第36話 疑心の騎士(1)

文字数 2,634文字

「出発だ」そういいながらヨーヤムサンが立ち上がると、全員が腰を上げる。少し前にルナが斥候として単独で出発していた。崩れそうな空を見上げながら、一行は先を急ぐ。風景はゴツゴツした岩肌から緑がまばらに茂る高地へと移り始めていた。
 少し先に、深い渓谷が見える。一行は渓谷伝いに下流に向う。下流に行けば次第に切り立った崖が低くなり、渡河出来るところがあるからだ。ただし、その分、川幅は広くなっている。
 ルナがこちらに走って来るのが見えた。疾駆のルナと称されるだけあって、急峻な道をまるで雪豹のようにしなやかに駆け登ってくる。ヨーヤムサンは進行を止めルナを待つ。
「どうした」
「隊商が反対側から来ている。数は20人。うち武装している者は四人だ」
 ヨーヤムサンの問いにルナが報告する。急峻な道を駆けてきたばかりなのに、息一つ乱れていない。
「どこのキャラバンだ」
「アジェンストの商人達らしい。十頭のヤクに獣皮、それに馬を五頭連れている」
「オバスティから聞いていたキャラバンのようだね」ターナが眼帯を左手で摘む。
 アデリー山脈を行き来する殆どの隊商のことは把握している。彼らはヨーヤムサンに通行料と称する金子や品物を納め、通行の安全を確保するのだ。今回の隊商についても事前に聞いていたものだ。
 ローラル平原からアロウ平野にかけて物資を運ぶ隊商は珍しくない。通常、アデリー山脈を超える場合は、20人から50人の隊商を組むことが多いが、中には、モリトルのように単独で行動する者もいる。
 ヨーヤムサンは、上の斜面に登って隊商が来るのを待つ。人数的に、こちらが少ない上、渓谷を渡る一本の山道で隠れる場所もない。
 また、高地のため、身を隠すほど背丈のある木や植物も無い。どんなときでも警戒するのはいつものことだ。
 ヨーヤムサンの口利きで、エムバが外部と交易を始めるようになってから久しい。多くの隊商が来るようになり、エムバでしか捕れない獣の革や鉱物などをローラル平原、またはピネリー王国の都エメラルドまで持っていく。
 その代わりに、それらの地域から色々な品々が入ってきた。貨幣制度を持たないエムバでは物々交換が主流だが、ヨーヤムサンの助言で、エムバの王レンドは、アジェンスト帝国とピネリー王国の貨幣を多少は持つようにしていた。いわゆる外貨獲得である。
 初めて、貨幣を見た時、アルジは価値が理解出来ず、ヨーヤムサンに騙されているのではないか、と思ったものだ。
 こんな小さな銀の固まりなど何の使い道もない。幾ら積んでも銀虎の革とは釣り合わないと憤りを感じたものだ。
 その時、貨幣の価値を教えてくれた、モリトルのことを思い出す。人当たりがよく、如何にも商売人といった風情で、薄い髪の毛で、いつもニコニコと笑っていた。
 彼はピネリー王国とアジェンスト帝国を股に掛けて、色々な品物を流通させていて、どんな物でも仕入れて参ります、というのが口癖だ。
 実際、レンドの求めに応じ、幻の魔獣と呼ばれるムバンドの皮を仕入れて来ている。いわずと知れた最強の鞭スナイフルの材料である。
「アルジ様はエムバを背負って立つお方。勉学にも励まねばなりません」
 そう言って、色々な書物を買ってきてくれた。また、色々な言語も教えてくれた。色々な場所を旅しながら、行商するモリトルの話はいつも面白く、皆から体の小ささを馬鹿にされ、傷心のアルジの心を慰めたものだ。
 モリトルはいつも、一人で険しいアデリー山脈を超えてきていたのだろうか。いつか二人でゆっくり話を交わしてみたいと思う。
 遠くからキャラバンの一行がやって来るのが見えた。崩れそうな空模様の中、かなり急いでいるように見える。
「アルジ、お前はヤクの影に隠れていろ。いざと言うときはヤクを盾にしても構わん。ただし、俺達に何があっても、そこを絶対に離れるな」
 ヨーヤムサンがギロリと睨むようにアルジに指示する。
「はい」アルジは戸惑いながら返事をした。只のキャラバンに対し、ここまで警戒しなければならないものだろうか。しかも、こちらに通行料を納めている隊商だ。何も問題無いように思えた。
 向こうもこちらの存在に気づいたようだった。隊商を離れ、二人の男がやってきた。一人は小太りで如何にも商人という中年の男、もう一人は主に従う小柄な若い男だった。
「恐れながら、ヨーヤムサン様とお見受け致します。私共はアルフロルドの商人、オバンドの一行でごさいます。我が主の依頼を受けて、アルフロルドへの積荷を運んでおります。金子も納めておりますので、どうか、通行をお許し願います」
 小太りの男は山道から斜面にいるヨーヤムサンを見上げた。まるで獅子のように鋭い眼光を放つ巨躯に圧倒されている。
「分かった。だが、妙な真似はするな」
「滅相もございません。そんな真似をする訳がございません」小太りの男は両手をプルプルと振りながら刃向かう意思などないことを必死で示した。
 小太りの男の合図で隊商が動き出した。20人の列は皆、男だ。焦げ茶色のフードを被り、男達の表情は見えない。川を渡り、寡黙にザッザッと急峻な山道を、沢山の積荷を積んだヤクを引き連れて登ってくる。最後尾には五頭の馬も引き連れていた。
 前を通り過ぎていく隊商に、アルジは何か違和感を感じていた。
「どうした、アルジ」様子に気付いたヨーヤムサンが声を掛ける。
「隊商が連れているヤクの様子がおかしいんだ。あのヤク達は荷物を運ぶのを嫌がっているよ。積荷の載せ方が悪いのかな」
「ほう、世話をしている内にヤクの気持ちが分かってきたのか、アルジ。でも気の所為じゃないのかい」ターナが言う。
「いや、そうでもねえぞ。エリン・ドールが何か気付いたようだ」
 ヨーヤムサンがギロリと隊商を睨む。丁度、列の中程が通り過ぎようとしている時だった。一頭のヤクを引き連れた背の高い男にエリン・ドールが声をかけた。
「あなた、止まりなさい」
 ずっと俯いて黙々と行進していた男は、静かに止まる。異変に気付いた小太りの男がすぐに駆け寄ってくる。
「これは、これは、何か粗相でもございましたか」
 エリン・ドールは何も答えず斜面を降りる。
「あなた、臭うわ」エリン・ドールが鼻を摘まむ。
「え」「酷い匂い」
「これは失礼を。長旅でしばらく体が洗えていないのです。ご勘弁を」
 失礼なことを言う女だと言わんばかりに、小太りの男はムッとした表情を隠さない。
「ううん、違うわ。汗も臭うけど、血の匂いがするわ」
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