第19話 エムバの王子(2)

文字数 2,408文字

「あ、エリナ」
 茶色の長い髪に黒く澄んだ大きな瞳、同い年の少女、アルジの許嫁のエリナだった。有力な集落の長の娘で、生まれた時からアルジの元へ嫁ぐことが決まっていた。
「アルジ様が酷い怪我をしたと聞いたの。でも中々、お帰りにならないから探しに来たのよ」
 エリナは幼い時から、将来の妃となるための修業をするため、王の舘に年に3回ほど来ては一ヶ月ほど滞在していた。幼馴染として長い時間を過ごした二人だった。
 18歳になったら二人は結婚するのだと、物心ついた時から、ずっと言われ続けてきた。
 しかし、今年はこれまで一回も来ておらず、今回も王と謁見するという父に付きしたがって来たということだった。2日前に来たばかりだったが、明日には帰るのだと聞いた。
 久しぶりにみたエリナは前より美しくなり、まともに顔を合わせることが出来ない。しかし、チラッと見たとき、少し俯き加減だったのが気になっていた。
「まあ、なんて酷い怪我」
 アルジを見たエリナは、黒い瞳を大きく見開き驚いた。咄嗟に着ていた服の袖をキッと引き千切ると、まだ血が止まっていない額にクルクルと巻く。怪我で酷い痛みだというのに、間近にいる美しい少女から香る良い匂いにアルジはドキドキする。
「すぐに治療しなくちゃ、さあ早くお屋敷に戻りましょう」
 アルジの右腕を取り、立ち上がらせようとするが、アルジはその腕を振りほどく。
「アルジ様?」
 エリナはかなり驚いたようだった。
「僕のことなら放っといてくれ」「アルジ様」
 武術の修練で他の少年達から受けた怪我であることをエリナは察していた。
「だけど酷い怪我よ。直ぐに治療をしないと」
「放っといてくれ、と言っているんだ」
 アルジは声を荒げる。エリナに八つ当たりする自分が嫌になるが、気持ちとは裏腹に止めることが出来ない。ああ、本当に僕は駄目な奴だ、と益々落ち込む。
「僕は分かっているんだ。みんな、僕なんかが王の役目を果たすことなんて出来ないと思っているんだろ。家臣達が陰口を叩いているのも知っているさ。弟達の方が僕より体が大きいし、王になるのに相応しいって」
「そんなことはないわ」
「いいよ。慰めなんて要らない。僕は王になんか成りたくないよ。でも父上は僕を王にすると言ってきかない。どうして、こんなに背の低い僕がエムバの王なんかになれるんだよ。家臣達は食事量が足りないから大きくなれないんだ、と言って吐くまで食べさせようとする。 もう沢山だ」
 エリナは悲しい目でアルジを見つめるだけだった。
「どうせ、エリナも心の中では、僕なんか王に相応しくないと思っているんだろ」
「どうして、そんな悲しいことを言うの、アルジ様。私はこれまで一度足りとも、貴方のことを王に相応しくないなんて思ったことはないわ」
「嘘だ。君は僕の妃になるから、僕に気を遣っているだけだろ」
 言ってしまってから、アルジは言い過ぎたことに気付いた。我に返ってエリナを見ると、美しい瞳から涙が溢れ出ていた。
「貴方は自分の良さに気付いていないだけ。私は知っているわ。貴方は誰にでも対等に優しく接する心を持っている人。慈悲深さは王にとって一番大切なこと。貴方は一番王に相応しい人。私はずっとそう信じているのよ」
「エリナ」
「私は御屋敷に来るのが、いつも待ちどおしかった。アルジ様と一緒に過ごせる時間が本当に楽しかったの。アルジ様のお妃になって一緒に暮らすのが私の夢だった」
「ごめん、エリナ。言い過ぎた」
 エリナは涙を拭うと、立ち上がった。
「今日はね、アルジ様にお別れを申し上げに来たの」「え」
「私はアルジ様のお妃になることを辞退することになったの」
「え」
 エリナは酷く悲しい顔をしていた。こんな彼女を見たことはない。
「う、嘘だろ。どうして」
「お父様がね、アルジ様との婚約を解消したいとお考えなの。そして、今日、国王陛下のお許しを頂いたわ」
 怪我の痛みが一気に吹き飛んで行く。何も言葉が出てこない。
「アルジ様と一緒に過ごした日々は本当に楽しかった。私、絶対に忘れないわ」
「エリナ、なぜ、どうして」
「ありがとう、アルジ様。貴方が立派な王に御成りになることを、私、私は心から信じているわ」
 エリナはくるっと踵を返すと、階段を登っていく。待ってくれ、と叫ぶが、エリナは振り返らずに石畳の階段を駆け上がっていった。
 これは本当のことなのか、急いで屋敷に戻ったアルジは父王レンドに詰めよる。
「父上、エリナとの婚約破棄のこと、本当なのですか」「本当だ」「何故です、なぜ」
「ライクルの強い意向だ」
 ライクルとはランバ集落の長であり、エリナの父の名前だ。
「お前との婚約を解消し、ハルバ集落の跡取りに嫁がせたいとの意向だ」
 ハルバ集落の跡取りだって、ああ、ラリマーのことだ。物凄い衝撃を受ける。
「幼き頃より、エリナと交流を深めていたお前の気持ちは知っている。だが王とて集落の長の意向を曲げることは出来ん」
 あ、ああ、とアルジは力なく王の間を去っていく。 
 その後、増々、消極的な性格を強めていくアルジのことを人々は危惧した。アルジより背が高く勇猛な弟達の方が王に相応しいのではないか、そう進言する者達も少なくなかった。
 しかし、レンドはそんな声に全く耳を傾けなかった。跡継ぎはアルジである、そう言ってぶれることはなかったのである。偉大なる父王レンド様はエムバ族の中でも立派な体格を持ち勇猛果敢であるのに、王子ときたら、臣下達は国の先行きを案じ溜息を落とす。
 そんな陰口もアルジに取って、今やどうでも良いことだった。大事なものを失った喪失感で、何もする気が起きない。ああ、僕は一体、何のために生まれてきたのか、なぜ、神は僕にこんな貧弱な体をお授けになったのか、自室に籠もる日々が続く。
 そんな様子にレンドは、来月エムバにやって来るはずの、旧知の友である、山賊ヨーヤムサンにアルジを託してみようと決意したのである。
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