第26話 騎士崩れの男(1)

文字数 4,401文字

 黒いマントの男達は西南方向へ向かっていた。この先は森が続き道も悪路なはずだった。行ったことのない道だったが、ディーンは構わず馬を疾走させた。
 このままでは追いつかない、馬上で目を瞑り集中する。すると辺り一面の地形が脳裏に浮かんできた。
 実際に見た森の遠景、人から聞いた話、限られた情報を頭の中で再構築すると、まるで空の上から見たような光景が浮かぶ。
 今までは狩りや野生馬を追い込む時に使っていた能力だ。はたして人間の動きも予測できるのか。ディーンは更に集中した。
 すると1kmほど先を走る3人の男たちが見えた。アップダウンの激しい悪路のため、馬もそんなにスピードを出せていない。よし、追いつける。ディーンは進路を右手の斜面に向けた。
 少し傾斜がきついが登り切れば後はずっと下るだけだ。
「頼む、頑張ってくれ」と、鞭を入れると、呼びかけに応えるように黒毛のたくましい馬はぐいぐいと山を登る。
 素晴らしいスピードで山頂まで登り切ると、今度は一気に降り始める。予測通りの地形であった。
「いた」すぐ斜面下を走る黒マントの男たちが見える。2頭目の男にがっしりと体を拘束されたカヲルが乗っているのも確認出来た。
 ディーンは斜面を下降すると、男達の前にスルリと踊り出る。
「な、何だ、あれは」
 突如現れた黒い影に黒マントの男たちは驚く。野生馬か、しかし馬の背に誰か乗っている。偶然ではない。追っ手だと気付くと、男たちの目の色が変わった。
「一体、どこから来やがった」
「どうやって追いついた」
 男たちは非常に驚いたもののスピードを緩める気配はない。むしろ、ドンドン加速している。
「乗っているのは、ガキだ」
「かまわねえ。このまま突っ切るぞ」
 ハイヤーという掛け声と共に馬に鞭が飛ぶ。ヒヒン、という嘶きが上がった。
「あいつら」
 ディーンは馬を降り、剣を抜いた。
「へへ、剣を抜いてどうしよってんだ」
「どうやら俺達を斬るようだぜ」
 ディーンは目を閉じ呼吸を整え、静かに上段に構える。目が見開かれると同時にシュン、シュン、という空気を切り裂く音がした。
「な、何ィ」
 男たちの目前に信じられない光景が広がった。木がバタバタと倒れてきたのである。それも大人の胴回り程はある木だ。
 倒木に阻まれ、男たちは慌てて手綱を引いた。
「野郎、舐めた真似しやがって」
「ガキのくせに生意気な奴だ」
 男達はディーンが予め細工したものだと思ったようだ。
「いや、あの木は剣で一瞬に斬られたものだ」
 一人だけ見抜いた男がいた。酒場の用心棒二人を一瞬で斬り捨てた男だ。
「まさかな」
 ローラル平原最強の流派として名高い見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)の奥義に太い木の幹をも一瞬で斬り倒す斬撃があると聞いたことがある。
 しかし、見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)は幻の剣とされ、遣い手はもはやこの世に存在しないといわれていた。
「ここは俺に任せてもらおう」
 確かめる必要があるようだ、と男は馬を降り、一歩前に出た。
「あんなガキ一人、俺がやるぜ」
「フ、お前の手には終えん」
「何だと、マキナルてめえ」
 激昂する仲間を意に介さずに、男はディーンの前に立った。
「助けて」ディーンの姿を見たカヲルが叫ぶ。
「待ってろ。今、助けてやる」
「フフ、あの女を助けるためには俺を倒さないとならんぞ」
 ディーンは男を見据えた。この落ち着きようは只者ではない。先程、酒場の用心棒二人を難なく斬り捨てるのを目の当たりにしている。
「俺の名はマキナルだ、小僧、お前の名は」
「ディーンだ」
 そう言えば、互いに名乗り合うのは、騎士が決闘する時の流儀だと、父さんが言っていたのを思い出した。これから目の前の男と命のやり取りをするのだ。ディーンの心臓が早鐘のように鳴った。

 一方、トラルとノエルは酒場の前に来ていた。
「やっと着いたぜ。ディーンの奴、手伝いをサボりやがって」
 馬の荷台への積み込み作業を一人で行ったノエルは不機嫌だった。小麦や塩、半年間、家族で暮らすために必要な品々はかなりの重さだった。
 オリブラに帰る準備は出来ていた。もう少しで出立しなければ行程が狂う。トラルは、もう一泊余計に森の中で一夜を過ごすのを避けたかった。
「ディーンを見つけたら、すぐに出発するぞ」
 酒場の少女と一緒に行ったのだから、ここにいるはずだった。
「分かったぜ。ん、なにか様子がおかしいな」
 酒場の前が人溜まりになっている。荷馬車を置いて、二人が人溜まりを覗くと、屈強な体格の男二人の死体を囲むように人々が集まっていた。
「何だ、こりゃ、人殺しか」
 驚いたノエルが聞く。
「こいつらはこの店の用心棒だ。人攫いに殺られたらしいぜ」
 見物人の男が答えてくれた。
「人さらい?」
「この店で働いていた女がさらわれたらしい」
「本当か、物騒なことだぜ」
 トラルは人込みをかき分け死体の前に出た。「ム」死体の切創を見てトラルの顔色が変わる。
「親父、どうした」
「この傷を見ろ。一撃で迷いなく急所を貫いている。かなりの遣い手だ」
 剣の達人トラルが言うのだから、間違いはなかった。
「そこを退きな。見世物じゃないよ」
 怒鳴りながら中年の女が出てきた。この酒場の主らしい。
「店主か?」トラルが尋ねる。
「そうだけど、何だい、あんたは」
 女店主がギロリと不審そうな目を向ける。
「誰に斬られた」
「知らないよ。3人組の男が店に来て、いきなり店の娘を攫っていきやがった。用心棒として雇っていた男達もこのザマさ。おい、誰か手伝っておくれ。こいつ等を馬小屋に運ぶんだから」
「三人組?」「そうさ、気娘だから、高く売れると踏んでいたのに、飛んだ目にあっちまったよ」
 気娘?まさか、とトラルは悪い予感がした。
「ここに少年が来なかったか。年は16だ。真っ直ぐな黒髪が特徴だ」
「ああ、娘と荷車を一緒に押して来た、あの坊やかい。三人組の男達を追って行っちまったよ。馬を貸せっていうから貸してやったけど、失敗したよ。あれは本当にいい馬なんだ。あの坊や、どうせ殺されるから馬も返ってきやしないよ。大損だ」
 しまった、とトラルは思った。「どっちに行った」「西に行ったよ」
 まずい、もしその男達と対峙したら、ティーンが危険だ。現時点で戦ってはいけない相手に思われた。恐らく剣の技量自体は相手より上だろう。
 しかし、実戦経験が豊富な手練相手では経験が足りない。すぐに駆けつけなくてはならなかった。
 その時、カシャ、カシャという金属音と共に馬の蹄が近づいてくるのが聴こえた。それも一人ではない、結構な人数だ。その場にいた者達が一斉に振り向く。
 鎧甲冑に身を固めた騎士が二十騎、こちらに向かって行進してくるのが見えた。
「き、騎兵団だ。テネア守備軍だ」
 騎兵団の行進はかなりの迫力だ。年に数回テネアから警邏活動と年貢の催促のために来るのだ。人々は皆、押し黙って息を呑む。
「全軍、止まれ」
 先頭の騎士が号令をかける。ゴツゴツとした体格の初老の男だ。顔に刻まれた深い皺と所々窪み傷付き黒く変色した銀の鎧が歴戦をくぐり抜けてきたことを証明している。その眼光は鋭かった。
「テネア騎兵団副団長のサルフルムである。一体何事か」
「サルフルムだって」その名を聞いた人々はざわつく。不死身のサルフルム、鬼のサルフルムとよばれる男である。テネア騎兵団最古参の老兵であるが、ローラル平原におけるアジェンスト帝国との幾多の戦争に参加、多くの武勇伝を持っていた。
 中でも語り草となっているのは20年前のテネア攻防戦だった。
 テネアがローラル平原の小さな独立国だった時、アジェンスト帝国に侵略された頃の話だ。この時のテネアの王、フーマン王は善王と民に慕われた領主だった。
 私欲なく慈悲に溢れかつ勇猛果敢な王のもと、民も騎兵団と一緒に侵略者に必死で抵抗したのである。
 中々落ちないテネアにアジェンスト帝国軍は一計を案じ、フーマン王が投降すれば民の命は保証する、これまでの自治も認める、と講和を持ち掛けたのである。
 かなり消耗していた民の姿に、これ以上の抵抗は無理と判断したフーマン王はこの条件を呑んだ。
 しかし、アジェンスト帝国軍はこの講和条件を一方的に破棄、フーマン王を殺した上、テネアの民を圧政の元に敷いたのである。
 その後、テネアを巡って、ピネリー王国軍がアジェンスト帝国軍と戦いを繰り広げた。このときの戦いにサルフルムも参加、背中に弓矢を3本、脇腹に槍の穂先を突き刺したまま戦いを続けるという獅子奮迅の働きを見せた。この奮闘ぶりにアジェンスト帝国軍は、サルフルムのことを鬼、不死身の男と呼び、恐れた。
 サルフルムの活躍もあって、ピネリー王国軍はテネア奪取に成功、また、新たな統治者ルーマ二デア長官はフーマン王同様に善政を敷いたためテネアの民に受け入れられ、今日に至っている。
 サルフルムが馬から降ると、サアーと見物人達が道を開ける。
「むう、人殺しか。大の男が二人も殺されるとは。この店の主は居るか」
「はい、私でございます」中年の女店主がいかにも嫌そうな顔で事情を説明する。
「若い女を狙った人攫いか。最近そういう輩が増えていると聞くが、マチスタにも現われるとはな」サルフルムは倒れている用心棒達の死体を見聞した。「むう、これは」
 切創を見て唸る。「中々の遣い手のようだな。玄人の仕業だ。騎士崩れの男に違いあるまい」トラルと同じ見解だった。サルフルムも剣の達人だった。そうでなければ、幾多の戦場を生き抜いてはこられない。
「並みの腕ではない。わし自ら成敗せねばなるまい。よし、ワング、タンムの二人を残し、後はわしに続け。人攫い共を追う」
「恐れながら、お待ちください」トラルがサルフルムの前に膝まづいた。
「ん、何者ぞ」
「オリブラで木こりをしております、トラルと申す者です。サルフルム様にお願いがございます。どうか私の話をお聞きください」
「ウム、いいだろう。申してみよ」
「は、ありがとうございます。実は私の息子が一人で人攫い達を追っております。私も同行させていただきたく、どうかお願いします」
「ほう、お主の倅がのう。何故、一人でいかせたのじゃ」
「息子は、攫われたこの店の女子を見かねて、西の市場から荷物運びを手伝ってきたのです。私共が追いついた時には既に人攫い達を追い掛けておりました。人攫い達は西に向かったとのこと。私はその道を通ったことがございますので道案内も出来ます。どうか私も同行させてくださいませ」
「ほう、木こりの倅というに悪党共に攫われた女を助けに行くとは中々、天晴な者よ。分かった。我等を道案内せよ」
「ハハア、有難うございます」トラルは馬に跨った。
「親父」ノエルは不安そうな顔をしている。「心配要らぬ。お前は荷物の番をしていろ。戻ったら、すぐに出発する」恐らくディーンは地形を読み、最短ルートで行ったに違いない。早まるなよ、ディーン、トラルは心の中で祈った。
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