第17話 山賊ヨーヤムサンと山岳の民エムバ族(3)

文字数 3,373文字

「これまで通り、帝国の動きは逐次、御主の元に届けさせよう。モリトルに任せている」
 ヨーヤムサンは器に酒を注ぐ。
「それは有り難きことよ。我等は外の世界を知る術を持っておらぬのだ」
「うむ。御主らの掟は知っている。仕方有るまい」
 二人はしばし無言で酒を酌み交わした。
「いつ発つ」
「うむ。十日後には発つつもりよ」
「そうか、友よ、御主に折り言って頼みがある」「?」ヨーヤムサンはレンドの顔を見た。
「我が息子、アルジを連れていってはくれないか」
 ヨーヤムサンは片眉を上げた。
「アルジは、まだ16歳ではなかったか。その歳で我らの旅に付いていくのは辛いぞ」
「構わぬ」
「御主の頼みだ、連れていくのは構わぬが、御主らの掟に反するのではないのか」
「ああ、その通りだ」
「では、何故だ」
「確かに我等はこれまで、外との交流を絶って生きてきた。エムバの地に踏み入る者達を悉く跳ね返してきた。しかし、世の移り変わりは凄まじいものよ。我らを凌駕する敵が出てきてもおかしくはない」
 アジェンスト帝国の天才、スタチオ・アウトテクスの出現はエムバに大きな衝撃を与えた。抜群の統率力と迅速な戦況判断に優れたこの男に窮地に陥れられた。これまで通りに個々の力のみで戦う戦術ではいつか侵略される。危機感を持ったレンドは考えるところがあった。
「スタチオは、帝国軍のエースに任命された。エース自らエムバに進軍することはあるまい。今はミロノ王国との戦線に注力することになるだろう」
 エースとは各国が誇る最強の将軍に与えられる称号のことである。独立軍長官の任を与えられることが多かった。王の命令でしか戦場に立つことはなく、例え最高司令長官であっても、彼らに命令することは出来ない。
 王に匹敵する権限を持っている最強の将軍がエースなのである。スタチオはアジェンスト帝国史上、最年少のエースだった。彼はミロノ王国のエース、バンドム・マーチンと聖地アルフレムを巡って歴史に残る死闘を繰り広げている最中だった。
「友よ。奴に匹敵する敵はこれからも出てこよう。いや、それ以上の敵が出てくるかもしれぬ。我等はあまりに外の世界を知らなすぎる。それにお前も感じていよう。邪悪な者の気配を」
「御主も感じているのか。邪悪な者の気配を」
「うむ。近い将来、暗黒の闇が訪れようとしているのを感じる」
「20年前、突然霧のように消えたあの邪悪な男の行方を追っているが、何故か未だに掴めぬ」
「だが、その男は確実にいる。我らだけではない。ローラル平原、アロウ平野にも大いなる災いを巻き起こすであろう」
 レンドは近い将来の災いに備え改革を起こそうとしていた。
「これまでのやり方では立ち行かぬという、お主の目は正しいだろう。しかし、果たして他の者がどう思うのか、急激な変化は民の反発を招くものよ」
「友よ。確かに我が考えに反発する者達も居よう。しかし、我は村長としての役目を果たさねばならぬ。このエムバを永らえさせるのが我の役目よ」
 ヨーヤムサンはレンドの決意が固いことを見た。跡取りである息子に外の世界を学ばせようということは余程の覚悟が要る。各地域の事情に精通し、経験豊富なヨーヤムサンの元に居れば、世の中の表裏が自ずと分かるということに期待してのものだろう。
「それと、お主も気付いていよう。我が息子アルジは己の体格が小さいことに劣等感を抱いている。お主と旅をすることで自信を持って欲しいのだ」
「御主の倅を連れていくのは構わぬ。しかし、わしは山賊。命の遣り取りは日常茶飯事よ。我等と行動を共にすることは、棺桶に半分、足を突っ込んでいるようなものだ。命の保証はできぬぞ」
「構わぬ。そこで命を落とすようであれば、倅はそこまでの男ということよ。山の神の御加護がなかったということ。エムバの長の役目は務まらぬ」
 我が子に試練を与えようとするレンドの真意をヨーヤムサンは見抜いていた。
「あるいは、外の世界に触れれば、もはやエムバには戻らぬと言うやも知れぬぞ」
「友よ。エムバの民に流れる血は、息子を必ずこの地に再び戻ってくるよう導くだろう」
 そこまで言うのであれば断る理由がなかった。
「分かった。承知しよう」
「オオ、友よ、感謝するぞ」
レンドに安堵の顔が浮かんだ。ヨーヤムサンは久しぶりにローラル平原に向おうとしていた。アジェンスト帝国に新たな動きがあれば、ローラル平原に戦果の火が燃え上がるかもしれぬ。その前に彼にはやるべきことがあったのである。
「ところで友よ。我が娘のこと、お前でも消息は分からぬか」
「うむ、手は尽くしているが、今のところは分からぬ」
 レンドには三人の息子のほか、娘が一人いた。しなやかな肢体を持つ美しい少女で、褐色の肌、赤い髪、情熱的な瞳を持っていた。
 エムバ族は色白の肌を持つのが特徴である。しかし、彼女は違った。そう、違う種族の血が混じっていたのである。
 アジェンスト帝国の西に広がるアロウ平野にエミリア族が住んでいる。エミリア族は定住地を持たず、広大なアロウ平野を移動しながら暮らす、所謂、放牧の民である。そのため、しばしばアジェンスト帝国との国境に侵入してくることがあった。
 明確な国境を持たないエミリア族にしてみれば、他国の領土を侵犯している意識が薄いのだが、アジェンスト帝国にしてみれば一大事である。両軍は幾度となく衝突した。
 エミリア族の軍隊は騎馬が主体である。生まれた時から馬の扱いに慣れ、いざ有事となれば各部族が合流し騎馬軍団を形成する。機動力に富み、馬上から弓を射ることに長けている彼らはアジェンスト帝国の脅威だった。
 彼らはエムバ族のように体格に優れ、それでいて猫科の猛獣の様な、しなやかさを併せ持っていた。
 褐色の肌を持つ彼らは黒い騎馬隊と呼ばれ恐れられた。
 20年前のことである。エミリア族とアジェンスト帝国はアロウ平野で戦いを繰り広げていた。この戦いはアジェンスト帝国から仕掛けた戦いであった。
 この時、アジェンスト帝国は破竹の勢いであり、各方面に進軍していた。ローラル平原にも大きく侵攻し、戦果を治めていた時である。ローラル平原の優れた馬を沢山調達し、強力な騎馬軍団を形成していたのである。
 さすがのエミリア族も苦戦を余儀なくされ、戦線を後退せざるを得ない。そこで、エミリア族の王は、エムバ族に共闘を要請したのである。実はこの時、エムバ族も破竹の勢いのアジェンスト帝国の侵攻を受け苦戦していた。
 アジェンスト帝国に対抗するには、エミリア族と連携するのが最善の策だったが、他民族との交流を嫌うエムバ族の王は頑なに拒否した。そこで、エミリア族の王は一計を案じ、自分の娘をエムバ族に嫁がせると約束したのである。
 これにはさすがのエムバ族の王も受け入れざるを得なかった。そして、互いに連携し、アデリー山脈とアロウ平野から挟撃することで見事にアジェンスト帝国軍の撃退に成功したのである。
 そして約束通り、エミリア族の姫がエムバ族に来た。豹のようにしなやかな肢体、輝くような褐色の肌、赤い髪、情熱的な瞳に、当時の王子であったレンドは一目で魅せられた。第二夫人としてエミリア族の姫はレンドに嫁いだのである。
 また、エミリア族の女は皆、男と混じって戦さに立つのが常だった。姫も猛々しい気性の持ち主で美しさと強さを兼ね備えていた。レンドは姫を寵愛し、女の子が生まれた。母親に似た、褐色の肌、赤い髪、大きな瞳を持つその娘はサマラーと名付けられた。
 しかし、八年前のスタチオとの戦いの際に、エミリア族の姫は自ら戦線に立ち戦死、娘のサマラーは行方知れずになってしまったのである。レンドの悲しみは深かった。
 広い情報網を持つヨーヤムサンにサマラーの行方を頼んだのである。ヨーヤムサンの情報網をもってしても行方は要と知れずにいたが、最近、アジェンスト帝国の豪商の元で育てられていたことが分かった。
 が、時既に遅く、今は家を飛び出し再び行方知れずとなっていた。養女とはいうものの奴隷同然の扱いだったらしい。飛び出す際に豪商の育父を殺していた。生きていれば一五歳になる。
「まだ若いが生きる力に長けた娘のようだ。いつの日か御主と再び会うことがあろう」
「そうだな。友よ」
 その夜、お互いにしばしの別れを惜しむように深夜まで酒盛りが続いた。
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