第10話 白の貴公子(3)

文字数 5,829文字

 アルフロルド中心部にアランスト家の邸宅がある。王家との繋がりが深くアジェンスト帝国建国にも深く関わっている名家である。
 邸宅の佇まいは比較的、開放的で敷地を囲む門壁もあまり高くはない。アジェンスト帝国は代々、統治者と軍事が別れているのが特徴的な国家だった。
 元々、アジェンスト帝国は、アジェン人が多く住むアロウ平野に点在する小さな国々を、アルフロルド国の王、マリー1世が統一したことに始まる。
 それまでは、アジェン人達はメートフィ教を信仰する人々からなる連合国を形成していた。メートフィ教はスピンニア出身の預言者聖メートフィが神からの預言を人々に広げた宗教である。
 預言により聖地アルフレムを目指したアジェン人達は、ミロノ教を信仰するミロノ人達を追い出し、神殿を築いた。そして、その周辺にアジェン人達が多く移り住み、街を形成したのである。
 その後、ミロノ人達は大規模な反撃を開始、聖地アルフレムの奪還に成功したものの、その後も聖地を巡る争いは長い間、続いた。更に新興宗教であるルエル教を信じるエメルル人達も聖地の正当性を主張し、争いはさらに激化、混沌とした。
 その打開策として、アルフレムの中心部にサンクチュアリ・エリアが作られ、どの国にも民族にも属すことのない聖域とされた。そこは、三賢人と呼ばれる、それぞれの宗教の指導者が治めて今日に至っている。そして、どの宗教も尊重され、他の信仰者を迫害してはならぬとされたのである。
 しかし、サンクチュアリ・エリアを一歩でれば、そこは、それぞれの国の領地となっており、相変わらず、聖地アルフレムの複雑さは堅持されていた。
 その中でも、ミロノ王国領が多数を占める中、アジェン人達も多く暮らしていた。以前と変わらず、ミロノ人達から異教徒として迫害を受ける同胞を救うべくアルフレム奪還はアジェンスト帝国の宿願となっていたのである。
 一方、元々アランスト家はアルフロルド近郊を本拠地とする武力に優れた家柄だった。政治力に長けた王家を軍事力で支えたのである。その源となったのがアジェン人最強の剣術サンド流である。
 その特徴は騎馬で発揮された。足場の無い騎上であっても鋭く力強い太刀が繰り出されるのである。しかし、今やアランスト家にサンド流の遣い手がいなくなって久しい。
 そうしたなか、テプロは邸宅の庭で剣術の修練に励んでいた。いつもの日課である。
「いつでも良いぞ」
 テプロが、自分を囲んで剣を構えている三人の男達に合図を送る。ジリジリと間合いを詰めてくる三人も、構えから相当な手練であることが分かる。
 息が詰まるような空気を破るように三人の男達が一斉に斬り掛かる。テプロは死角である右斜め後ろから斬り掛かってきた男の剣を左前方に半歩出ることで躱す。
 しかし、そこに二人目の男が左斜め後ろから斬り掛かってくる。さらに前方から三人目の男が同時に斬り掛かって来た。
 普通であれば躱すことは不可能であるが、テプロは目に見えない閃光のような剣で二人同時に当て身を食らわす。そして、返す刀で三人目の男にも当て身を食らわせた。
「お見事」
 この様子を見守っていた老人が声を掛ける。サンド流剣術のマスターだった。当て身を受けた三人の男達が地面に伏し唸っていた。
 テプロは剣を鞘に納め、フウと息をつく。
「ありがとうございます。マスター」
「もはや、テプロ様にお教えすることは何もございませぬ。戦場において、あなた様を仕留めることができる敵兵など存在せぬでしょう。まして二刀を持てば百人相手でもあなた様には敵いますまい」
 戦場で技を進化させてきたサンド流剣術は複数の敵を同時に倒す技を編み出してきた。中でも二刀を持って戦う技は代表的である。
 実戦で磨かれた技は敵を凌駕し、無敵と恐れられる対象だったが、本家であるアランスト家にサンド流剣術を伝承する者がいなくなってから、かなりの年数が経っている。
 武力を誇ったアランスト家は徐々に政治力を駆使する家柄へと変貌し、軍事力は分家筋が担うようになっていったのである。武力の源であったサンド流剣術も分家筋に伝承され今日に至っており、テプロは久しぶりに現れたアランスト家の伝承者だった。
 彼は10歳のとき、当主である父親に武術の修得を願い出た。しかも、どこで知ったのか、サンド流剣術を習いたいという。
 アランスト家では、社交界での立ち振る舞いや政治力の発現の仕方などに重きを置く英才教育をしていたが、武術に力を入れなくなって久しい。
 あまりにねだるテプロに根負けした父親は、仕方なく遠縁に当たるサンド流剣術のマスターに息子の修練を依頼したのである。
 アランスト家の御曹司は剣術の天才だった。一番弟子となるのに時間はかからなかった。
 テプロの所属する第一騎兵団は貴族出身の軍人達から構成されており、危険な前線に赴くことは殆どなかったが、テプロは別だった。支援という名目で色々な騎兵団に加わり、幾重もの前線を駆け巡った。
 テプロの才能はすぐに認められた。彼のサンド流剣術は無敵で、個の武勇で彼に勝てる敵はいなかった。 
 そして、何より司令部に認められたのが、戦況の読みの鋭さと自軍の兵達を手足のように操る指揮力だった。
 特に頭角を表したのが、エミリア族との戦いである。アロウ平野で国境を接する彼らとはしばしば、交戦状態となっていた。
 アロウ平原最強で褐色の肌を持つことから、黒の騎馬隊と呼ばれ恐れられるエミリア族の騎馬隊を相手に友軍が苦戦する中、テプロ率いる騎兵隊は次々と撃破していく。
 驚異的な光景だった。騎馬に絶対的な自信を持つエミリア族が、テプロに驚異を感じているのだ。
 戦場を華麗に舞うように戦う彼を人々はいつしか、白の貴公子と呼ぶようになった。
「テプロ様。ライトホーネ様がお見えです」
 愛くるしい顔をした女性の召使いが来客を伝える。「ライトホーネか、少し待たせておけ」
「畏まりました」
「いえいえ、それには及びませぬ。私はこれにて失礼させていただきますぞ」
 サンド流剣術マスターが腰を上げた。
「これは、マスター。わざわざおいで頂いたのに、どうぞ客間でお茶でもいかがですか」
「いやいや、テプロ様、お気になさるな。用事があって町に出てきたついでに修練の様子を見に来ただけのこと。わしの突然の来訪こそ申し訳ありませぬ」
「そんなことはありません。マスターの来訪なればいつでも歓迎でございます」
 最近のテプロは軍隊の実務や社交界の付き合いで多忙を極めており、中々サンド流剣術の道場に通えないでいた。
 それを見兼ねたマスターが様子を見に来たのだ。もちろん主家筋のアランスト家に気を使ったこともあるが、デプロの実力を高く買っているからこその対応だった。
「いやはや、お気遣い感謝いたしますぞ。しかし、安心しましたぞ。増々、技に磨きが掛かっておられる。この調子で修練にお励みくだされ」
「有難うございます、マスター。近いうちに道場にも顔を出させていただきます」
 テプロは深々と頭を下げ、見送った。
「相変わらず精がでますな。テプロ様」
 入れ替わりに大柄の男が現れサッと敬礼する。テプロ騎兵隊副官のライトホーネだった。
 20代後半と、まだ若いが、落ち着いた仕草が年寄じみている。決して美男子ではないが、垂れ目でユーモラスな顔立ちに親近感が湧く。上官のテプロとは対照的な容姿だった。
「お前も稽古をつけてやろうか」
「ご勘弁を、テプロ様にはとても敵いませぬ」
 ライトホーネはアランスト家に仕える家柄の出身である。貴族の中では身分の高い家柄ではないが、アランスト家とは遠縁に当たる。
 軍に入りたい、とテプロが申し出たとき、アランスト家当主である父親は強硬に反対した。軍などに入っても何も得られるものはない、というのが理由である。事実、軍事は親戚筋に任せておけば良く、本家が剣を握る必要はなかった。それよりも帝国内における権力争いに権謀術数を弄する術を学んで欲しかったのである。
 しかし、テプロの意思が固いとわかるや、父親は説得を諦めた。その代わり、戦場においてテプロの身の安全が図れるよう、付き添いの者を遠い親戚から抜粋したのである。それがライトホーネだった。
 当初、ボディガードとして、テプロに仕えていたが、ライトホーネは意外なことに指揮力に才があった。そして主の命令はどんなことがあってもこなそうとする強い意思を持っていた。飄々として一見凡人に見えるが、忠実で克つ的確に任務をこなす、この男をテプロは高く信頼し、己の右腕としていた。
「なにかあったか」
「はっ、我軍、セントル兵営に異動完了しました」
「おお、そうか。それはご苦労だったな」
 セントル兵営とは、マルホード率いる第七騎兵団の本拠地である。第七騎兵団への異動に伴い、入営したのである。
「それと、マルボード様より、二週間後に合同演習を開始。我軍も参加せよとの命令ですぞ」
 合同演習を見ればその軍隊の実力が分かる。テプロはニヤっと笑う。
「何か、面白いことでも」
「何を言っている、ライトホーネ。今度の合同演習、お前は楽しみではないのか」
「楽しくなどありませんよ。第七騎兵団に入団後、初の演習ですぞ。他の将校らに舐められぬよう、我軍の実力を見せつけねばなりませぬ。そう考えただけで胃が痛くて仕方ないですぞ」
 ユーモラスな顔で真面目に話すこの男が面白くて、テプロはいつも愉快な気分になる。
「全く何を言っている。能ある鷹は爪を隠すと言うではないか。初見の相手に実力をひけらかすなど愚か者のすることだぞ」
「それでは舐められますぞ」
「それでいいのだ。舐めてもらった方がやりやすいというものだ」
 貴族出身の自分のことを快く思わない者は多いだろう。まして、第七騎兵団は叩き上げの将校たちが多い。その傾向は強いだろう。まずはおとなしくするのが賢明だとテプロは考えていた。
 ライトホーネは納得がいかない様子だったが、思慮深い我が主の言うことだ、何か企みがあるに違いない、と深く考えず、いつものように納得することにした。彼も主であるテプロを信頼していた。
「それと、ビクトからの報告がございます」
「何か分かったか」テプロの目が光った。
「ハッ、今度のローラル平原遠征の目標ですが、十中八九、テネアとのことですぞ」
「テネア?」
「はい、守備軍三千ほどの町です」
 うーむとテプロは考え込む。てっきりローラル平原最大の町であるミネロ攻略が司令部の目標ではないかと考えていたのである。
 テネアは確かにローラル平原の中では主要な町に違いないが、中途半端な印象は拭えない。ローラル平原攻略の足掛かりにするつもりなのか。
 まあ、いい。取り敢えず出征さえ出来れば後は何とかなろう。テプロは己の野望を達成するための足掛かりを探っていた。
「引き続き司令部の動向を探るようビクトに伝えよ。それとテネアの情報も探らせよ」
「ハッ」
 アランスト家が政治力に長けるようになった要因のひとつに優れた諜報力がある。戦略的に武力行使と調略は必然のものだった。武力で王家を支えていた頃から、アランスト家には諜報活動を行う専門の集団が仕えていた。これが転じて今は政治工作を行う集団となっている。

 その中の一つがテプロに仕えていた。ビクト率いる部隊は諜報活動はおろか要人暗殺や偽情報の流布など工作活動もこなす、その筋でのエリート集団だった。噂を聞きつけたテプロ自ら父親に自分の配下に欲しいと、申し入れたのである。
「ところで、今夜は国王陛下主催の舞踏会ではありませぬか」
 ライトホーネの顔を見て、ふうとテプロは溜息をつく。
「浮かぬ顔ですな。テプロ様とご相伴したい貴婦人は引く手あまたではございませぬか」
「それが面倒なのだ。父上と来たら、沢山の御婦人とお近づきになれと申されるが、女の嫉妬というものほど厄介なものはない。等しく接しねば後々面倒なことになる。だが、私の身は一つなのだ。全員と踊る訳にも参らぬ。そのさじ加減が戦より難しいのだ」
「はあ。いやはや、私から見れば羨ましい限りですぞ」容姿が対照的な主従である。互いの苦労は分かち合えぬのだろう。
「まあ、良い。合同演習には私も参加する。それまで兵は充分休ませておけ」
 テプロが邸宅の中に戻ると、召使い達が傅き、衣服の着替えや飲み物を持ってくるなど甲斐甲斐しく世話をする。テプロは夜の舞踏会に備えて入浴することにした。
 この時代、アルフロルドの貴族の邸宅には豪華な浴室があるのが普通だった。中でもアランスト家の浴室は大理石で出来た大きな浴槽にお湯を張った贅沢なものだった。
 若い女性の召使いがテプロの背中をスポンジで丁寧に洗う。先程、ライトホーネの訪問を告げた愛くるしい顔立ちの召使いだった。
 貴族の体を召使いが洗うのは普通のことである。アランスト家では特定の者の役割ではなく、日毎に体を洗う召使いは違っていた。
「逞しいお体。それにとても綺麗なお肌」
 愛くるしい顔をした召使いは指でなぞるように主の背中を洗う。
「マリエッタ、くすぐったいぞ」
 主の注意にも、マリエッタと呼ばれた女の召使いの悪戯気な指の動きは止まらない。
「テプロ様。今夜は高貴な方々とお楽しみになるのでしょう」
 愛くるしい顔立ちのマリエッタは18歳とは思えない色気を纏っている。
「仕方有るまい。舞踏会など私の性に合わぬが、父上からのご命令だ。出席せねばなるまい。それにお前は誤解しているが、ただ御婦人方と踊るだけだ」
「嘘ばっかり。お綺麗な方々と一夜をお過ごしになられるのでしょう」
「夜通し踊ることもある。仕方あるまい」
 マリエッタは指の動きを止める。
「拗ねているのか」
テプロは後ろを振り向く。
「テプロ様など知りませぬ」
 ツンとした表情のマリエッタを抱き寄ると、テプロは口づけする。一瞬、驚いたマリエッタだったが、すぐに顔を赤らめた。
「聞き分けのないお前も可愛いぞ」
 テプロの囁きにマリエッタはボウーとなる。
「テプロ様、私のこともたまには可愛がって頂きとう、ございます」
「分かっている。もう少し待っていてくれるか」
 コクっと頷くマリエッタに、テプロは再び口づける。メイド服が濡れたが、マリエッタはさらに口づけを求めてくる。
 女とは可愛いものだな、と、恍惚の表情を浮かべる愛くるしい顔立ちのマリエッタに情欲の炎が持ち上がるのを自制するのだった。
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