第8話 白の貴公子(1)
文字数 5,072文字
場面はアジェンスト帝国の首都アルフロルドに移る。
マルホードは今、首都アルフロルドの軍司令本部に出頭していた。サマンド最高司令官の命令によるものである。
一ヶ月前、彼は港町カルハサードにいた。彼率いるアジェンスト帝国第7騎兵団3万の軍勢はハンド高原南戦線に展開していたが、突如、軍司令本部から撤退命令を受けたのである。
海とハンド高原に挟まれた平野を戦場とするこの戦線は、ミロノ王国との国境に位置する重要な地域だった。
ミロノ王国にとっても、ここはハンド高原を東に迂回することによって首都オビリドの背後に回り込まれる恐れがあるため、絶対に死守しなければならない防御線だった。
そこで、ミロノ王国は首都オビリドの守備軍司令であるサマールを派遣、守備に特化した作戦を取った。
首都防御の最後の砦、守護神とも呼称される守備軍司令を前線に派遣するのは異例だったが、最高司令官ロッドマンの戦略によるものだった。
今、アジェンスト帝国とミロノ王国は全面戦争に入っていた。最初に仕掛けたのはアジェンスト帝国である。彼らアジェン人が信仰する国教メートフィ教の聖地アルフレムの奪還が目的である。
最初に戦端が開かれたのは、ハンド高原北戦線であった。アジェンスト帝国軍の司令官は、恐怖の将軍とも凶気の将軍と称されるナイトバードである。
彼率いる第6騎兵団は一般住民の虐殺を厭わない残虐性から悪魔の軍と恐れられていた。
そしてナイトバード軍はツール川を越え、ミロノ王国領のバルジに侵攻、敵兵はおろか住民さえも一人残らず虐殺するという蛮行を行った。
対して、ミロノ王国はエースと呼ばれる最強の将軍バンドム・マーチンを出撃させ、ナイトバード軍を自国領から撤退させることに成功、しかし、これはアジェンスト帝国に取って思惑通りの展開だった。
自軍のエースであるスタチオ・アウトテクスを北の国境に位置するオクタマリア湖に出撃させたのである。敵国のエースを南の戦線におびき出し、その間隙に手薄となった地域に出撃させる作戦である。
この作戦は完璧と思われたが、バンドムは電光石火の動きでオクタマリア湖の北へ移動、進撃するスタチオの行手を阻んだのである。
このとき、バンドムはナイトバード軍に背を向ける形となったが、追撃すら許さない行軍の速さは伝説となっている。
エース同士、互いのプライドを掛けた戦いは熾烈を極め、一進一退を繰り広げた。中でもスタチオは陣中で病を発症しながらも気力で戦い続けている。
結果的に互いの兵達の消耗が激しくなったことから、両軍撤退となった。
こうして、両国の3つある戦線のうち、最北のオクタマリア湖戦線はエース同士の激突の上、両軍撤退という結果に終わった。
真ん中に位置するハンド高原北戦線はナイトバードがバルジを占領したものの、それ以上の侵攻の動きはなかった。
最南のハンド高原南戦線は、オビリド守備軍司令サマールの守備に特化した戦略に半年近く硬直状態に陥ったことから、最高司令官サマンドは撤退を決意したのだった。
マルホードはスキンヘッドの頭部を右手で撫でた。彼の癖である。50代半ばの彼は7つある騎兵団のうち第7騎兵団を指揮するようになってから8年が経っていた。
182cmの長身に格幅の良い体格は、その軍歴同様に貫禄がある。
それにしてもと思う。ナイトバードと共同戦線を張ることにならなくて良かったものだと。司令部はどうやらミロノ王国との戦線を縮小することにしたようだ。
聖地アルフレム奪還は我が国の悲願であるが、最終目的はあくまで首都オビリドである。硬直状態に陥った以上、撤退するのは妥当な判断だ。
恐らくは軍師ベニールの入れ知恵に寄るものであろうが、唯一戦果があったバルジを拠点にナイトバードと共同で更に侵攻を進めるという作戦もなくはなかった。
あの狂った男とはどうにも性が合わなかった。ずんぐりとした体格は軍人の中でも珍しくはないが、見る人を驚愕させるのが、その容貌である。
左目を覆う眼帯の紐と顔面を斜めに横切る切創が丁度、顔の真ん中で交差しており、奇異さを際立たせていた。
何という醜い男よ、とマルホードは内心眉を潜めていた。
さらに奇異なのは、その性格だった。彼率いる第6騎兵団の兵達は残虐性がことの他高く、恐怖の軍として敵国の兵はおろか、一般民からも恐れられていた。アジェンスト帝国軍内部においてもやり過ぎだ、と批判する者が多かった。
その一人がマルホードである。一般民を虐殺するというのは戦略上やるべきではないし、まして、あの男は好き好んで虐殺を指示している節があると、騎兵団団長が一同に介する軍議で問題提起したことがあった。
必要以上の住民の虐殺は占領後の統治に障害を来す恐れがある、控えるべきだ、との発言に対してナイトバードはニヤニヤしながら、虐殺ではない、一般民に紛れている敵兵を掃討しているだけである、兵達の安全を確保する上で必要不可欠な指令だと言い放ったのである。
一理あるようだが、誰の目にもナイトバードが必要以上の虐殺をしていることは明らかであった。
マルホードは追求を求めたが、司令部はそれ以上問い詰めようとはしなかった。それが軍師ベニールの意向だということは後でわかった。
それ以来、マルホードはナイトバードに関して何も発言しないこととした。司令部の考えは理解できなかったが、自分が関知するものではないと諦めの心境だった。
ただ、ナイトバードとの間には溝が出来ていて、お互いに極力関わりを持たないのが暗黙の了解となっていた。
しかし、現実主義の軍師ベニールが、そういった配慮をする男ではないことは重々承知していた。戦場を知らぬ男がと、苦々しく思うこともあったが、サマンド最高司令官から絶大な信頼を寄せられているため、進言することは諦めていた。まずはナイトバードとの共闘がなかったことに安堵するしかない。
それにしても相変わらず殺風景な部屋よ、と感想とは裏腹に司令部に来るたび、マルホードは落ち着いた気分になる。司令部と言えども戦場には変わりない。華美な装飾などは無用と思っている。
「最高司令官入ります」
下士兵が告げると、爽やかな好青年の様な佇まいの男が部屋に入って来た。きちんとした身なりで、金髪の頭髪をきれいにオールバックに整えている。
マルホードは立ち上がり敬礼する。
「マルホード将軍、帰還早々呼び立てて済まない」「いえ、最高司令官。軍人たる者、いつでも出撃出来る準備はできているものですぞ」
「さすがは将軍。頼もしい限りだ」
サマンド・カインはアジェンスト帝国軍にあって最高位の軍人である。歳は四十歳とマルホードよりかなり若いが、現国王マントヴァ三世の覚えがよく、順調に昇進を重ねてきた男だった。
しかし、彼は軍人というより、政治的才能に秀でた人物だった。軍略的方針は軍師ベニールの意見を全面的に採用するのが常である。
そのベニールはいつものようにサマンドの後ろに控えていた。小柄な40代半ばの男でくしゃくしゃになった癖毛と鼻の先が赤いのが特徴だった。
「さて、マルホード将軍、出頭してもらったのは他でもない、実は我々は既に次の作戦を考えている。その遂行を是非将軍にお願いしたいのだ」
「ほう」とマルホードの眼光が光る。
「目標はローラル平原だ。将軍も知っての通り、ローラル平原攻略は、これまで何度も出兵してきたにも関わらず、未だ果たされてない我々の長年の課題だ」
マルホードはこれまで下士官時代も併せて三度、ローラル平原に出撃し、その度に撤退という苦い経験を味わっている。いつか必ずリベンジを果たす。胸の奥にこの感情を秘めていた。
「将軍も、ローラル平原には少なからぬ因縁があろう。どうだろう。第7騎兵団で受けてはくれまいか」
幾多の激戦をくぐり抜け、常に冷静沈着、滅多なことでは動揺しないマルホードだったが、興奮している自分に気づく。
年齢的にも最後の出撃となるかもしれない。集大成と言える戦が出来る喜びがこみ上げてくる。
「私にローラル平原遠征の任をお与えになること、有難き幸せでございます」
「おお、引き受けてくれるか」
ハハアと、マルホードは敬礼した。
「それで戦略目標は何処になりますかな」
「うむ、それはベニールから説明させよう」
小柄な男が前に出てきた。いつもながら赤い鼻が目につく。
「恐れながら。私からお話させていただきます」
ウム、とマルホードは頷いた。
「今回の目的はローラル平原における我が国の拠点を造ることでございます。ローラル平原の馬や鉱物を主とした資源は膨大。我が国としては必ず手に入れたい地域であります」
それはこれまでの戦略と同じだった。しかし、尽く失敗している。マルホードは失敗の原因を補給路の確保がままならないことだと考えていた。
ローラル平原に補給するには連峰アデリー山脈を越えなければならない。これを解決しない限り攻略は至難の業といえる。
まずは一通り話しを聞くこととした。
「第一目標はラドーネ。ピネリー王国首脳部はミロノ王国との戦線に追われていて、ローラル平原は云わば手薄な状態。各町の守備軍はいるものの、以前ほどの兵力ではありません」
その話は聞いたことがあった。何でも、ピネリー王国首都エメラルドでは、凡庸な国王ガウリー二世に代わり、后であるショイナ大后と最高司令官マフタイが実権を握っているとのことだった。
ショイナ大后は首都防御に異常な程、固執しており、軍勢をエメラルド周辺に集結させ、その他の地域に兵力を割くのを嫌うのだという。
そのため、ミロノ王国との国境にあるショーロ山地における攻防戦は、劣勢を強いられているにも関わらず、エースの投入を拒んでいるとのことだった。
その話が本当であれば愚かなことよ、ピネリー王国のエースはじくじく足る思いであろう、と敵国ながら同じ軍人としての同情心が出てくる。
「ラドーネ守備軍の兵力は二千。第7騎兵団三万であれば攻略は容易いと考えております。しかし、問題はその後の展開です。ここを拠点に周辺の町々を落して頂きたい」
「それは良いが、3万の兵達の兵站はどうするのだ」
指摘を受けてベニールの片眉が上がる。
「アデリー山脈を超えての補給が困難であることは承知しております。また、十分な補給が出来なかったことが、これまでの戦いでの敗因であるとも考えております」
ほう、とマルホードはベニールの赤鼻を見た。
「しかし、アデリー山脈からの補給には限度があります。そこで」
ベニールの策とは、謂わば現地調達に補給の活路を見出すというものだった。占領政策により、まずはラドーネでの基盤を磐石にし、ボルデーといった周辺の町々を征服、拠点を増やしていきながら兵力を維持するという作戦である。
ラドーネほどの規模の町であれば、五千の兵力は賄える試算で、ローラル平原の南部を征服できれば数字上は可能である。
机上の作戦で言うのは簡単だが、現実はかなり困難な作戦だろう。しかし、それしか方法がないとも言えた。
「なるほど、では今回の最終目標はどこか」
「テネアです」
その地の名前を聞いてマルホードの気持ちは昂った。下士官時代、テネアを舞台にピネリー王国軍と激しい攻防戦を繰り広げたことを思い出す。忘れもしない、相手の指揮官の名はルーマニデア中軍長である。
独立国であったテネアを先に占領したのは我が国だ。しかし、テネア争奪に加わったピネリー王国に結果的に横取りされてしまった。あの時の借りは返さねばなるまい。
「ローラル平原におけるピネリー王国の拠点都市ミネロを一気には攻略できません。まずはテネアを中心に戦力を整える戦略です」
「出撃は1年後だ。それまでに準備を整えてほしい。戦力の増強はしよう」と、サマンドはバックアップを約束した。
望むところだった。久しぶりに闘志が燃えたぎるのを感じる。まずは、アデリー山脈超えの訓練を兵達に施さねばなるまい。
「将軍、ローラル平原の地の異教徒に我が主の尊い教えを広げてもらいたい」
作戦を司令する際のサマンドの決り文句である。
彼は国教であるメートフィ教の熱心な信者であった。布教活動は他国侵略の大儀名分である。邪教徒に正しい教えを伝えるために侵攻するのだ。
サマンドは跪き神に祈りを捧げた。
「ところで、将軍に是非会わせたい将校がいるのだ」「ほう」
「テプロ小軍長を呼べ」と下士官に指示すると、その男はすぐにやってきた。
マルホードは今、首都アルフロルドの軍司令本部に出頭していた。サマンド最高司令官の命令によるものである。
一ヶ月前、彼は港町カルハサードにいた。彼率いるアジェンスト帝国第7騎兵団3万の軍勢はハンド高原南戦線に展開していたが、突如、軍司令本部から撤退命令を受けたのである。
海とハンド高原に挟まれた平野を戦場とするこの戦線は、ミロノ王国との国境に位置する重要な地域だった。
ミロノ王国にとっても、ここはハンド高原を東に迂回することによって首都オビリドの背後に回り込まれる恐れがあるため、絶対に死守しなければならない防御線だった。
そこで、ミロノ王国は首都オビリドの守備軍司令であるサマールを派遣、守備に特化した作戦を取った。
首都防御の最後の砦、守護神とも呼称される守備軍司令を前線に派遣するのは異例だったが、最高司令官ロッドマンの戦略によるものだった。
今、アジェンスト帝国とミロノ王国は全面戦争に入っていた。最初に仕掛けたのはアジェンスト帝国である。彼らアジェン人が信仰する国教メートフィ教の聖地アルフレムの奪還が目的である。
最初に戦端が開かれたのは、ハンド高原北戦線であった。アジェンスト帝国軍の司令官は、恐怖の将軍とも凶気の将軍と称されるナイトバードである。
彼率いる第6騎兵団は一般住民の虐殺を厭わない残虐性から悪魔の軍と恐れられていた。
そしてナイトバード軍はツール川を越え、ミロノ王国領のバルジに侵攻、敵兵はおろか住民さえも一人残らず虐殺するという蛮行を行った。
対して、ミロノ王国はエースと呼ばれる最強の将軍バンドム・マーチンを出撃させ、ナイトバード軍を自国領から撤退させることに成功、しかし、これはアジェンスト帝国に取って思惑通りの展開だった。
自軍のエースであるスタチオ・アウトテクスを北の国境に位置するオクタマリア湖に出撃させたのである。敵国のエースを南の戦線におびき出し、その間隙に手薄となった地域に出撃させる作戦である。
この作戦は完璧と思われたが、バンドムは電光石火の動きでオクタマリア湖の北へ移動、進撃するスタチオの行手を阻んだのである。
このとき、バンドムはナイトバード軍に背を向ける形となったが、追撃すら許さない行軍の速さは伝説となっている。
エース同士、互いのプライドを掛けた戦いは熾烈を極め、一進一退を繰り広げた。中でもスタチオは陣中で病を発症しながらも気力で戦い続けている。
結果的に互いの兵達の消耗が激しくなったことから、両軍撤退となった。
こうして、両国の3つある戦線のうち、最北のオクタマリア湖戦線はエース同士の激突の上、両軍撤退という結果に終わった。
真ん中に位置するハンド高原北戦線はナイトバードがバルジを占領したものの、それ以上の侵攻の動きはなかった。
最南のハンド高原南戦線は、オビリド守備軍司令サマールの守備に特化した戦略に半年近く硬直状態に陥ったことから、最高司令官サマンドは撤退を決意したのだった。
マルホードはスキンヘッドの頭部を右手で撫でた。彼の癖である。50代半ばの彼は7つある騎兵団のうち第7騎兵団を指揮するようになってから8年が経っていた。
182cmの長身に格幅の良い体格は、その軍歴同様に貫禄がある。
それにしてもと思う。ナイトバードと共同戦線を張ることにならなくて良かったものだと。司令部はどうやらミロノ王国との戦線を縮小することにしたようだ。
聖地アルフレム奪還は我が国の悲願であるが、最終目的はあくまで首都オビリドである。硬直状態に陥った以上、撤退するのは妥当な判断だ。
恐らくは軍師ベニールの入れ知恵に寄るものであろうが、唯一戦果があったバルジを拠点にナイトバードと共同で更に侵攻を進めるという作戦もなくはなかった。
あの狂った男とはどうにも性が合わなかった。ずんぐりとした体格は軍人の中でも珍しくはないが、見る人を驚愕させるのが、その容貌である。
左目を覆う眼帯の紐と顔面を斜めに横切る切創が丁度、顔の真ん中で交差しており、奇異さを際立たせていた。
何という醜い男よ、とマルホードは内心眉を潜めていた。
さらに奇異なのは、その性格だった。彼率いる第6騎兵団の兵達は残虐性がことの他高く、恐怖の軍として敵国の兵はおろか、一般民からも恐れられていた。アジェンスト帝国軍内部においてもやり過ぎだ、と批判する者が多かった。
その一人がマルホードである。一般民を虐殺するというのは戦略上やるべきではないし、まして、あの男は好き好んで虐殺を指示している節があると、騎兵団団長が一同に介する軍議で問題提起したことがあった。
必要以上の住民の虐殺は占領後の統治に障害を来す恐れがある、控えるべきだ、との発言に対してナイトバードはニヤニヤしながら、虐殺ではない、一般民に紛れている敵兵を掃討しているだけである、兵達の安全を確保する上で必要不可欠な指令だと言い放ったのである。
一理あるようだが、誰の目にもナイトバードが必要以上の虐殺をしていることは明らかであった。
マルホードは追求を求めたが、司令部はそれ以上問い詰めようとはしなかった。それが軍師ベニールの意向だということは後でわかった。
それ以来、マルホードはナイトバードに関して何も発言しないこととした。司令部の考えは理解できなかったが、自分が関知するものではないと諦めの心境だった。
ただ、ナイトバードとの間には溝が出来ていて、お互いに極力関わりを持たないのが暗黙の了解となっていた。
しかし、現実主義の軍師ベニールが、そういった配慮をする男ではないことは重々承知していた。戦場を知らぬ男がと、苦々しく思うこともあったが、サマンド最高司令官から絶大な信頼を寄せられているため、進言することは諦めていた。まずはナイトバードとの共闘がなかったことに安堵するしかない。
それにしても相変わらず殺風景な部屋よ、と感想とは裏腹に司令部に来るたび、マルホードは落ち着いた気分になる。司令部と言えども戦場には変わりない。華美な装飾などは無用と思っている。
「最高司令官入ります」
下士兵が告げると、爽やかな好青年の様な佇まいの男が部屋に入って来た。きちんとした身なりで、金髪の頭髪をきれいにオールバックに整えている。
マルホードは立ち上がり敬礼する。
「マルホード将軍、帰還早々呼び立てて済まない」「いえ、最高司令官。軍人たる者、いつでも出撃出来る準備はできているものですぞ」
「さすがは将軍。頼もしい限りだ」
サマンド・カインはアジェンスト帝国軍にあって最高位の軍人である。歳は四十歳とマルホードよりかなり若いが、現国王マントヴァ三世の覚えがよく、順調に昇進を重ねてきた男だった。
しかし、彼は軍人というより、政治的才能に秀でた人物だった。軍略的方針は軍師ベニールの意見を全面的に採用するのが常である。
そのベニールはいつものようにサマンドの後ろに控えていた。小柄な40代半ばの男でくしゃくしゃになった癖毛と鼻の先が赤いのが特徴だった。
「さて、マルホード将軍、出頭してもらったのは他でもない、実は我々は既に次の作戦を考えている。その遂行を是非将軍にお願いしたいのだ」
「ほう」とマルホードの眼光が光る。
「目標はローラル平原だ。将軍も知っての通り、ローラル平原攻略は、これまで何度も出兵してきたにも関わらず、未だ果たされてない我々の長年の課題だ」
マルホードはこれまで下士官時代も併せて三度、ローラル平原に出撃し、その度に撤退という苦い経験を味わっている。いつか必ずリベンジを果たす。胸の奥にこの感情を秘めていた。
「将軍も、ローラル平原には少なからぬ因縁があろう。どうだろう。第7騎兵団で受けてはくれまいか」
幾多の激戦をくぐり抜け、常に冷静沈着、滅多なことでは動揺しないマルホードだったが、興奮している自分に気づく。
年齢的にも最後の出撃となるかもしれない。集大成と言える戦が出来る喜びがこみ上げてくる。
「私にローラル平原遠征の任をお与えになること、有難き幸せでございます」
「おお、引き受けてくれるか」
ハハアと、マルホードは敬礼した。
「それで戦略目標は何処になりますかな」
「うむ、それはベニールから説明させよう」
小柄な男が前に出てきた。いつもながら赤い鼻が目につく。
「恐れながら。私からお話させていただきます」
ウム、とマルホードは頷いた。
「今回の目的はローラル平原における我が国の拠点を造ることでございます。ローラル平原の馬や鉱物を主とした資源は膨大。我が国としては必ず手に入れたい地域であります」
それはこれまでの戦略と同じだった。しかし、尽く失敗している。マルホードは失敗の原因を補給路の確保がままならないことだと考えていた。
ローラル平原に補給するには連峰アデリー山脈を越えなければならない。これを解決しない限り攻略は至難の業といえる。
まずは一通り話しを聞くこととした。
「第一目標はラドーネ。ピネリー王国首脳部はミロノ王国との戦線に追われていて、ローラル平原は云わば手薄な状態。各町の守備軍はいるものの、以前ほどの兵力ではありません」
その話は聞いたことがあった。何でも、ピネリー王国首都エメラルドでは、凡庸な国王ガウリー二世に代わり、后であるショイナ大后と最高司令官マフタイが実権を握っているとのことだった。
ショイナ大后は首都防御に異常な程、固執しており、軍勢をエメラルド周辺に集結させ、その他の地域に兵力を割くのを嫌うのだという。
そのため、ミロノ王国との国境にあるショーロ山地における攻防戦は、劣勢を強いられているにも関わらず、エースの投入を拒んでいるとのことだった。
その話が本当であれば愚かなことよ、ピネリー王国のエースはじくじく足る思いであろう、と敵国ながら同じ軍人としての同情心が出てくる。
「ラドーネ守備軍の兵力は二千。第7騎兵団三万であれば攻略は容易いと考えております。しかし、問題はその後の展開です。ここを拠点に周辺の町々を落して頂きたい」
「それは良いが、3万の兵達の兵站はどうするのだ」
指摘を受けてベニールの片眉が上がる。
「アデリー山脈を超えての補給が困難であることは承知しております。また、十分な補給が出来なかったことが、これまでの戦いでの敗因であるとも考えております」
ほう、とマルホードはベニールの赤鼻を見た。
「しかし、アデリー山脈からの補給には限度があります。そこで」
ベニールの策とは、謂わば現地調達に補給の活路を見出すというものだった。占領政策により、まずはラドーネでの基盤を磐石にし、ボルデーといった周辺の町々を征服、拠点を増やしていきながら兵力を維持するという作戦である。
ラドーネほどの規模の町であれば、五千の兵力は賄える試算で、ローラル平原の南部を征服できれば数字上は可能である。
机上の作戦で言うのは簡単だが、現実はかなり困難な作戦だろう。しかし、それしか方法がないとも言えた。
「なるほど、では今回の最終目標はどこか」
「テネアです」
その地の名前を聞いてマルホードの気持ちは昂った。下士官時代、テネアを舞台にピネリー王国軍と激しい攻防戦を繰り広げたことを思い出す。忘れもしない、相手の指揮官の名はルーマニデア中軍長である。
独立国であったテネアを先に占領したのは我が国だ。しかし、テネア争奪に加わったピネリー王国に結果的に横取りされてしまった。あの時の借りは返さねばなるまい。
「ローラル平原におけるピネリー王国の拠点都市ミネロを一気には攻略できません。まずはテネアを中心に戦力を整える戦略です」
「出撃は1年後だ。それまでに準備を整えてほしい。戦力の増強はしよう」と、サマンドはバックアップを約束した。
望むところだった。久しぶりに闘志が燃えたぎるのを感じる。まずは、アデリー山脈超えの訓練を兵達に施さねばなるまい。
「将軍、ローラル平原の地の異教徒に我が主の尊い教えを広げてもらいたい」
作戦を司令する際のサマンドの決り文句である。
彼は国教であるメートフィ教の熱心な信者であった。布教活動は他国侵略の大儀名分である。邪教徒に正しい教えを伝えるために侵攻するのだ。
サマンドは跪き神に祈りを捧げた。
「ところで、将軍に是非会わせたい将校がいるのだ」「ほう」
「テプロ小軍長を呼べ」と下士官に指示すると、その男はすぐにやってきた。