第24話 マチスタの少女(3)

文字数 2,763文字

 マチスタの朝は早い。毎朝市場が開かれ買付の人々で賑わっている。トラルは塩など調味料の他、生活必需品を買い求めていた。
「昨日は散々だったぜ。どの店に入っても婆ァしかいねえし」 
 首尾が悪かったらしい。ノエルはかなり不機嫌だった。ディーンは昨夜、店で見た客引きの老婆の不気味さを思い出した。
 今日は市場で女物の櫛を探さなければならない。前々から妹のジュンにねだられていたのだ。
「お願い。ディーン兄ィ、どうしても欲しいの」
 聞くと友達の子に、兄に買ってもらったと自慢されたらしい。
 根負けしたディーンは今度、マチスタの町に行く機会があったら、買ってくると約束してしまったのである。一体、いくら位するのだろう、俺の小遣いで足りるのだろうか。
 そう思っていたところに雑貨屋が見えた。麻で出来た粗末な雨よけに木製の台を出している。覗いて見ると鼈甲細工の櫛があった。恐らくジュンが言っていたものはこれだろう。
「いらっしゃい。お兄ちゃん、お目が高いね。これはタルトスの港から取り寄せた鼈甲細工の櫛だよ。彼女にあげるのかい。へへへ」
 前歯が2本欠けた中年の男が店主だった。トラルと同じ位の年代のようだが、頭髪もかなり薄く年寄りじみて見えた。
「違うよ。妹に買ってあげるのさ」
「へー妹思いのいい兄ちゃんじゃないか。いいよ、お兄ちゃん、格好いいから、安く負けとくよ。へへへ」
 不快な接客態度だったが他に売っている店も見当たらず、ここで買うことにした。種類は多くなかったが、高価なものから低いものまで揃っていた。懐の硬貨を確認する。一番安い物だったらなんとか間に合う。ジュンが気に入ってくれるかどうか迷ったが、5個残っていたものからひとつを選んだ。橙色の模様が施された櫛だった。
「これをくれ」「毎度、じゃ、100ルチンにまけとくよ。へへへ」
 店主から品を受け取りディーンは店を出た。ちょうどトラルが小麦粉を買い付けていた。家族6人一年分のパンを賄うだけの量を確保するのである。
「ん、あれは」
 昨夜、酒場で働いていた少女がいた。小麦粉でパンパンになった大きな麻袋を四つ、荷車に乗せている。 
 ジュンと同じくらいの年頃に見えた。この年で働いているのは何か事情があるのだろうが健気だった。
 あれを引いていけるのか。この市場はあの酒場から4km ほど離れている。華奢な少女がこの荷車を牽いていけるとは思えなかった。
 案の定、少女はかなり苦労していた。一生懸命に引っ張るが、荷車はなかなか動き出さない。やっと動き出したかと思えば、道路のでこぼこに車輪がはまり動けなくなってしまった。ウーンウーンと少女は必死に引っ張るが、抜け出せる気配はない。
 ディーンは見ていられなくなった。
「父さん、ちょっと行って来る」
「どこへ行く、ディーン。ちょっと待て」
「すぐに戻るよ。先に行ってて」
 トラルの制止を振り切りディーンは駆け出した。
 荷車を後ろからグッと押してやる。キーという軋み音と共に車輪が動き出した。え、と少女は驚いた様子を見せる。
「あ、あなたは」
「酒場まで運ぶんだろう」
「は、はい」
「俺のことは気にしなくていいから前を見て牽いて」「は、はい」
 その様子を見ていたトラルはフッと笑った。
「ディーンの奴」
「なんだ、あいつ。あんな年下が好きなのか」
 ノエルが意外そうな顔をした。
「いや、ジュンを重ねているのだろう」
「ふーん。気持ちは分かるが、あの位の歳でこき使われている娘は他にもごまんといるぜ」
 ノエルの言うことは尤もなことだった。貧しい農民の家などでは、口減らしのために子供を外に働きに出すことも珍しくない。
 荷車は順調に進み、半分ほどの道のりまで来ていた。あたり一面、小麦畑が広がっている。
「少し休もう」
「は、はい」
 小麦畑を見渡せる少し小高い丘の上で休憩した。一本の高い木が日差しを遮ってくれる。二人はその木の下に腰を下ろす。ササーとそよぐ初夏の風が心地よい。木製の水筒の水が美味しかった。
「あ、ありがとうございます。でもどうして私を手伝ってくれるの」
 パッチリした二重の瞼とそばかすが印象的だった。肩まで伸びた茶色の髪の毛は少しチリチリしている。少女は少し不安げな顔をしていた。 何か下心があるのではと疑っているようだった。
「何故かな、俺にも分からないけど、たぶん君が妹に似ているからだと思う」
「妹さんに」
「ああ。14歳の妹がいる」
 そう言うディーンの黒髪がサラサラとそよ風に揺らいでいる。整った容姿に少女はドキッとする。また、誠実そうな口調も少女の警戒心を和らげた。
「私もあなた位の兄さんがいるの」
「そうか。ところで君の名前は。僕の名前はディーンだ。木を売りに父さん、兄さんとマチスタに来ている」
「ディーン?私の名前はカヲルよ」
「カヲルか、いい名前だね」
「お父さんがつけてくれたの」
 少女はマチスタから歩いて3日ほど掛かる小さな村の出身だと話してくれた。家は貧しい農家で父母と5人兄弟の三女だと言う。父親が病気になってしまったため兄弟がみんな働いていると言うことだった。
 しばらく話をしているうちに少女はだんだん打ち解け笑顔を見せるようになった。年頃の少女らしい笑顔はやっぱりジュンに似ていた。
「ずっと、あの酒場で働くのかい」
「うん」途端に少女の表情が陰る。
「家に帰りたくないのかい」
 少女は押し黙ってしまった。余計なことを聞いてしまったとディーンは後悔する。
「帰りたい。帰りたいけど帰れないもの」
 少女は涙を浮かべた。年端のいかない少女が親元を離れて一人で重労働をしている。こんなことがあっていいのか。少女があまりに不憫に思えた。
「これをあげるよ」
 ディーンは懐から出したものを少女に差し出した。「え?」それは先ほど買い求めた鼈甲細工の櫛だった。
「わあ、素敵な櫛」
 少女の顔がパアッと明るくなる。本当はジュンにせがまれて、なけなしの小遣いで先程の市場で買ったものだった。
「で、でも、本当に貰ってもいいの」
 少女は気が引けているようだった。会ったばかりの見ず知らずの男から貰うのだ。そう思うのも無理はない。
「あげるよ」
 ディーンはコクッと頷く。
「けど、本当にいいの」
 少女はまだ戸惑っていた。
「君から何も取ったりしないから心配しなくてもいいよ。あげるから元気を出しな」
 ディーンが笑顔で語りかけると、少女も笑顔を向けた。
「ありがとう。大事にする」
「よし、そろそろ行こうか」
「うん」
 昼までには酒場につくことができるだろう。今日はオリブラに帰るためマチスタを出発する予定だった。買い求めた品物を荷車に積んだり、馬に引かせるのを手伝わなければならなかった。こりゃ、父さんやノエル兄さんに怒られるな。はあ、とため息が出たがディーンは最後まで少女を手伝うことにした。
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