第7話 オリブラの民(3)

文字数 2,137文字

 翌朝、早くからトラルとディーンは日課である剣の修練を行っていた。家の傍にある森の中が修練の場だ。
 木々の間から差し込む光で早朝の森は荘厳な雰囲気に包まれていた。剣捌き、体捌き、木刀を使った立ち合い、そして実戦的な組み打ちまで、修練の内容は多岐に及ぶ。
「ディーン、集中しろ。木を見るな。空気を斬るように意識しろ」
 大人の胴ほどはあろう太い幹を前にしてディーンは剣を構えている。トラルは腕を組み見守っている。
 ディーンは剣で木の幹を切断しようと試みていた。無謀といえた。いかに切れ味抜群な剣といえども、人の力で一刀両断に出来るものではない。
 息子達が物心ついた時から、トラルは剣術を教えてきた。二人の兄弟は対照的な剣技を身に付けていた。腕力に優れるノエルは力任せの剣、いわゆる剛剣だった。対してディーンは切れ味とスピードを特徴とした剣だった。
 かつてトラルはローラル平原に散らばる小さな国の王たちに請われ、見偽夢想流を伝授すべく各国の騎兵団を渡り歩いていたことがあった。
 それはテネア王の意向でもあったし、父であり師匠の意向でもあった。武術を教えることには慣れており、自分の身は自分で守らねばならない、と息子達にも武術を教え込んでいたのである。
 これまで、ディーンはこの太さの木を斬ったことがない。何度チャレンジしても剣が幹に食い込み、刃こぼれするだけだった。
 こんなこと出来る訳がない、とトラルに反発したこともある。
 しかし、目の前でトラルが見せた剣技はまさに神技だった。横に置いた大人の胴周りほどの太さの木を三本まとめて真っ二つにしたのである。信じられなかった。
「ど、どうやれば斬れるの」
「ディーン、太い木だと思うから斬れないのだ。空気を斬ると思えば必ず斬れる」
 その日からディーンは取り付かれたように剣の修行に勤しんだ。
 そして今、目の前に太い木がある。静かに目を閉じた。空気を斬るが如く五体を隅々まで研ぎ澄ませる。
 余計なことは考えるな、自然と一体化するのだ。瞑想している内に目の前の木が消えた。
 ディーンは静かに剣を頭上に振り被り構える。無駄な力は消え、スウーと自然に剣が振り下ろされた。
 一瞬、時間が止まったようだった。気付いた時、ゴロンと木の幹が二つに切断され転がっていた。
「で、出来た」
 信じられず、その場に立ち尽くす。
「よくぞ、奥義、雷撃斬を会得した。今、お前の力と精神は剣の一点に集中していた。剣は力では無い。どんなに力が強くとも心と離れていては、どんなに細い木すら切り倒すことは出来ぬ。逆に僅かな力でも心が集中していれば、太い木を切り倒すことが出来る」
 何度も父から言い聞かされた言葉だった。これまでは一体何を言っているのか分からなかったが今なら分かる。正に心技体が整って初めて出来る技なのだ。
 見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)。かつてローラル平原一の剣と呼ばれた流派である。この剣の遣い手はもはや存在しないとされ、幻の剣と呼ばれて久しい。
 騎士であるならば誰しもが目指すべき剣技とされた。何故、トラルがこの幻の剣技の遣い手であるのか、理由を知る者は少ない。
 その日以来、ディーンは益々、剣の修行に勤しんだ。この修行は木こりの仕事にも生かされた。剣を斧に持ち替えれば、どんな木であろうとも一振りで切断出来たのである。
 次第にディーンは大人の胴ほどの太さの木を3本まとめて切断できるようになっていた。
 村の者達はディーンの技を目の当たりにして驚愕した。通常、一日に10本斬れれば良いとされる木の伐採を少年がこともなげに次々と30本ほど切断していく。
 さすがはトラルの息子よ、と村人達は畏敬の念を持ってディーンを見た。トラルを変人扱いしている村人達であったが、木こりとしての技術と元騎兵隊としての武の力には一目置いていたのである。
 守備軍も寄りつかないエネリー山脈の小さな村である。山賊など、外部からの来襲者には自分達で対処しなければならないのである。
 実際、五年前に重罪を犯した無法者が守備隊の追跡を逃れて村に紛れ込んできたことがあった。人を10人も殺し強盗を働いてきた男である。
 その男は無法者であったが、優れた剣技の持ち主でもあった。いわゆる騎士崩れである。このため男を追う守備隊員も何人もが犠牲になっていた。
 オリブラに入り込んだ男はとある一軒の家に女子供を人質に立て篭もった。
 泣き叫び助けを乞う家主を宥め、トラルは一人、丸腰で無法者が立て篭もる家に向った。
 人質を盾に一歩も近づくなと要求する男に対して、トラルは挑発の言葉を投げかけた。
 お前の剣技など大したことはないと言い放ったのである。
 プライドを傷つけられ逆上した男は剣で立ち合うことに同意した。トラルをぶったぎりにしないと気が晴れなかったのである。
 しかし、いざ立ち合うと勝負は一瞬だった。無法者は見偽夢想流の遣い手であるトラルの敵ではなく一太刀で絶命した。
 斬られたことすら分からないであろう光速の剣であった。
 この時以来、トラルは益々村人達から信頼を得るようになっていた。頼りになる存在だったのである。そんな父親を子供達は誇りに思うのだった。そして今日も親子三人は森の中に入り、木の伐採に精を出すのだった。
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