第50話 白の貴公子の結婚(1)

文字数 2,565文字

 テルプト教会の鐘の音がアルフロルドの街に響き渡る。今日ここでアランスト家嫡男テプロ・アランストとアランバート家令嬢エルシャ・アランバートの結婚式が挙げられていた。メートフィ教の教義に従って式は厳かに執り行われた。
 鐘の音が7回鳴り、高貴な男性が第一夫人を娶ったことを人々に知らせる。3人まで妻帯が認められているメートフィ教では、第一夫人を娶った時は7回、第2夫人の時は5回、第3夫人の時は3回と決められている。 
 式が終わり、アランスト邸では豪華な披露宴が催されていた。名だたる多くの貴族や有力者達が名家同士の結婚を祝うため招かれたほか、皇帝マントヴァ三世から直々に祝いの言葉を賜ることになっている。
 サマンド最高司令官も第一夫人を伴って出席した。こういう席で第一夫人を伴うということは招待者が高貴な身分であることを意味している。相手の家柄に応じて同伴する夫人が違うのだ。
「おめでとう。アランスト子爵。今日の席では小軍長よりも子爵の呼び名の方が相応しかろう」
「これは、サマンド最高司令官。お気遣い恐れ入ります」テプロは白い軍服を身に纏っていた。軍人が冠婚葬祭で着衣するフォーマル衣装だ。凛々しいその姿は今日も健在だった。
「エルシァ殿、おめでとう。なんと美しい花嫁だ。貴女ほどアランスト子爵の第一夫人に相応しい淑女はおられますまい」「勿体ないお言葉、恐れ入ります」
 花嫁は顔を赤らめる。宝石が散りばめられた黒を基調としたドレスは茶色の濃いブロンドの髪とマッチして見る者を魅了する。
 稀代の色男として名高いデプロが結婚すると知らされた世の人々の反響は悲喜こもごもだった。恋焦がれていたうら若き淑女達は傷心と嫉妬の感情に苛まされ、紳士達はテプロも遂に年貢の納どころよ、と囃し立てる。
 庶民はあの色男がこれで満足するはずなどない、すぐに浮気するに違いないと、有ること無いことを噂し合う始末だった。
 テプロの結婚はしばらくの間、アルフロルドの人々に話題を振りまいたのである。
「エルシャ、私は貴女という素晴らしい女性を手に入れたことが今でも信じられない」
 窓辺のテラスでテプロは若妻の肩を抱く。
「テプロ様、それは私もです」うっとりとした表情でエルシャが身を預けてくる。
「だが、君を残して一年後に僕はローラル平原に出征しなくてはならない」若妻の表情が少し陰るが、すぐに微笑みを浮かべる。
「まだ一年もあります。愛しい貴方と過ごすのに十分な時間ですわ」
 ほうとテプロは感心しエルシャを見る。ああ見えて芯の強い女性だと、ナルシア夫人が評していたのを思い出す。エルシャはアジェンスト帝国指折りの高貴な家に嫁いだ意味を知っているのだ。
「テプロ様、それまではどうか私だけを愛してくださいませ」「エルシャ、君は私のかけがいのない女性だ。決して君を離さない」エルシャを抱き寄せ口付ける。
 その夜、テプロとエルシャは初めての夜を過ごした。緊張から開放されたのか、スヤスヤと眠っているエルシャを起こさぬよう静かにベッドを離れテラスに出る。サワっと微風が流れた。何物かの気配に気付く。
「ビクトか」
「ハッ」
 中庭の大きな木の枝に黒い影がいた。「こんな時間に無粋な真似を致して申し訳ありません」
「構わぬ。何かあったか」
「ハッ。20年前のローラル平原出征のこと、ひとつ小耳に挟んでいただきたいことがございます」
「ほう、申してみよ」
「幻の騎士のことです」「幻の騎士?」
 20年前のローラル平原出征の時、国では妙な噂が流れていた。縦横無尽に戦場を駆け巡り、敵を一人残さず殲滅する悪魔のような男がいると。
 圧倒的な武力と人心掌握術を駆使し、相手を拐かし、地獄の底に追いやる男がいる。しかも、その男の行動は司令官すらも関知していないという怪談話の様な噂だ。
 当初、テプロは気にも止めなかったが、ある逢瀬の夜、ナルシア夫人に言われたことが頭に引っ掛かっていた。
「しばらく貴女と会えなくなるのは心残りです」
「それは奥様に言うべきことよ。フフ、でも白の貴公子にしばらく会えなくなるのは本当に残念ね」
 久しぶりの密会だった。珍しくナルシア夫人は寂しそうな表情をする。
「貴方に面白い話を教えてあげるわ」「何でしよう」「幻の騎士の話はご存知かしら」「いえ、知りません」
「そう」
 ナルシア夫人は語りだした。20年前のローラル平原出征の時、縦横無尽に敵陣を駆け抜け、暴虐の限りを尽くした男がいた。
「だけど、誰もその男の名前を知らない」
「司令官はご存知でしょう」
「フフ、司令官すら知らなかったそうよ」
「?」
 不思議な話だった。噂や怪談話の類だろう。しかし、その程度の話をナルシア夫人がわざわざする訳がない。夫人が意味のない話をしないことは知っている。
「フフ、さすがに司令官は知っていたと思うわ。だけど恐らく詳しい素性は知らされていないはず」
「確か、当時の第7騎兵団司令官はロメロ将軍と聞いていますが」「そうね。けれど彼はもうこの世にはいない。5年前に亡くなったわ」
 軍のかなりの機密事項のようだ。
「夫人はご存知なのですか」夫人はベッドの上で寝返りを打つ。
「知らないわ」
 夫人でも承知していない事があるとは驚きだ。
「でも、主人は知っているはずよ」
 サマンド最高司令官クラスしか知らない事項とは、一体。父であるアランスト公爵は知っているのだろうか。
「もしかしたら、お父様はご存知かもね。けれど詳しい話はご存知ないはず。いいえ、知りたくないと言った方がいいかしら」
 夫人の白い肢体が青ざめていくのが分かった。ああ、夫人は知っているのだ。
「今は知らない方がいいわ。ただ、世の中には奇妙な話があるもの。それだけ知っていれば充分よ」
「夫人、一つだけ教えてください」「何かしら」
「幻の騎士とやらは、今も生きているのでしょうか」 
 しばしの沈黙があった。
「生きているわ。いえ、眠っているといった方がいいかしら」「そうですか」
 それ以上、夫人は何も話さなかった。テプロは幻の騎士の話に興味を持ち、ビクトに正体を探るよう指示したのだ。
 ところが、中々ビクトは情報を持ってこなかった。諜報活動の達人であるビクトがこれだけ手こずるのは余程のことである。あるいは本当に只の噂話なのだろう。そう思い、忘れかけていた頃だった。
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