第47話 聖地から来た二人の少年と女山賊マーハンド(1)

文字数 5,737文字

 アデリー山脈の裾野のとある小さな町に無法者達で賑わう酒場がある。
 かなり大きな店で、100人ほどは入れるだけの広さがある。ここはアジェンスト帝国領であるが、守備軍もあまり寄り付かない場所だ。
 この店の女主人は、食材の仕入れのことで悩んでいた。先程、注文通り鹿肉が入ってこないことが分かった。ストックしていた分はまだ有るが、もう少しで底を着く。来週まで持つか、どうか分からない状況だった。
 実は、干し肉用に保存していた分が別にあるのだが、それに手を付ける訳にはいかない。
 今年は森にいる鹿の頭数が少ないのだと、馴染みの卸人から聞いた。この店は肉料理が売りだ。中でも、鹿肉の煮込みは一番人気である。
 でも、無いものは仕方がない。明日、馴染みの狩人と直接、交渉してみるとしよう。それでも、手に入らないのであれば、鶏肉で代用するとしよう。女主人はそう頭を切り替えた。
 そんな酒場に、ある日、見知らぬ二人の少年がフラッと現れた。一人は二メートルは超すほどの大男で大きな剣を背負いながら、ノッシノッシと歩いている。 
 もう一人は対照的に小さな背中に弓矢を背負い、セッカチそうにキビキビと歩いている。
 今日も店は男達で賑わっていた。見掛けぬ客の来店に少しお腹が出た中年の男が声をかける。この店の案内役だ。
「うちの店に入るのなら、剣と弓矢は預からせてもらうぜ」
「何だと、丸腰で入れってのか」
 大きい方の少年が、物凄い迫力で怒鳴った。その声の大きさに、店中の者が一斉に振り向く。
 丸顔で焦茶色の太い直毛の髪、目、鼻、口、全てのパーツが大きかった。
「丸腰で入るのはいいけどよ、他の客は武器を持っているぜ」
 小さい方の少年も文句をいう。サラサラとした金髪と鼻と頬にあるそばかす。一重瞼で少し出っ歯気味である。
「あんたらはこの店は初めだろう。申し訳ないが初めての客には武器を置いてもらっているんだ。じゃねえと、常連客が安心して飲めないんでな」
 店の男は一歩も引く気配を見せない。大きい方の少年は顔を真っ赤にし、今にも飛びかからんばかりの表情で、「俺達は腹が減ってクタクタなんだ。いいから早く入れろ」と威圧する。
「俺達は飯が食いたいだけだぜ。それと酒も飲みたい。金は持ってんだ。あっちから手を出さない限りは俺達から手を出すことはねえから安心しろよ」
 小さい方の少年も口調はそれほどでもないが、明らかに怒っているのが分かる。
「うちのルールに従えねえのなら、他所にいきな。別に止めはしねえぜ」「何」
 一触即発の状況に客達が一斉に立ち上がる。
「なんだ、やるのか」二人の少年は客たちを睨み返す。その時、一人の中年の女性が現れた。
「あんた達、酒を飲みに来たんだろう。だったら、店のルールには素直に従うもんだよ。酒が不味くなるよ」
「誰だ、あんたは」
 突然、現れた中年の女性を少年達は怪訝な目で見る。穏やかな表情の中肉中背の普通の女性だ。こんな荒くれ者達が集う酒場には不釣り合いな存在に思えた。
 しかし、女性は「この店の主さ」と名乗った。少年達はかなり驚いたようだった。
「今日は子鹿の熟成肉に、いい酒もある。どうだい、飲んでいかないかい」
 女性が微笑むと、何故か警戒心が薄らぐ。
「だけど、丸腰だとな」大きい方の少年が、チラッと客たちを見る。小さい方の少年はずっと警戒している。
「そう身構えなくてもいいから安心おし。ここに居る客はみんな、いい奴らばかりだよ。訳もなく襲ったりする連中じゃない。それは私が保証するよ」
「でもよ」なおも、大きい方の少年が納得しない顔をする。
「私を信じな。まあ、確かに喧嘩沙汰はしょっちゅうさ。けれど、殺し合いまでにはならないよ。いいや、私がさせやしない。それとも、何だい、あんたら、武器がないと喧嘩も出来ないのかい」
「何だと」大きい方の少年が声を上げる。
「まあ、待てよ、タブロ。ここは大人しくした方が良さそうだぜ。確かに俺達なら、丸腰でもやれる」小さい方の少年が諭す。
「チッ、分かったぜ、ジミー。だけど、本当に小鹿の熟成肉は食えるんだろな」
「ああ、たっぷりとあるから心配しなくてもいいさ。うちの料理人は腕自慢だから味は保証するよ」
「あんたの口車に乗っちまったような気もするが、仕方ねえ。空腹には勝てねえよ」
 そう言いながら、小さい方の少年が背中から弓矢を下ろす。
「ちゃんと預かってくれるんだろうな、刃こぼれなんかしていやがったら、ただじゃ置かねえぜ」
「安心おし。武器はあんたらの命を守る大事な物だ。ちゃんと預からせてもらうから、ゆっくり楽しんでいきな」
「ああ、分かったぜ」
 大きい方の少年が背中から剣を降ろす。あまりの剣の大きさに皆、驚くが女主人は顔色一つ変えない。
「あんた達の名前を教えてくれないかい」
「俺様はタブロ、タブロ・アーグンだ」と、大きい方の少年が名乗る。
「俺の名前はジミー、ジミー・コンデニエンスさ」と、小さい方の少年が名乗った。
「二人共、いい名前じゃないか。あたしの名前はマーハンド。この店の主さ。ようこそ」
 マーハンドは、この少年達に興味を持った。この年で酒を飲みたいと言うのは普通ではないが、カウンター席に案内し、相手をしながら素性を探ることにした。
 あまり手持ちがなさそうだったので、まずは手頃なワインを出してやる。
「こいつは私の奢りさ。口に合うといいけどね」
「おお、有り難え」「喉が死ぬほど乾いていたんだ。恩に着るぜ」
 二人は本当に嬉しそうだった。それにしても、この歳で酒の味など、よく分からないだろう。だが、なんの躊躇いもなく、グビグビと飲むことから、普通の生い立ちをしていないことは伺い知れる。
 よほど美味しかったのか、すぐに二人は上機嫌になり、すぐに二杯目を注文する。そのへんは素直で年相応の少年らしかった。
「あんた達はどこから来たんだい」
「俺達は、アルフレムから来たのさ」
「アルフレムって、聖地アルフレムのことかい」
「ああ、そうさ」
 ここからはかなり遠い。アジェンスト帝国の端から端へ縦断するほどの距離だ。しかも、この少年達はアジェン人ではなさそうだった。異国から来たのが分かる。
 少年達は、酒が進み、かなり口も滑らかになってきていた。子鹿の熟成肉の煮込みが出てくると、堪らず齧り付く。お腹もある程度満たされてくると、促すまでもなく、身の上を語り始めた。
「タブロと俺は生まれたときから孤児なのさ。生まれてすぐに、親に捨てられちまったんだ。そんな俺達は、マルザ婆さんの孤児院で育ててもらったのさ」「教会の孤児院かい」
「そうさ、マルザ婆さんは、ルエル教の修道女なのさ」
 ルエル教か、恐らく少年達は、信仰の中心地であるピネリー王国から来たのだろう。
 小さい方の少年、ジミー・コンデニエンスが語ったところによると、彼と大きい方の少年タブロ・アーグンは、共に16歳の幼馴染で、聖地アルフレムの修道院で育った孤児ということだった。
 アルフレムとは、3つの宗教の聖地がある町の地名である。3つの宗教とは、ミロノ王国の国教であるミロノ教、アジェンスト帝国の国教であるメートフィ教、3つの中では一番新しく150年前に開教し、ピネリー王国で広く信仰されているルエル教である。
 こうした宗教的要素に溢れる都市アルフレムは2つの区域からなる。どこの国にも属さず、不可侵条約が結ばれているサンクチュアリ・エリアと、その周辺に広がるフェイス・エリアである。
 サンクチュアリ・エリアは三賢人と呼ばれる、三つの宗教の指導者が治めている。その周りを囲むようにフェイス・エリアと呼ばれる市街地があるが、そこは三国の国境が引かれている区域だ。
 いわば三国に囲まれた中心にサンクチュアリ・エリアがある形だ。 
 そして、二人が育ったのは、ルエル教の信者が多く住む、ピネリー王国領のフェイス・エリアだった。
 ここには、ルエル教の教会が立ち並び、信仰の為、慈善活動を行う施設も多い。病院、孤児院、養老院が数多く建っていた。その中の小さな孤児院で二人は育てられたのだ。
「俺達は、孤児院の生活がつまらなくてさ、しょっちゅう、抜け出しては悪さばっかりしていたのさ」
「どんな悪さをしていたんだい」
「ああ、腹が減ると、店から食物をくすねたり、それにタブロは気が短くてさ、気に入らねえと町の荒くれ者達と、すぐに喧嘩になる訳さ」
「何だと、ジミー、お前だって、喧嘩っ早いじゃねえか」黙々と子鹿の熟成肉を頬張っていたタブロが顔を真っ赤にして反論する。
「何いってやがる。お前のお陰で、余計な喧嘩に巻き込まれて、生傷が絶えなかったんだぜ」
 二人共、気が短いようですぐに口喧嘩が始まった。 
 これで、よく二人だけで旅してきたものだ、とマーハンドは呆れる。
「喧嘩は止めときな、折角の料理と酒が不味くなるじゃないか」ああ、そうだなと、渋々二人は酒と料理を再開する。
「それにしても、本当に美味いぜ、こんな料理は初めて食った」タブロが感嘆の声を上げる。
「ああ、このワインもすげえ美味いな」ジミーも器を空け、お替りを所望する。つい今しがたの言い争いのことなど、すっかり無かったかのようだ。
 二人共、あっさりサバサバした性格なのだろう。いつまでも引きずることがない様子の二人にマーハンドは好感を持った。
「でもさ、俺はマルザ婆さんが作ってくれた蒸しパンが食いてえよ」「ああ、俺もだ」「そんなに美味しいのかい」「いや、粗末な材料で作った只の蒸しパンさ。何せ、貧乏な孤児院さ。美味いと思ったことはねえよ」「ああ、誰が食っても不味いと言うと思うぜ。けどよ、いつも腹を空かせた俺達のために、沢山作ってくれたんだ。あの味は忘れられねえ」
「ああ、マルザ婆さんに会いてえよ」
 急にタブロが泣き出した。
「馬鹿野郎、こんなところで泣くんじゃねえよ。ちきしょう、俺も泣きたくなってきたさ」
 ジミーもオンオンと泣き出す。
 誰にも憚らず号泣する二人の少年に、他の客たちは何事が起こったのかと騒然となる。マーハンドは泣き終わるのを静かに見守った。
「落ち着いたかい」
 しばらくして、真っ赤に目を腫らし、鼻水でグシャグシャとなった少年達に声を掛ける。
「あ、ああ、大丈夫さ」「みっともねえところを見せちまったな、済まねえ」
「ほら、これで顔を拭きな」二人に清潔な布切れを差し出す。「ああ、済まねえ」「ありがとさ」
 少年達が落ち着いたのを見届けると客たちは、また賑やかに飲み始める。
「マルザさんが、あんた達の親代わりなんだね。泣くほど恋しいんだ。よっぽど良い人なんだね」
「ああ、マルザ婆さんは、俺のお袋だ」タブロが子鹿の熟成肉を口いっぱいに頬張りながら話す。「俺のお袋でもあるさ」ジミーは、しんみりと話す。
「そうかい、あんた達の母親なんだね。でも他人の子を我が子同然に育てるなんて、中々出来やしないよ。あんた達、マルザさんに感謝するんだね」
「婆さんは死んだんだ」タブロがボソッと話す。
ジミーは押し黙った。
「俺達は、孤児院の中でも一番の問題児さ。喧嘩っぱやいし、いうことは聞かねえし。俺達を恐れて誰も近づいて来ねえから友達もできやしねえ。修道院の女達も俺達には匙を投げてたんだ。放ったらかしさ」
 タブロは、酒をガブッと飲みながら、話を続ける。
「でも、マルザ婆さんだけは、そんな俺達のことを見捨てなかった」
 タブロが語ったところによると、マルザは分け隔てなく孤児達に愛情を注ぐ人だったらしい。いつも反抗的で、悪さばかりする二人にも愛情を平等に注いだ。
 厳しく叱ってばかりで、時に怒声を飛ばし合うこともあったらしいが、いつも何事にも真剣に向き合うマルザを二人は慕っていたという。
 朝夕の礼拝を欠かさず、いつも神に感謝の意を捧げる人だった。二人も朝夕の礼拝に無理やり連れて行かされていたらしい。
「マルザ婆さんには、叱られてばかりだったけどよ。礼拝をサボった時は、やばかった。とんでもなく怖いんだ」
「ああ、小さな体なのにさ、すごい迫力さ。そうなったら、何も言い返せないさ。怒りが治まるのを待つしかねえさ」
 二人はしょっちゅう孤児院を抜け出しては、街に繰り出し、少年の身で有りながら酒場や娼館に出入りしていた。
 しかし、街に繰り出す時は、夕方の礼拝を終えてから出かけ、夜更しすることがあっても朝の礼拝には必ず間に合うように帰ってきた。
「俺達は全知全能の神様に生かされてんだから、朝と夕方に神様に感謝の意を捧げるのは当たり前なんだとさ」「礼拝を怠るのは自分の人生を否定しているのと同じなんだとも言っていたな。難しい話は良く分かんねえけどよ」
 修道女であれば礼拝は当たり前なのかもしれないが、マルザの信仰の深さが良く分かる。
「だけど、あんた達、遊ぶ金はどうやって工面したんだい」孤児院にいる二人が遊ぶ金を持っているはずがない。まさか強盗でもしたのか。
「ああ、店に雇われてたのさ。ほら、あんたの店もそうだけど、酒場は気の荒い連中が多いだろう。娼館にだって暴れん坊や、変態野郎がくる。まあ、喧嘩くらいで収まるなら良いけどさ、中には、いちゃもんつけて金をふんだくろうって奴もいるさ」
 ジミーが右手をヒラヒラさせる。
「女達だって、そうだ。危ねえ野郎が客に付いたら、命に関わるだろう。実際に入れ込んだ野郎に追い回されて殺された女を見たぜ」
 タブロが憤った表情を見せる。
「自慢じゃねえが、俺達より強いやつは町には、いなかったぜ。店の奴らも、それが分かっているから、やばい奴が来たときの為に俺達のことを雇っていたのさ。俺達は金を請求しない代わりに、只で酒を飲み、女を抱かせてもらったって訳さ」
 タブロがプハーッと熱い息を吐きながら酒を飲む。
「ところで、ここには女はいるのかい」「あと、泊まるところはあるのか」と、ジミーが付け足す。
「女を抱きたいのなら、この店の隣にアザンドの屋敷がある。そこで、マーハンドの店から来たって言いな。そこは泊まることも出来る」
「そいつは有り難いさ」「助かるぜ。ちょうど女の肌が恋しくなってきたところだったんだ」
 この年で酒と女遊びとは、大した坊主達だ、とマーハンドは呆れる。
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