第60 話 家族との別れと新たな命(1)

文字数 2,317文字

 マキナルとの決闘から一ヶ月が過ぎていた。夜更け、木造の粗末な部屋の中で、ディーンはテネアに向かうための準備をしていた。
 明日の朝にオリブラを立つ。来月に行われる騎兵団の入団試験を受けるためである。2週間分の食糧は持った。山鳥の燻製はライラが作ってくれたものだ。それに加え、乾燥野菜、乾パンを積み込む。
 木造のベッドでノエルが大きないびきを掻きながら寝ていた。ここはベッドが二つ置いてあるだけの兄弟二人の部屋だ。物心ついたときから、ずっと過ごしてきた。
 先程まで、家族揃って食卓を囲んでいた。明日の朝、旅立つ息子の為に、ライラは好物の山鳥のスープを作ってくれた。
 ジュンは、ディーンの隣に陣取り、いつものように甘えて離れなかった。ディーンが、暫く帰って来れないこと、もしかしたら、一生帰ってこない可能性があることを察していた様だが、表に出さないよう明るく振る舞っていたのが健気だった。
 ノエルは弟が居なくなる寂しさを酒で紛らわせようとしているのか、呂律が回らなくなるほど深酒をし、酔いつぶれてしまった。トラルはいつもと変わりなく、淡々と酒を飲んでいた。
 気になったのは、ミラのことである。最近、体調が優れないようで、かなり顔色が悪い。今晩も、山鳥のスープを少し口にすると、青白い顔ですぐに部屋に引きこもってしまった。
「ミラ姉、大丈夫なの」
「無理しない方がいいぜ、休んでいなよ、ミラ姉」
 ノエル、ジュンもかなり心配している。
「夏の疲れが出たみたい、しばらく休めば大丈夫よ」とミラ姉さんは言っていた。
 ライラも、そのうちに良くなるから心配しなくてもいいと、あまり気にしてはいない。でも、どこか体が悪いのではないか、とディーンは心配になる。マキナルとの決闘のことで、ミラにはかなり心労を掛けた。
 トントンとドアをノックする音が聞こえた。現れたのはトラルだった。荷物の選別に迷っている様子のディーンに、「あまり、積み込み過ぎても体力を消耗する。荷物は必要最小限にした方がいい」と助言する。
「うん。そうしようと思っているんだけど、中々絞りきれないんだ」
「そうか。アインズを連れて行ってもいいのだぞ」
 アインズとは、かなり老齢のディーンの愛馬だ。馬を引き連れ荷物を載せていけ、と言っているのだが、ディーンは首を振る。
「アインズはこれまで、俺の為に頑張ってきてくれた。かなり歳だし、無理はさせられないよ」
「そうか」とトラルは、それ以上は勧めなかった。
 それにしてもと、トラルは思う。少し前、ディーンは年老いたアインズの代わりに、捕まえたばかりの逞しい黒毛の野生馬が欲しいと、ねだったものだ。
 これまで尽くしてきてくれた愛馬を最後まで走らせてやり、走れなくなったら面倒を見てやるのが努めだと、諭したことがある。今回、老齢の愛馬はテネアまでの長旅には耐えられないと判断したのだろう。ディーンは一人で旅立つことにしていた。
「これを着ていけ」トラルから手渡されたのは、銀虎の毛皮で出来た外套だった。丈夫で夏涼しく、冬暖かい銀虎の毛皮は貴重で高価だ。モリトルから買い求めた物だった。
「俺が着てもいいの」
「ああ、これはお前の為に買ったものだ」
「え」「父さんは、いずれ、お前がオリブラを出ていくのではないかと思っていた」
「え、そうだったの、父さん」
「うむ。その時のために準備していたものだ。マクネの森は天候が移ろいやすい。銀虎の革はお前の身を守ってくれるだろう」
 マクネの森とは、テネアに向かう際に通らねばならない深い森のことだ。鬱蒼とした木々に覆われ、昼でも薄暗い。方向感覚が狂いやすく、迷い込んだら最後、抜け出すことは不可能と旅人に恐れられる森だ。 
 フードが付いたこの銀虎の外套を着ていくことは心強かった。
「ありがとう、父さん」
 こうしていると、少し前、トラルとノエルの3人で、マチスタに行った時のことを思い出す。
 あの時、宿でトラルから「お前の持てる力と知恵で為すべきことがあるはずだ」と、外の世界で果たすべき使命を示唆された。俺は家族の幸せの為に騎士になるのだ。
 さらにトラルは「我々家族だけが幸せになっても、それは本当の幸せではない。皆が等しく幸せにならねばならん」とも言っていた。
 思えば、あの時から、騎士への道が具体的に開かれたのかも知れない。マキナルと対峙したのも、あの時だ。そして、テネア騎兵団のサルフルムとも出会った。彼らとの出会いにより、トラルの言っている意味が朧げではあるが、少し分かった様な気がする。
「それと、もう一つ、お前に渡す物がある」
「え、何だろう」
「付いてこい」
 トラルはランプを手に外に出た。こんな真夜中に何処に行くのだろうか。そう思って付いていくと、隣の小屋の中に入っていく。
 ランプで照らされた内部には、木の伐採で使う斧や乗馬用具などが置いてあり、日常的に出入りしている場所だ。こんなところに何か置いてあっただろうか。
 トラルが床の板を剥がし始めた。さらに鍬を手に地面を掘り起こしていく。
「手伝うよ、父さん」
「いや、大丈夫だ」
 そう言って、暫く地面を掘ったトラルは、地中から細長い木箱を取り出した。一体何だろう、と見守る中、土埃を落とした木箱の中に一本の剣が入っていた。
 牛革の袋に厳重に包まれたその剣の柄には、絡み合う二匹の蛇の彫刻が彫り込まれている。その彫刻の見事さに只の剣ではないことが分かる。
「父さん、この剣は一体」
「テネア国王に代々伝わる聖剣アルンハートだ」
「アルンハート?」
 何故、そんな剣が我が家にあるのか。
「テネアに行くお前に、話さねばならないことがある」
 改まったトラルの様子にディーンは静かに頷いた。
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