように設置されている歓談席の一角に目をやると、妖艶な貴婦人が席を立とうとしているのが見えた。ナルシア夫人である。夫のサマンド最高司令長官と共に退席するところだった。位の高い人物は早々に帰るのが慣例だった。
「お早いお帰りでございますね、サマンド長官。もう少し楽しまれてもよろしいのでは」
「オオ、これはテプロ小軍長。失礼、この席ではアランスト子爵とお呼びするべきか」
「私の身は軍に捧げております。軍の階級で呼んで頂いて構いません」「その心構え、頼もしい限りだ」「恐れ入ります」
 テプロはサマンド長官の横に控えている夫人に目を向ける。
「ご無沙汰しております。ナルシア夫人。相変わらずの美しさ。まるで薔薇の花が咲いたようです」
「フフ、薔薇には棘があってよ」
 テプロは夫人の右手に口づける。妖艶な微笑みは本当に薔薇のようである。
「美しい花であれば刺されても本望というもの。夫人と踊りたいのですが、いかがですか」
「オオ、白の貴公子の折角のお誘いだ。構わんよ。踊ってみてはどうかね」
 サマンドが促すが、夫人は微笑みながら、やんわりと断る。
「アランスト子爵からのお誘いは光栄だわ。でも最近の踊り方を知らないの。今度ゆっくりと教えてもらうことにするわ」
「そうですか。それは残念ですね」
「では、これで失礼させて頂くよ。テプロ小軍長。まだまだ夜は長い、存分に楽しむといい」
 サマンド夫妻は去って行った。
 しばらくテプロは貴婦人や要人達と会話を楽しんでいたが、程なく帰り支度を整え始めた。
 彼とのダンスや会話を望む貴婦人はまだまだいたが、「貴女と素敵な一時を過ごしたいのは山々ですが、合同演習の準備があるのです。どうかお許しください」と優しく断ると、舞踏会場を後にした。
 マントヴァ宮殿の外に出ると、彼は馬に跨り、自身の邸宅がある方向ではなく逆の方角へ一人向かった。宮殿から西へ程なく馬を歩かせると貴族達の屋敷が集まる一角がある。どの邸宅にも手入れが行き届いた木々が生い茂る庭があった。
 その中の3階建ての青い屋根の屋敷の前でテプロは馬を降りた。煉瓦を積み上げた塀の四方に門がある。
 北側の門に向うと、若い女性が一人立っているのが目に入った。メイド服を着ているので、この邸宅の召使いだろう。テプロが歩み寄ると、何も言わず邸宅の中に案内する。
 召使いは隅にある隠し階段にテプロを通した。限られた者しか知らない、この邸の秘密だ。階段は二階の主の部屋の前に出るようになっていた。召使いは深々とお辞儀をするとテプロを残し去っていく。
「さてと」
 テプロはコホンと咳払いをして、ドアをノックする。
「テプロです。開けて頂けませんか」
 中からは何も反応がない。
 もう一度ノックするが、やはり反応がない。しばし待って、テプロはドアを開けた。
 そこには、月夜に照らされた妖艶な美女が一人佇んでいた。
「いい月だわ。そう思わない?テプロ」
 優雅に振り向いた美女はナルシア夫人だった。


 
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