第58話 傲慢の騎士(3)

文字数 4,787文字

 その頃、バルジ城内の指揮官室に、一人の兵士が両腕を拘束されたまま引っ立てられていた。
「俺はもう嫌だ。こんなところはもう耐えられない。アルフロルドに帰してくれ」
 拘束されている兵士はまだ若い男だった。必死にもがき拘束を振りほどこうと暴れている。
「大人しくしろ、この糞野郎」
「言うこと聞かねえか」
 小太りのベテラン兵が太い棒でガンっと頭を殴る。  
 痛い、と若い兵士は絶叫する。頭から血を滴らせてぐったりしながら引きずられていく。
 抵抗を諦め、静かになった若い兵士の前に隊長らしき男が現れた。
「ナンド、軍から逃亡するとは一体どういうことだ」と問い詰める。
「俺は、あんな命令にはもう耐えられない」
「何だと」
「敵兵や民の手脚を切断しろなんていう命令には耐えられないと言っているんだ」
「貴様、部隊長の命令が聞けないのか」
「ああ、そうだ。あんなことは人間のすることじゃない。悪魔の所業だ。まだ、息のある人の手脚まで斬るなんて狂っている」
 ナンドと言う名の若い兵士は一気に捲し立てた。最初は命令に従い、果敢に戦った。何人もの敵兵を槍で突き殺した。敵のエース、バンドム率いる軍勢に押しやられ、退却命令が出された時は、最前線から必死に逃げた。
 その後、バンドムがオクタビア湖北戦線に移動すると、再びバルジに舞い戻り戦って勝利を手にした。
 遂にバルジを完全に掌握したのである。その時は勝利の快感に酔いしれた。
 ところが、ルエル教信者以外の全ての住民を抹殺せよ、と隊長から命令された時から、何か違和感を感じていた。しかし、感覚が麻痺していたのだろう。命じられたまま、敵兵をジワジワといたぶりながら殺し、女は躊躇いもなく凌辱してから殺した。
 ところがある日、自分の妹と同じ年くらいの少女を目の前にして、ハッと我にかえった。
 俺はなんてことをしているんだ。躊躇していると、他の兵達が「何だ、お前の好みじゃねえのか、じゃあ代わりに俺が頂くぜ」とニヤニヤしながら少女に覆いかぶさる。
 少女は悲鳴を上げた。あっと思ったが、止めることの出来ない自分に気付く。心の中でしか、止めろ、と叫ぶことが出来ない。助けを呼ぶ少女の叫び声が聞こえないよう耳を塞ぎながら、その場から逃げ出した。
 その日以来、体調に異常を来すようになった。夢の中に少女が現れるようになった。そればかりか、これまで殺してきた者、凌辱してきた女達が現れるようになった。
 食欲は失せ、まともに眠ることも出来ない。
 次第に衰弱していくが、上官は休むことを許さなった。
「第6騎兵団に入ったからには、生きるか死ぬかだ。怪我を負っている訳でもないのに、休むことは許さぬ」 
 ああ、俺は知っている、使い物にならなくなった兵士達の末路を。死にたくない。嫌だ。拷問されて死んでいくのは嫌だ。
「嫌だ、嫌だ、死にたくない。死にたくない」
「何を言っておる。大事な兵を殺すなどするはずがなかろう。良いか、お前には選択肢が2つある。命令に従うか、反省部屋に行くか、どちらかを選べ、ナンド」部隊長はにこやかな表情で話す。
「嫌だ、嫌だ、俺はアルフロルドに帰りたい。頼む、帰らせてくれ」
 部隊長が反省部屋と呼ばれる個室に連れて行くよう指示した時だった。
「何事ですか。騒がしい」
 背の高い男が立っていた。着ている軍服から上位階級であることが分かる。
 男の顔を見て、部隊長は、あっと声を上げた。細長い顔付きと、細長くつんと伸ばした口髭を首元まで垂らしているのが特徴的な容姿の男だ。
「サ、サンバ副司令官。これはお見苦しいところをお見せしました。おい、早く連れて行け」
 副司令官の登場に兵達は慌てて、サッと敬礼する。
「その兵士は何をしたのですか」「命令拒否の罪で反省部屋に連行するところであります」
「命令拒否ですか」「ハッ」「いけませんね」「ハッ、誠にもって不届き。敵兵の四肢を切断せよという命令はナイトバード様より司令されたもの。反省させます」
「あなた、何か、勘違いしている様ですね」
 部隊長はポカンと口を開けた。
「私が問題視しているのは、あなたのことですよ。部下に命令拒否をさせるなど、あなたの命令の仕方が悪いのでしょう」
「お、お待ちを、お待ち下さい、サンバ副司令官。私は何も間違ったことは命令しておりません」
「弁解は後で聞きます。二人共、司令官室に来なさい」「お待ちを、お待ち下さい」
 部隊長が必死に叫ぶがサンバは振り向かずに立ち去っていった。
 一体、どうなっているんだ。予想だにしない展開にナンドは戸惑う。一緒に連行された部隊長の顔は真っ青だった。
 対して、これから、司令官室に連れて行かれるというのに、何故か落ちついている自分が不思議だった。
 占領したバルジ城にある3階に司令官室はあった。入ったことはない。バルジ攻略の時も市街地で戦闘を行っていた。あらゆる建物を破壊してきた。城も破壊の対象だったが、司令官室のあるレンガ造りの建物だけは破壊を免れてきた。 
 自分達の司令官ナイトバードを見たことは遠目からではあるが何度もある。あの顔は一度見たら決して忘れることが出来ないほど奇異だった。
 左目を覆う眼帯の紐と顔面を斜めに横切る切創が丁度、顔の真ん中で交差しているのだ。まるで何かの罪を犯し、顔面に大きな罰を刻まれたようだ。あの顔を間近でまともに見る自信はなかった。
「第13騎兵隊長ほか1名を連れて参りました」
連行してきた兵士が声を張り上げた。
「入れ」野太く低い声がした。「ハッ」
 部隊長はかなり怯えている。なぜ、そんなにも怯えているのか、不思議だったが、司令官室に入ると、その理由がすぐに分かった。
 異常なまでに鋭い眼光を発している男がいた。隻眼のその男は、視線だけで人を殺すことが出来るのではないか、というほど鋭い。
 眼帯と切創が顔の中心で交差している、ずんぐりとした体格の男、ナイトバードだった。 
 その横にサンバ副司令が立っていた。
「命令拒否の兵士とその部隊長というのは、貴様らか」
「ハッ」
「司令長官に名乗れ」近衛兵が指示する。
「第13部隊長、アルハイであります」
「第13部隊所属ナンドです」
「命令拒否の中身を申せ」
「ハッ。ここにおります我が隊所属兵ナンバが、敵兵及び敵市民の四肢を生死を問わず切断して晒せと、いう命令を拒否したのであります」
 ナイトバードはギロリと部隊長を睨む。
「何故、命令を聞かせることが出来ぬのだ」
「何故と申されましても、反省部屋で反省させようと考えておりましたところ、サンバ副司令に叱責を受けました」
 ツンとした長い口髭を垂らしながら、サンバは顔色一つ変えない。
「反省だと、何を反省させるというのだ。答えい」「ハッ。上官の命令には絶対服従ということを叩き込みます」怒鳴るような低い声に部隊長は縮み上がりながら答えた。
 ナイトバードから冷たい視線が注がれているのを感じる。何か、まずいことを言ったのか。部隊長の顔は、その場で倒れるのではないかと思うほど、生気を失っていた。
「そんなことは軍隊である以上、あたり前のことですよ。司令長官はそんなくだらないことを聞いているのではありませんよ。アルハイ部隊長」
 サンバが顔色変えずに言う。
「命令の意味を理解していないから、この兵士は命令拒否をするのです。命令の目的を理解させるのは、あなたの役目ですよ」
 そんなことを言われても、自分自身、大隊長から何も聞いていない。
「意味も分からず、命令していたのですか。それはお粗末ですね」
 部隊長は、プルプルと震えるだけで、何も言葉を発することが出来ない。
「仕方ありませんね。今一度、目的を教えましょう」  
 サンバが身動きひとつしないまま、話し始める。
「敵の四肢を切断して晒せ、という命令の目的は、第一に我が兵達の安全を確保するためのものです」
 その話は聞いたことがある。敵に残虐行為を行うことで、自軍に対する恐怖心を植え付け反撃意欲を削ぐというものだ。
「敵兵の命は羽のように軽いものです。まして敵国の市民の命はさらに軽い。あなた方は、蠅を叩き潰すのを躊躇いますか。どうです、アルハイ部隊長」
「ハッ、躊躇いなどありません」
 ウムとサンバが頷く。
「兵士達がそれを理解していれば、命令拒否などするはずがありませんよ」
「ハッ」
 部隊長が最敬礼するのを見ながら、ナンドは、違う、副司令の言うことは根本的に間違っていると思う。
「分かればよろしい」
 サンバ副司令が、ナンドの方を向く。
「あなたも分かりましたか。この命令は、あなた方の命を守る為なのですよ。それが分かったのならば、すぐに任務に復帰しなさい」
「分かりません」
 ん、という表情をサンバがした。しかし、直ぐに無表情に戻る。
「何が分からないのですか」
「幾ら、味方の兵達の命を守るためとはいえ、やり過ぎだ。死んだ者の手脚を斬るなど、相手は人形じゃないんだ。俺達と同じ生きている人間なんだ。しかも、俺はまだ、息のある人の手足を切断したこともある。もう沢山だ。アルフロルドに帰してくれ」
 言ってやった。この男達はおかしい。
 相手が副司令であろうと、司令長官であろうと関係ない。人間の尊厳って奴を踏み躙る行いは駄目だ。そう、俺はそれを苦にしていたのだ。
 今は気持ちがスッキリしている。こんなにも晴れやかな気持ちはいつ振りだろうか。ああ、メートフィの神よ。罪深き私をお救いください。
「これは相当、気を病んでいますね」
 病んでいるのは、そっちだろう。
「ここまで放って置くなど、あなたの責任は大きいですよ」
 サンバが真っ青な顔をしている部隊長を見る。
「メートフィの神があなた方を放っては置かないだろう。俺もあなた達も地獄に落ちるだけだ」
「貴様、神を信じておるのか」
 ナイトバードが笑っていた。何だ、この笑みは。まるで俺をあざ笑っているようだ。アジェンスト帝国の者であれば、メートフィの神を信仰しているのではないのか。
「神が、わしを罰すると申しておったな。ならば、今すぐ罰してみるがいい」
 この男は神を畏れぬ者なのか。
「神が人の命を握っていると申すのであれば、今すぐ、わしを殺してみせよ。どうした、お前の信じる神とやらは、信ずる者を救うのではないのか。だが、今、お前の命を握っているのは、このわしだぞ」
「あ、あんな非道な振る舞いをして、天国に行ける訳がない」
「非道な振る舞いとは一体何だ。わしが納得する説明が出来たのならば罪は問うまい。アルフロルドにも帰してやろう」
「あれが非道でなくて何だというのだ。俺を今すぐに帰らせてくれ」
「人を殺し、建物を破壊することが何故、非道な振る舞いなのだ」
「殺されるのは誰だって嫌だろう」
「ほう、死ぬのは嫌か」
「そうだ」
「それが神の意向だとしてもか」
「神がそんなことをするはずがない」
「信仰など、独りよがりに勝手に思い込んでいるだけのものよ。お前の信仰は真の信仰ではないわ。困った時だけ都合よく神を利用しているだけに過ぎんぞ。そんな不確かなものより、わしを信じよ」
 そんなはずはない。神は全ての者達をお救いになる。どんな罪を犯したとしてもお救いになるはずだ。
「いいだろう。お前にチャンスをやろう。わしと立ち合い、もし、わしを倒すことが出来たならば、望み通りアルフロルドに帰してやろう。それが神の存在の証になろう」
 おやっという表情で、サンバがナイトバードを見る。「よろしいのですか」
「構わん。ナンドとやらに剣を与えよ」
 両脇にいた兵士が戸惑いながらナンドの拘束を解く。
 それを見て、ナイトバードがゆらりと立ち上がる。 
 ずんぐりとした羆のような体が、目の前に立つと凄まじい迫力に圧倒される。そして、異様なまでのドス黒いオーラを感じる。
「ナンドに剣を与えなさい」
 抑揚のない声でサンバが近衛兵に指示する。
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