第35話 女山賊たちとの旅(3)

文字数 8,892文字

 そろそろ、アデリー山脈は越えつつあった。眼下に広がるローラル平原はあまりにも広大で、所謂下界に降りるのが初めてのアルジはワクワクしていた。下界に降りれば、連れてきたヤクの代わりに、今度は馬での移動となる。
 四傑の一人、オバスティの手の者が、手筈を整えているとヨーヤムサンから聞いた。
 既にピネリー王国の勢力下に入っていた。今まで以上に警戒を強めながらヨーヤムサン一行は歩を進めている。
 彼は非常に用心深く、アデリー山脈を踏破するときは、誰にも悟られぬよう何本ものルートを使い分けていた。
 今回は、中腹の岩肌を抜けるルートを選択している。迂回するため時間は掛かるが、彼は一向に気にしてはいない。しかし、気掛かりな場所が一つだけある。この先にある渓谷だ。アデリーの山々の雪解け水が満々と流れるこの渓谷を越えることが出来る道は一本しかない。待ち伏せされれば、逃げ場がなく危険な地形だ。
「流石に山歩きには飽きてきたよ。お頭、山を降りるのは、まだなのかい」
 ターナが大きな欠伸をする。
「もう少しだ。この先の難関を超えられたらの話だがな」
「どんな所なんだい」
「渓谷だ。もし俺が敵ならば、そこで待ち伏せする」「へえー、怖い、怖い」
「ここで少し、休憩を取る」
 ヨーヤムサンの号令で各自岩肌に腰を下ろす。アルジはヤクの荷を降ろし、餌をやる。それからやっと腰を下ろして休憩だ。思わずハァと溜息が出る。
 16歳の少年の体力で、ヤクを引きながら中腹の山岳を踏破するのは、いかに山岳民族であるエムバ族の人間としても厳しい。
 ヨーヤムサンがアルジに目を向けると、エリン・ドールが側に近寄っていくのが見えた。何だかんだ言って、気にかけているのが、あいつらしいと、グイっと水筒の水を飲む。
「ほら、水飲む?」
「アッ」エリン・ドールから水筒を手渡され、アルジは自分の水筒が空になっていたことに気付く。
「ありがとう。でも」
 エリン・ドールが既に口を付けた物に直接、口をつけるのは躊躇する。
「一口だけ残してくれればいいわ。この先に泉が湧く場所があるみたいだから、そこで水を汲めるから気にしないで」「は、はい」
 そういうことでは無かったが、それ以上、何も言わずアルジは水筒に口を付けた。冷たさが残る水筒の水は本当に美味しかった。こんなに水が美味しいと感じたのは初めてだ。
 クタクタに疲れてはいるが、何故かエムバにいた時より気分が晴れやかに感じる。エムバ族の次期王として、周りから一挙手一投足を見られ、常に周りの目を気にするうちに自分を見失っていたのかも知れない。
「有難う。エリンさん」水筒を返す。
「あたしのことはエリンでいいわ」「でも」
「それとも、あなたもみんなと同じように、お嬢ちゃんって呼ぶ」
 大きな青い瞳で見つめられると、いつまでも見惚れてしまうような感覚に陥る。
「いや、それも、ちょっと」相変わらず戸惑ってしまう。
「お嬢の言うとおりだ、アルジ。あたし達は仲間内では敬語なんて使わない」
 ターナが会話に加わる。
「お前は一番下っ端で、一人前と認めた訳じゃないが、仲間であることに変わりはない」
「そうそう」いつの間にかマキ、ルナ、ナナも集まっていた。仲間か、そんなことを言われたのは初めてだった。
「分かった。ありがとう、エリン」
「どう致しまして」そう言って、青い目の人形は去っていく。
 女達は岩場に座り、間食として干し肉を取り出す。ターナがアルジの隣に座り、クチャクチャと干し肉を齧り始めた。アルジも干し肉を持ってはいたが、特に小腹が減っておらず、夕食に食べようと思っていたところだった。
 そこへターナが、ほら、お前も食べな、と半分残した干し肉をアルジに手渡す。
「あ、有難う」干し肉はターナの唾液でふやけていたが、ここで躊躇すると怒鳴られそうで、受け取る。思いっきって口の中に放り込み、噛みしめると、肉の旨味なのか、甘い味が口内に広がった。
「暫くの間、お前の寝袋には誰も行かないから、安心して眠りな」
 ターナが少し声を落としていう。これから、危険地帯を通る。夜も交代で見張りに立つため、アルジの寝袋に潜り込む暇などないということらしい。
 やっと眠れる、とアルジはほっとする。これまで、毎晩、女達の相手をしてきて疲れ切っていた。ターナとは既に3回も寝袋を共にしている。
 女達との行為は、あまりに刺激的だったが、女達からの一方的なやり方は、男としてのプライドを挫くのにも十分だった。
 それにしても、エリン・ドールとは最初の一回だけで、その後アルジの寝床を訪ねてくることはなかった。何か、彼女の気に障ったのかと、少し気になったが、背中の痛みを思い出すと嫌な気持ちになる。
 ターナが立ち去ると、そこへ「ちょっと、いい」とナナが代わりにやって来た。
 鼻の周りにそばかすを残す17歳の少女だ。茶色のクセ毛にクルクルとカールが掛かっている。身長はエリン・ドールやターナに比べれば低いが、アルジよりは遥かに高い。年齢が一番近く、女達の中では身近な存在で、名前も自然に呼べる唯一の相手だった。
「旅には慣れた」
「うん、大分慣れてきたよ」
「そう。あたしも最初は大変だったよ。ヘマばっかりしてさ」
 何か用があって来た訳ではなさそうだった。ナナとは最初から打ち解けていた訳ではない。彼女は最初、エリン・ドールやターナに遠慮し、アルジに話し掛けてくることはなかった。
 一通り女達の夜の相手をし終わった頃から話しかけてくるようになった。尤もナナ自身が、アルジの寝床を訪れてきたことは無い。
 ルナの相手をした次の日の夜に寝袋に入ってきたのはターナだった。順番からいって、てっきりナナが来るものとばかり思っていたアルジは驚いたものだ。
「ナナでも失敗することがあるの」
「そりゃあるよ。丁度あんたと同じ歳の頃さ」

 孤児だったナナはアルフロルドで引ったくりをしながら生きていた。足音を立てずターゲットに近づき、あっという間に物を奪って逃げていくナナのことを人々は、猫足のナナと呼んだ。
 そんなある日、いつもように獲物を探していたナナは、前を歩く若い女に目を付けた。ここら辺では見かけない顔だが、小麦色の肌と黒く大きな瞳が美しい女だ。懐にある小銭入れを狙い、スッと近寄り、サッと右手を伸ばす。
 盗ったと思った瞬間、女に手首をグッと掴まれていた。
「中々の腕前だけど、相手が悪かったね」
「離せ、この野郎」
「はい」「あっ」掴まれていた手首をパッと離され、尻餅をつく。
「何するんだ、こら」
「お前が離せって言うから、離しただけさ」
「何だとォ」怒ったと思いきや、ナナは立ち上がった途端、ヘヘっと笑う。
「アッ」その左手に小銭入れが握られていた。
「こいつ、いつの間に」
「この小銭入れは頂いたよ」
「こいつ」女が腕を伸ばすと、サッと逃げ出した。
 露店が雑居するこの辺りは道が煩雑で、人で溢れかえっている。そこを巧みに逃げるナナは未だかつて、誰にも追い付かれたことはない。
 しかし、小麦色の肌の女は違った。凄まじい速さで人の間をすり抜けて行く。まるで、何も障害物が無いに等しい速さだ。
「な、何もんだい、あの女は」
 必死に逃げるが、中々振り切ることが出来ず次第に焦りが募る。
 女の息遣いが真後ろに聞こえ、振り向くと、もう手の届く位置まで女が来ていた。こいつは本当にヤバいと思ったナナは奥の手を使うことした。
「ほら、返すよ」
 そう言って、ポイッと小銭入れを後ろに投げる。さすがの女も反応せざるを得ない。
「こいつ」
 小銭入れを拾い、前を向いたとき、ナナの姿は既に無かった。しかも、小銭入れには硬貨の代わりに小さな石ころが入っていた。
「あの野郎、いつの間に」
「擦られたの、ルナ」
 側に来たのはエリン・ドールだ。
「ああ、あたしとしたことがやられたよ」
「かなり若い子みたいだけど、あなたを出し抜くなんて大したものね」
「ちきしょう、今度会ったら、身ぐるみ剥いでやる」
「山賊が引ったくりに会うなんて、恥ずかしいったらないよ。ルナ」マキだった。
「ああ、その通りだ。面目ない。くそ、絶対取り返してやる」
「そんな暇はないよ。止めときな。オズーナの店はもう開いているんだ」

 マキが制止する。
 オズーナとはアルフロルド切っての豪商の名前だった。有力貴族よりも大きな屋敷を構え、羽振りを効かせていた。王室と繋がりがあり、悪どい商売をしていると評判の男だ。
 エリン・ドール達は、オズーナの積荷を襲おうと下見に来ていたのである。目立たぬよう黒いフードを被り3人はオズーナの屋敷の前で様子を伺う。
「毎月、10の付く日に奴は王室に献上する品を荷馬車に積んでいく。今日もそろそろ荷馬車が出るはずだ」出入りの商人から仕入れた情報だ。
 しばらく様子を伺っていると、護衛兵が騎乗する馬二頭を先頭に大きな幌を付けた荷馬車が屋敷から出てきた。それに豪華な装飾を施された乗車用の馬車が続く。
「来たよ」マキが囁く。すると、格幅の良い小肥りの中年の男が門から護衛兵2人を伴って出てきた。着ている服装から如何にも裕福な人物であることが分かる。
「あれがオズーナだ。王室に献上するときは、あいつも一緒に王宮に上がる。それを見せびらかしたくて、ああやって、わざわざ人前に出てくるのさ。これから王宮に行きますってな。これみよがしのパフォーマンスさ」マキが苦々しく囁く。
「へえー、ご苦労なことだ。ん?」
 ソロソロとオズーナに近づいて行く不審な人物が目に入った。薄汚れた茶色のマントを羽織っている。背格好からして女か子供だろう。
「何をしようってんだ」
 マキも注視する中、まるで猫の様に足音も立てずに近づくと、護衛兵の間をすり抜け、オズーナの懐に手を伸ばす。
「ギャア」という男の悲鳴が上がった。オズーナが、その場にしゃがみ込んでいる。
「やりやがった」
 マキが興奮した声で囁く。一瞬、何が起こったのか理解できずに立ち尽くしている護衛兵の間を掻い潜る様に、マントを羽織った不審者が素早く逃げだす。
 主人の異変を感じた召使いの一人が「曲者だ」と叫ぶと、荷馬車の先頭に立っていた護衛兵が一斉に振り向く。
 そして、不審者を認めると、馬を横向きにして行く手を阻む。不審者はそのまま馬の腹の下を掻い潜ろうと、身を屈めスライディングを試みるが、馬が急に向きを変えたことにより、立ち止まらざるを得ない。
 そのまま、護衛兵達に囲まれてしまった。
 オズーナは、召使い達に介抱され、痛い、痛いと叫びながら屋敷の中に連れられて行く。地面に血が滴っており、かなりの深手を負ったようだ。
「見えたか」
「いや、よく分からなかった。飛び道具を使ったのか」
 どうやってオズーナを刺したのか、マキとルナは確認し合うが二人共分からない。
「お嬢は見えたかい」
「ううん、あたしも良く見えなかったわ。気付いたら倒れていたもの。一体、どんな道具を使ったのかしら」
 遠目からとはいえ、エリン・ドールが見えないとは尋常な動きではない。三人が固唾をのんで見守るなか、取り囲まれた不審者は護衛兵の一人にマントを剥がされる。
「あ」思わずルナが声を上げた。あの引ったくりの少女だった。少女は護衛兵達に両腕を掴まれ、取り押さえられてしまう。万事休すだ。
「お前、何者だ。オズーナ様と知って襲ったのか」「この不届き者めが、この場で成敗してやる」
「待て、こいつは尋問にかける必要がある」
「離せ、この野郎」少女は掴まれた両腕を振りほどこうともがく。
「大人しくしろ」護衛兵の一人が平手打ちを食らわせた。「キャア」少女の唇の端が切れ、血が滲む。それでも少女はキッと護衛兵を睨みつけた。
「この女、生意気な、よし、屋敷に連れて行け。拷問に掛けてやる」
 その時、ルナが凄まじい速さで駆け出していた。「あ、ルナ」驚いたマキが、制止しようと右手を差し出すが、ルナはあっという間に、少女のところまで近づいていた。
「馬鹿、ルナのやつ」わざわざ身を隠して下見に来ているのに、一体何を考えているのかと、マキは焦る。
 一方、不意に現れたルナに、護衛兵は咄嗟に反応出来ないでいた。その隙に、懐から両手でナイフを取り出し、少女を拘束している護衛兵の手の平をサッと斬る。
「ぐわあ」「オオ」
 薄皮一枚斬っただけだが、派手に血が飛び、斬られた護衛兵二人は思わず拘束の手を緩める。
「来い」ルナは少女の手を引き反転した。だが、もう一組いた護衛兵二人が立ちはだかる。
「何者だ、貴様」「この女の仲間か」
 行く手を阻まれてしまった。
「どうする、お嬢」様子を伺っていたマキがエリン・ドールに指示を仰ぐ。
「うーん。来月、王室に献上するときを狙おうと思ってたけど、これじゃ警戒されて、しばらくは無理ね」「それは分かっているよ、そういうことじゃないよ」
「作戦変更。今、襲いましょう」
「え」「マキ、荷馬車を制圧して頂戴。あたし、ルナと少女を助けるから」「あ、お嬢」
 戸惑うマキを尻目にエリン・ドールが飛び出した。
「どいつもこいつも、好き勝手なことしやがって。畜生」悪態をつきながらマキも飛び出す。
 護衛兵に立ち塞がれたルナはナイフの柄を押し、刃を伸ばした。愛用の仕込みナイフは、短剣ほどの長さまで刃渡りを伸ばすことが出来る。後々、厄介なので殺すつもりはなかったが、この場を乗り切るには殺るしかない、とルナは覚悟を決める。
 その時、前方の護衛兵二人の首に黒い鞭が絡みつくのが見えた。鞭は生き物の様にしなり、二人を地面に引き倒す。お嬢だ、とルナは少女の手を引き、走り出す。
「荷馬車に乗って」エリン・ドールの指示に従い、二人は荷馬車に飛び乗った。立とうとする護衛兵をエリン・ドールは、もう一度鞭で転ばせると荷馬車に飛び乗る。
「マキ、馬車を出して」
「はいよ」マキは二頭立ての御者を引きずり下ろし運転台に座っていた。鞭を振るうと、ヒヒーンと嘶きを上げ馬車が走り出す。
「あなたのお陰で予定変更よ、ルナ」
 表情を変えずに言うエリン・ドールに少女は見惚れてしまう。まるで人形の様に綺麗な顔だ。
「済まない。お嬢」揺れる荷馬車の中、3人は溢れかえる献上品の中に埋もれる様に座っている。
「あたしの名前はエリン・ドール。あなたのお名前は」
 緊張気味に少女は「ナナ」と答えた。
「ルナに御礼を言うことね、ナナ。ルナが飛び出さなかったら、誰もあなたを助けようなんて思わなかったわ」
「う、うん、有難う」
「それより、盗んだ小銭入れを返せ」
「あ、あれ。ごめん、もう使っちゃった」
 ナナはペロッと舌を出した。
「何だと。ホントかよ」
「フフ、あまり入ってなかったんじゃないのかしら」と、エリン・ドールが誂う。
「それはきついぜ、お嬢」
 しばらく走ると貧民街に入った。そこでエリン・ドール達は突然、献上品を馬車の上から放り投げ始めた。
 何事かと近づいた人々は、それが宝石や珍獣の毛皮などのお宝だと分かると、ワアーと駆け寄り我先に拾い始める。
「折角、盗んだのに何てことするんだい」とナナが驚く。
「いいから、早くお前も手伝いな」とルナに急かされ、「クソ」と自棄糞でナナも献上品をひっくり返し外に放り投げ始める。
 次々に放り投げている内に、スッキリした気分になっていた。
 空になった荷馬車は無人でアルフロルドの街を走っていく。エリン・ドール達は密かに飛び降り、アジトに向かっていた。

「あたしはそれから、お嬢の仲間になったんだ」
「そうだったんだ、でも何故、その商人を襲ったの」  
 アルジの問いに、ナナは答えず、しばらく遠くに広がるローラル平原を見つめた。何か、まずいことを聞いたのかな、とアルジは後悔する。
「友達をね、友達をオズーナに殺されたんだ」
「友達を?」うん、とナナが頷く。
「ずっと、一人だった、あたしの唯一人の友達だったんだ。ラルンは」
 ラルンとは同い年の少年のことらしい。
「あいつも孤児だったんだ。でも生まれは貴族の家柄だったんだよ」
 アルフロルドの下級貴族の家に生まれたラルンは、10歳の時に父が死んで家が没落、病気がちだった母も死んだことで、一家は散り散りとなってしまった。孤児となったラルンは、いつしか一人で貧民街に行き着いたのだ。
「あいつは優しい奴だった。あたし達と違って、言葉遣いも綺麗でさ。そんな奴が本当は貧民街なんかで暮らしちゃいけなかったのさ」
 荒んで粗暴な者たちが多い貧民街でラルンの様に素直で純情な少年は居なかった。孤児で物心付いたときから、盗みをしながら一人で生きてきたナナに取って、心を許せる人間は誰一人いなかったが、ラルンとはいつしか心を通わせる様になっていた。
「不器用な奴さ。盗みのテクニックを教えてやっても全然駄目さ。しょうがないから、あいつには見張り役をやらせたんだ」
 無法地帯の貧民街は力が全てだ。もの心ついた時から、一匹狼で生きてきて、誰ともつるまないナナを強引に仲間に入れようと、また、欲望のまま襲おうとした者は何人もいたが、いつも返り討ちにしてきた。
 ナナに不用意に近付いた者は、いつの間にか、体に刺し傷を負わされるのである。どうやって刺されたのか分からず、ナナに憑りついている悪霊が刺しているのだ、という噂が広まった。
 次第に関わる人間が減っていく中、ラルンだけが言葉を交わす人間となっていた。貧民街に、ラルンみたいな純粋な人間はいない。そこに惹かれたのかも知れない。
 しばらく経ったある日、ラルンはオズーナの屋敷で働くこととなった。きっかけは、オズーナの執事の目に留まったことである。たまたま街に出ていた時、声をかけられたのだ。
「良かったな、ラルン」
「うん、でも」
「お前はここにいちゃ駄目なんだ。あたしのことは気にしなくていいから、二度とここへ来ちゃ駄目だよ」
「うん。ありがとう。ナナはいつまでも僕の友達だ。ナナだけが僕を人間扱いしてくれた。一生忘れない」「うん、あたしもだよ」
 涙が出そうになるのを堪え、ラルンを見送ったナナは再び一人で生きる日々を送っていた。相変わらず、引ったくりをしながら暮らしていたが、どうしてもラルンのことが忘れられない。
 気が付けば、オズーナの屋敷の周りを徘徊するのが日課になっていた。
 こんなところを彷徨いても、ラルンに会えるわけでもないのに、と半ば自嘲気味だったある日のこと、屋敷の裏口で、偶然、オズーナの召使いらしき二人の会話を盗み聞きすることが出来た。
「ラルンも可哀想にな」「ああ、でも仕方ないぜ、元は貴族出身らしいが、貧民街から拾ってきたのには変わりはない」
 ラルンと言っているのが聞こえ、「ラルンに何かあったの」と、反射的に身を乗り出していた。
「な、何だ、お前は」
「いいから、教えてよ。ラルンがどうかしたの」
「あいつは死んだよ」
「死んだ、えっ」一瞬思考が停止する。
「嘘でしょ。ラルンって、あのラルンのことなの」「お屋敷にラルンって名前は一人しかいねえよ」
「なぜ、なぜ死んだの」
「お前、あいつの知り合いなのか」
「いいから、早く教えて」
 召使い達の話では、ラルンはオズーナの屋敷に来て間もなく、とある高貴な貴族に献上されたとのことだった。「献上?」
「ああ、あいつは元々、貴族に献上される為に雇われたんだ」
「奴隷ということなの?」
「ああ、高貴な女達の慰み物になるため若い男や子供が献上されることがあるんだ」
「何故、それで命を失うことになるの」
「このことが公になると高貴な方達にとって、都合が悪いだろう。飽きたら口封じに始末されるのさ」
 ナナは言葉を失った。そのままフラフラと街を彷徨う。あいつは、やっとまともな暮らしが出来るはずだったんだ。それが、こんなことになるなんて。
「ラルンを弄び、ボロ布の様に捨てた貴族は許せない。でも、それを分かっていて、言葉巧みにラルンを騙して、献上したオズーナは、もっと許せなかったんだ」
 貧民街で生きるということは想像を絶せるほど過酷なのだろう。エムバにはそんな者達はいない。全員が戦士として平等に扱われる。王はあくまで戦士達を束ねる存在だ。
 ラリマー達から受けた虐めなど、ナナやラルンに比べたら、取るに足らないものかもしれない。そう思えてきた。
「あのとき、ルナ姉にね、何故、あたしを助けたのって聞いたんだ。そしたら、ルナ姉はね、自分と似ていたから、ほっとけなかったって言ってた。ルナ姉も貧民街で引ったくりをして生きていたんだって」
 その時、ナナはルナから一味に加わるよう誘われた。
「あたし達は、お前の友達にはなれないかも知れない。でも仲間にはなれる」ルナはそう言った。
 こうして、ナナはエリン・ドールに忠誠を誓い、仲間となったのだ。
 あのとき、オズーナの荷馬車を襲い、エリン・ドール一味のアジトに連れてこられた時、ナナは安心感を感じたものだ。皆がフウと溜息をつき、休憩を取っていた。
「でも、さっきのお宝は勿体なかったな。全部、他人に呉れちゃったんだもの。でも、あたしはヘヘ、自分の分は持っているけど」
 ナナは懐から沢山の宝石を取り出し披露する。
「な、お前、いつの間に」ナナの抜け目の無さにルナは呆れる。
「だけど、お嬢には負けるぜ」マキがニヤッと笑う。「え」もしかして、エリン・ドールもくすねていたのか。あたしより、沢山持っているのだろうか、とナナは驚く。
「あたし達は闇雲にお宝を放り投げてた訳じゃない。あたし達の仲間が紛れ込んでいる場所を狙って捨てていたのさ。今頃、殆どのお宝が仲間達の手で回収されているはずさ」
 今日は、オズーナの荷馬車の襲撃本番に備えた下見だったが、エリン・ドールは、本番さながらに回収する役目を負った仲間たちを道すがらに配置させていたのである。
 上には上が居るものだ。これから仕える女山賊の強かさをナナは知ったのだった。
「あんたは、何となくラルンに似ているのさ」
 ナナは、そう言い少し照れた表情でアルジを見る。少し赤くなった年上の少女のそばかすを見てアルジは、何故か少し嬉しくなるのだった。
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