第38話 疑心の騎士(3)

文字数 2,984文字

 シュパーと空気を切り裂く音がした。必死に目を見開き、飛んでくる矢の行方を見切ろうとするアルジの目前に信じられない光景が広がった。
 なんと、敵の伏兵が矢を構えたまま、バタバタと倒れていくではないか。一体何が起こったのかこの状況が全く理解出来ない。
 すると、伏兵達のいる斜面のさらに上に、容姿端麗な若い男が立っているのが見えた。長い髪を後ろで束ねた姿は美しく、アルジは最初、女と見間違えたほどだ。
「やっと出番だ。待ちくたびれただろう、てめえ等。だが、ここからは遠慮は要らねえ。一人残らずやっちまいな」
 その容姿とは裏腹に、若い男が発する言葉はかなり乱暴だった。
 悪舌のオバスティ。ヨーヤムサンの四傑の一人である。実質的な一味のナンバー2で、ヨーヤムサンの片腕と言っていい人物である。
 元々はアジェンスト帝国とアデリー山脈を拠点としていたが、近年は、ヨーヤムサンの命を受け、ローラル平原に進出し、商人達と通じ合う様になっている。
 オバスティ率いる40人の手下が上から矢を射ったのである。バラルの伏兵は半分程となった。さらにオバスティが、二の矢、三の矢を命じ、伏兵達を一掃する。
 そして、ターナ達に加勢すると、暗殺者達は一気に殲滅された。オバスティが最後尾から悠々と歩いてくる。
「相変わらずの色男振りだな。全くいつも、いいところで来てくれるよ」
「これは、ターナの姉御。お久しぶりで。相変わらずの見事な槍さばき、見させてもらいましたぜ」
「相変わらず、口が汚いね。折角の男前が台無しだよ、悪舌のオバスティ」
「口が悪いのは生まれつきだから、しようがねえよ、マキの姉御。ルナとナナも久しぶりだな」
「ああ、久しぶり」「兄貴、久しぶり」
 この男は一体何者なのか。突然現れ、一気に戦況を変えてしまった。ターナ達と親しげに話をしていることから、ヨーヤムサンの仲間だとは分かる。茫然とするアルジにオバスティが近づく。
「お前がアルジかい。お頭から話は聞いているぜ。俺の名はオバスティだ。一時とはいえ、俺達の仲間になるんだ、よろしくな」
「あ、ああ、よろしくお願いします」
「ハハハ、可愛い奴だな。お嬢が気にいるはずだぜ。まあ、色々と話すのは後だ。お頭とお嬢が待っている」
 お嬢が気に入っている。どういうことだろう。首を傾げ考え込むアルジを無視して、オバスティ達は一斉に斜面を降り、バラルと対峙しているヨーヤムサンとエリン・ドールの元へ急ぐ。バラルは、捕えられた獣のように暴れていた。
「貴様、まさか、俺達が伏兵を待機させていると分かっていたのか」
「さあな」
「畜生。嵌めやがったな。だが、どうやって分かった」
「てめえ、この野郎。口の聞き方に気をつけろよ。お頭と違って俺は気が短けえんだ。今すぐ、ぶっ殺すぞ」
 美しい容姿から発せられているとは思えない口調でオバスティが怒鳴る。
「お久しぶりね。お元気だったかしら」
「久しぶりだな、お嬢。お変わりなくってところさ。しかし、お嬢の鞭さばきは、相変わらず、えげつねえな。ハハ」
「貴方の剣ほどではないわ」
「ハハハ、でも、まあ此処まで、よく来てくれたぜ。山越えは大変だったろう」
「そうね。少し大変だったかしら。でも楽しかったわよ」相変わらずエリン・ドールの顔色は変わらない。「そいつは何よりだ」
 オバスティはヨーヤムサンの方を向く。
「こいつが例の男の手下なのかい」
「そうだ」
「俺達の縄張りで良くも好き勝手やってくれたな、この野郎。オバンドのキャラバン全員を殺りやがって。てめえだけは絶対に許さねえぜ」
 オバスティがバラルを睨むと、今にも飛びかからんばかりに、カァーと大きく口を開け威嚇してくる。
「何だ、こいつは、本当に人間なのか」流石のオバスティも気味悪そうだ。
「お前に聞きたいことがある。黙って応えろ」
 ヨーヤムサンがズイッと前に出る。
「よくも、俺を嵌めやがって。許さんぞ」
 バラルは一向に大人しくなる気配がない。ヨーヤムサンは大人の腕程はある太い槍をドンと突き出した。穂先がバラルの頬を掠めると、一筋の血が滲む。体ごと吹き飛ばしてしまいそうなほどの風圧の槍だ。
「粉々にぶっ飛ばしてやってもいいんだぜ」
 ギロリという百獣の王のような容姿の男の鋭い睨みに、バラルは初めて恐怖心を抱いた。今度はアワアワと落ち着きを失い始める。
「落ち着け。お前には少し聞きたいことがある。今すぐ殺しはしねえから、安心しな」
 それでもバラルはプルプルと震え、落ち着きを取り戻せない。
「俺の言葉が分からねえのか。今すぐやってもいいんだぜ」
「分かった、分かった。待ってくれ」
「お前に聞く前に、一つ教えてやろう。察しのとおり、お前達を誘き寄せるため、ローラル平原に向かうという情報をわざと流したのだ」
「や、やはりか」
「俺の聞きたいことは四つある。一つ目の質問だ。あの男は今、どこにいる」
「分からない」ギロっとヨーヤムサンが睨む。
「そんな話が通用すると思うな。あの男は王宮にいる、違うか」「ウッ」
 ヨーヤムサンはフウと溜め息をつく。
「今の反応で分かったぜ。では、次の質問だ。奴はどこまで復活している。完全に復活しているのか」
「いや、まだ完全ではない、まだ、生贄が必要だ」「生贄?」
「あの方は、人間の欲望、恐怖を糧にされるお方。まだ、足りてはいない」
 おぞましい空気が流れた。
「3つ目の質問だ。ローラル平原にもお前達の仲間がいるのか」
「クククッ、いる、いるぞ。徐々にあの方に陶酔する者共が増えてきているぞ。この前、手解きを施してやった男はかなりの剣の手練だった。ローラル平原最強の剣を持つ男に勝つため、我らの力を得たいと申しておったな。クククッ」
 ローラル平原最強の剣とは、まさか、遣い手は限られている。
「その男は、見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)を持つ男に勝ちたいと、言っていたのか」
「その通りだ。あの忌々しい剣術は我等に取っても目障り。一人でも始末してくれれば儲け物よ。クククッ」
「てめえ、その薄気味悪い笑いをやめろ。今すぐ、ぶっ殺すぞ」
 オバスティが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「では最後の質問だ。あの男の名を教えろ」
 途端にバラルがプルプルと震えだす。
「それだけは言えない」「何故だ、言え」
「言えぬ。言う訳にはいかぬ」
 ここまで怯えるとは、一体、どういうことなのか。
「悪霊の騎士と呼ばれる男の正体だ。お前は当然知っていよう。言え」
 ヨーヤムサンが槍を突き出すと、凄まじい風圧でバラルの顔が歪む。
 アルジは先程から背中が凍るような感覚に陥っていた。何だろう。プルプルと寒気がする。風邪を引いた時とは明らかに違う。
「どうした、アルジ」ターナが声を掛けてくれた。
「分からない。分からないけど、何か、恐ろしいものが近づいているように感じるんだ」
「もう、残っているのは、あいつだけだ。心配は要らないよ」
 この少年は、初めて命を掛けた戦いをしたのだ。恐怖感が遅れてやって来ても仕方のないことだ、とターナは思う。ポンと肩を叩いてやる。本当に震えていた。
「悪霊の騎士って、誰なの」
「あたし達の最大の敵さ。でも、直接、見たのはお頭しかいない」
「それだけは、それだけは」と、バラルが命乞いをするように訴える。
 その時だった。ヨーヤムサンの額の古傷がにわかに疼き始めた。こいつはと、後ろを振り返ると、いつの間にか黒尽くめの男が立っていた。
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