第37話 疑心の騎士(2)

文字数 4,797文字

 辺りが一気に緊迫した空気となる。
「これは、これは。この過酷な山岳の道、転倒することもあります。その時の怪我で流れた血でございましょう。しかし、かなり匂いに敏感でございますな」
 小太りの男が冷静さを保とうとしているのが分かる。アルジの心臓の鼓動が早まる。
「時間の無駄だから、誤魔化さないで。人を斬ってきたんでしょ。それも一人や二人じゃない」
 ターナも前に出て、腰からサーベルを抜く。
「お前ら、何者だ」
 背の高い男が、クククッと笑う。深く被ったフードの奥の目が赤く光る。
「これはこれは、勇ましいお嬢さん方だ。だが、よく分かったな。ついさっき20人ほど始末してきたばかりなのだ」
 途端に他の商人達が一斉にヤクの背中から剣を取り出す。
 この男達は商人などではない。殺気の籠もった目は明らかに違う。本当の隊商一行は、この男達に殺されたのだろう。
「お前は邪魔だ。下がっていろ」
「は、はい」男の指示で小太りの男が小走りに後ろに下がる。どうやら、この男が本当のリーダーらしい。
「隊商に成りすましたつもりのようだが、偽者なのはすぐに分かるぜ。狙いは俺か」
 ヨーヤムサンがギロリと睨む。
「ああ、ずっと待っていたぞ。警戒心の強いお前の居場所を掴むのは容易ではない。だが、ローラル平原に向かっているのは分かっていた。ククク、今日は素晴らしい日だ。やっとお前に会うことが出来た」
 言うやいなや、男は驚異的な跳躍でヨーヤムサンに襲いかかってきた。すかさずエリン・ドールがスナイフルを放つ。
 左腕に絡みついた鞭は男を捕え地面に叩きつけるかに見えたが、男は空中でクルッと後ろ向きに宙返りすると、鞭を解いて着地した。凄まじい身体能力だ。
「ほう、珍しい武器をお持ちだ。お前がエリン・ドールか」
「あたしの名前を知っているのね。あなたのお名前は」
「バラルだ。あの世で思い出すがいい。お前を殺した男の名前をな」
 男はすかさず、剣で襲いかかる。躊躇なく鳩尾を狙う動きは暗殺者のものだった。しかし、青い目の人形は顔色一つ変えずに躱す。
「中々の体術を持っているようだが、この間合いでは鞭は使えまい」
 男は連続で突きを放つ。息をつかせぬ鋭い突きは、確実にエリン・ドールを追い詰めていく。
 一方、ターナ達も暗殺者達と対峙していた。数では7人対20人と圧倒的に不利だったが、ターナ達は全く怯む気配がない。
 ターナとマキはサーベルで対抗、ルナとナナは短刀で斬り合っていたが、手練の暗殺者達相手に苦戦していた。
 その様子を見て、ヤクの後ろから見守っていたアルジは迷う。ヨーヤムサンから絶対ここを離れるな、と言われている。
 しかし、この不利な状況で、自分に凶刃が襲いかかって来るのは時間の問題に思えた。みんな苦戦している。自分だけ、こんなところに隠れたままでいいのだろうか。
 いい訳がない。アルジはヤクに積んである自分の槍を取り出す。槍術の鍛錬で使っていたものだ。いきなりの実戦で、しかも相手はあのラリマーを圧倒したエリン・ドールが苦戦するほどの腕だ。だが、やるしかない、とアルジは立ち上がった。
 ターナは四人を相手に立ち回っていた。手練相手に間合いを取らざるを得ず、踏み込むことが出来ない。相手もターナの実力を分かっていて、容易には踏み込んでこない。プレッシャーを掛け、隙が生じるのを待っている。
「どうした。一人の女相手に情けねえぜ。掛かってきな」
 ターナが挑発するが、暗殺者達に焦る様子はない。 
 マキ、ルナ、ナナの3人も同様に、膠着状態が続いている。
 そこへ、小太りの男がターナの背後に忍び寄るのが見えた。キラっと剣が光っている。
 危ない、咄嗟にアルジは駆け出す。
「ウオオ」と叫びながら、小太りの男に向って槍を突き出した。
 槍は振り返った小太りの男の脇腹を掠り、「てめえ」と逆上した小太りの男が剣を振り上げる。
 やられる、アルジがそう思い、思わず目を瞑った瞬間、小太りの男の動きがピタッと止まった。
「アルジ、戦いの場では二度目のチャンスは無いぞ。仕留める時は必ず一撃で仕留めろ」
 アルジの背後から伸びた大人の腕ほどはある太い槍が、小太りの男の鳩尾に突き刺さっていた。ヨーヤムサンだった。
「アルジ」異変に気付いたターナが後ろを向いた隙を逃さず、四人の暗殺者達が背後から襲う。
「ぐわぁ」暗殺者の一人が立ち止まったまま、ピクピクと体を痙攣させている。
 ターナが後ろ向きのまま、背後の暗殺者に槍を突き刺していた。いつ、サーベルから槍に持ち替えたのか、いや、槍など持っていなかったはずだ。突然、出現した武器に暗殺者達は怯む。
 フレキスピアー。ターナ愛用の槍だ。特徴は長さが変幻自在なことで、60センチから3メートルまで一瞬で伸縮する。普段は60センチの筒状になっていて、穂先も筒の中に収まっているため、携帯可能な武器だ。
 アルジの方を向いたまま、ターナが後ろ向きに、グイっと槍を引き抜く。
「お頭から、そこを離れるなと言われていただろう。命が惜しかったら、言われたことは守りな」
「は、はい」アルジはシュンとなる。
「でも、勇気を出したな。そういうのは、あたしは嫌いじゃない」ニヤッとターナは笑い、振り向きざま、フレキスピアーを暗殺者達に向かって突き始めた。
 一気に均衡が崩れた。ターナと対峙していた四人は一人残して全員、フレキスピアーの餌食になった。一人残った暗殺者は退却せざるを得ず、ナナと立ち会っている仲間達に合流する。
 ターナもナナに加勢し、相手を一気に二人討ち取る。マキとルナも互いに二人づつ討ち取り、次第に数的不利を覆していく。そんな中、バラルと対峙していたエリン・ドールは苦戦していた。鋭い剣先を躱すのが目一杯に見える。
「どうした。逃げてばかりだぞ。得意の鞭を振るってみせたら、どうだ」
 バラルは余裕を見せる。まだ本気を出していない。
「そうね。あなた、思っていたより出来るみたいだから、そうさせてもらうわ」
「ほう、面白い」エリン・ドールが持ち手を変えた。 
 すると、スナイフルがクルクルとバラルの眼の前で回り始めた。まるで、円形の盾が立ちはだかっているようだ。バラルは動きを止めた。
「ほう、凄まじい速さだな。スナイフルはどんな刃でも斬ることが出来ないと聞くが、本当か試してみるか」
「どうぞ」青い目の人形は表情を変えずに答える。
「フフ、大した自信だ。だが、俺も速さには自信がある。突き比べといこうか」
 再び、バラルは突きを放つ。バキーンと凄まじい音がして、剣先が弾かれた。思わず手を手放しそうになる程の衝撃だ。
「何という衝撃よ」まるで硬い岩盤に剣を突き刺したようだ。何度突いても、結果は同じだった。
「なるほど、噂に違わぬ強靭な鞭よ。我が突きを跳ね返すとはな。だが、これではお互い攻め手がないぞ。果たして、お前はいつまで鞭を回し続けることが出来るのかな」
 バラルが笑う。持久戦に持ち込む考えだ。
「悪いけど、あたしは攻め手を持ってるわ。ないのは、あなただけよ」
「何ィ」
 エリン・ドールは利き腕の左手でスナイフルを握り直す。右手で相手に向けて盾となるよう廻し続けながら、左手でも回し始める。その先端には槍の穂先が結ばれていた。
 まさかと、バラルが目を見開き前方を見据えた時だった。回転する鞭の間から鋭い穂先が次々と伸びてきたのだ。しかも息をつかせぬ連続攻撃だ。
 剣で必死に捌くが、穂先のスピードは段々と上がってくる。
「こいつ」正に攻防一体のスナイフルの絶技に、バラルは防戦一方だ。しかも、スピードが増々上がっていく。まずい、捌ききれない、と焦りが生じる。
 穂先が体を掠め、フードがボロボロになっていくと共に、バラルの容貌が露わになっていた。
 血色が悪く黒く変色した肌に落ち窪んだ目。本当に生きている人間なのか。そう疑わざるを得ないほど生気がない。但し、目だけは爛々と異様に光っている。
「あなた、何者なの?」
 異様な容貌に、相手が普通の人間ではないことをエリン・ドールが察知する。
「ククク、バラルと名を申したではないか。お前には俺がどう見えているのだ」
「普通ではないわね。そう、まるで悪魔のようだわ」
 くわぁと、バラルは大きく口を開けて笑った。
「悪魔だと。そんなものが、この世に存在すると思っているのか」
「さあね」
「悪魔など、この世にはいない。但し、悪魔に魂を売った人間なら、ここにいるがな」
 ニヤッと笑うバラルの口端に、鋭い犬歯が見えた。
 狼の様に咆哮しながら斬り掛かってくる。しかし、エリン・ドールはスナイフルをバラルの右腕に絡ませ、剣を叩き落とす。
 アッと声をあげたバラルはその場に立ち尽くした。更に首にグルグルと鞭が巻き付き、バラルは苦しそうに身をよじる。
「勝負ありね。このまま、絞め殺してあげてもいいけど、お頭があなたに用があるみたいだから、少し待っててあげる」
 エリン・ドールは顔色一つ変えないで冷たく言い放つ。
「フフ、聞きたいことがあるだと。いいだろう。お前たちが生きていられたら、答えてやろう」
 スナイフルに拘束され、身動きが取れないバラルがニヤっと笑う。
 すると、山の尾根から伸びる背後の斜面がザワザワとなり始めた。強い風が吹いていないのに、裸地に僅かに残る草地が大きく揺れている。
 その時、あちらこちらの草地がガバッと起き上り、弓を構えた兵が20人現れた。伏兵だった。
「草地に擬態して、ずっと待っていたのね。ご苦労さま」伏兵の存在が分かっても、エリン・ドールは視線をバラルに向けたまま、微動だにしない。
「形勢逆転といったところだな。我らが何の準備もせずにお前達を待ち構えていたと思うか。余裕振っているようだが、後ろを向かなくても良いのか、背中が矢で針鼠のようになるぞ」
 愉快で堪らないといった風情で、バラルがニヤッと笑う。
 一方、ターナ達と一緒に戦っていたアルジも異変に気付いていた。
「あ、敵だ、弓を構えた敵が斜面に沢山いる」
「何だと」隣で戦っていたマキが振り向くと、20本もの矢がこちらをむいていた。
「伏兵か。ふん、セコい真似しやがって」
 マキがサーベルを斜面に向ける。
「アルジはあたし達の後ろに隠れていた方がいいかも」ナナが近寄ってくる。
「え、ナナ達だって危ないじゃないか」
 思わぬ伏兵の存在に焦りが生じるはずだが、マキとナナは冷静だった。ターナとルナに至っては、伏兵に全く気づいていないのか、気にせず戦っている。エリン・ドールに目を向けると、バラルと対峙したまま、伏兵を気にする素振りがない。
 隠れるところがないこの場所で、上の斜面から一斉に射られれば、無事では済まないはずだ。風も斜面から下に向かって吹いている。自分達は所謂、風下にいるのだ。矢の速度、射程距離も格段に伸びる。
 絶対絶命の危機だというのに、皆のこの落ち着きようは何だ。しかも、下へ逃げようにも川を渡らねばならない。逃げ足がどうしても鈍り、恰好の餌食になる。
 アルジは、ヨーヤムサンの姿を捜す。獅子のような男はいつの間にかエリン・ドールと対峙しているバラルの前に立っていた。
「クククッ、諦めろ、ヨーヤムサン。あの矢には毒が付いている。掠っただけで、死は免れんぞ」
「俺を襲ったのは誰の指示だ。まあ聞かなくとも分かるがな。お前からは邪悪な気配を感じる」
「クククッ、あの方に刃向かうとは、お前も無謀な男よ」
「やはり、あの男が復活しているのか」
「ああ。あの方が世界を制する日は近い。お前如きを相手にしている暇などあの方にはない。代わりに私がお前を葬ってやろう。クククッ」
 ヨーヤムサンはギロリっとバラルを睨む。
「貴様ごときでは、額の傷も疼かぬわ」
「ほざくが良いわ。死ね」バラルが指示を出すと伏兵達が構える弓の弦が大きくしなる。
「矢がくる、伏せろ、危ない」アルジが大きく叫ぶ。
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