第46話 マキナルとの決闘(3)

文字数 2,238文字

 トラルにゆっくり谷底に降ろされたジュンはノエルに受け止められた。ノエルはすぐさま縛ってあるロープを切断する。
「わーん、ノエル兄ィ」ジュンが思いっきり泣きながら抱きつく。
「怪我はないか」「うん」「本当に良かったぜ」「うん」
「よし、取り敢えず親父達のところに行こうぜ。ほら、俺の背中に乗れ」「うん」ジュンは素直に従い、ノエルに背負われ山道を登る。
「マキナルの望みをお前は叶えてやったのだ」
「父さん」満足そうな顔をして横たわるマキナルの瞼を閉じてやる。
「マキナルは悪人になりきれなかったということなのだろうか。最初、とてつもない邪悪な気配を感じたんだ。それが最後は微塵も感じられなかった」
「かつて、幻の邪剣というものが存在していたことを師匠から聞いたことがある。ジュドー流という流派だ。マキナルが放っていたものは、まさに邪剣の雰囲気だった」
 ジュドー流剣術は、アロウ平野を経て西から伝わったとされる。まだアジェンスト帝国が出来る前、アロウ平野が群雄割拠だった頃の話だ。
 まるで悪魔のような邪悪な軍勢がローラル平原に散らばる小さな国々を襲ったという。その時、兵達は情け容赦ない斬撃を人々に振るったと伝えられている。その剣がジュドー流剣術だ。
 相手の精神をも地獄に落とすような非道な剣に人々は恐れ慄いたが、為す術がなかった。
 その時、人々を救ったのが、見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)の遣い手達だった。元々、見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)は西の国の異人達から伝わったとされる。西の国で信仰されている宗教と深い繋がりがある剣術だと伝えられている。
 世の中の苦しみを斬るのだという。だが、見偽夢想流も月日の流れとともに形が変わり、伝承する者も減り、本来の真髄はあまり残されていない、と、師匠である父からトラルは聞いていた。
「西の国?」「ローラル平原の西の彼方。誰も行ったことのない、幻の国だ」
 そんな国があったなんて、一体どんな国なのか、想像を掻き立てられる。
「その国に行けば、生きる上での苦しみが全て取り払われるそうだ」
 生きる上での苦しみなんてあるものなのか。死ぬ苦しみなら分かる。だがマキナルを見て思う。家族を失ってから、生きていくのが苦しかったに違いない。足掻き苦しみ悪の道に踏み外したのだろう。もし、その国に行けばその苦しみから解き放たれることが出来たのだろうか。
「短期間であれだけの邪悪な気を身に纏うことが出来るのはおかしい。恐らく指南した者がいる」「誰が」「分からん。しかし、何者か邪悪な者が暗躍しているのは間違いない」
 マキナルは最後のところで邪剣に屈しなかったのだ、と改めて思う。これが騎士道なのだろう。
「父さん、俺、騎士になるよ。テネアに行く」
「うむ。そうか」トラルはそれしか言わなかった。既にディーンの決意は理解していたのだろう。やはり、あいつの息子だ、と友のことを思う。
 ノエルとジュンがやってきた。「ディーン兄ィ」ジュンはノエルの背中から下りると一目散にディーンに駆け寄り、抱きつく。
「無事で良かった」抱き止め頭を撫でてやると、うん、うんと頷きながら泣きじゃくる。
「今回ばかりは、さすがに生きた心地がしなかったぜ。けど、親父が大丈夫だって断言するんだ。いや、俺もお前が勝つと信じていたぜ。しかし、親父の様に落ち着いては見ていられなかったぜ」
「ディーンは、マキナルの気持ちを理解していた。何故、決闘相手に選んだのかも。だから大丈夫だと確信したのだ」
「やっぱり、マキナルは死にたかったのだろうか」ウムとトラルは頷く。
 見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)、その真髄に触れたような気がした。マキナルは騎士としての誇りある死を臨んでいた。
 自分を上回る剣術の持ち主に出会うのを、ずっと待っていたのだろう。その思いを開放してやることが出来たのではないか、そう思う。
 マキナルの墓標をこの東の峠牧野の一角に建てた。崖の上の見晴らしの良い場所からは遠くボルデーの町がある方角を向いている。
「さよなら。マキナル、家族と早く会えればいいね」
 崖の上にピューと一陣の風が吹いた。
「ディーン、ジュン」家に帰ると、ライラが二人を抱きしめた。
「ディーン兄ィに助けてもらったよ。わーん」「心配かけて、ごめん。母さん」
「私はあなた達が無事で帰ってくれさえすればいい。謝らなくてもいいわ」
「母さん」ライラの心痛を思うと居たたまれなくなる。
「良かった。本当に良かった」ミラが泣いていた。
「ミラ姉ェ」抱きつくジュンを、ミラは思いっきり抱きしめる。
「ミラ姉さん、帰ってきたよ」二人はしばし感慨深げに見つめ合う。
「お帰りなさい。ディーン」
 ディーンの目から涙が溢れた。俺はこの女性のために帰ってきたのだ。約束を果たすことが出来た喜びと複雑な感情が入り混じり、涙が止まらない。
「さあ、お昼ご飯にしましょう。山鳥の丸焼きとスープにしましょう、さあ、ミラ、手伝だって頂戴」ライラが明るく声を掛ける。
「私も手伝う」ジュンが元気よく立ち上がる。「大丈夫なの、無理しては駄目よ」「もう平気よ、私もお母様みたいに美味しい料理を作れるようになりたいもの」「フフ、ジュンったら」
「お袋やミラ姉ぇみたいに美味く作れるのかよ」ノエルがからかう。
「いいもん、ノエル兄ィなんかに食べさせてあげないから、ディーン兄ィに一杯ご馳走するから。ベーだ」ジュンがディーンの左腕に掴まりながら、あっかんべーをする。
 ロード家にいつもの明るさが戻ってきた。その様子を横目にトラルは馬の乳から出来た茶を口にした。
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