第28話 騎士崩れの男(3)

文字数 4,278文字

「ディーン、親父、無事だったか」
 二人の姿を発見したノエルが歓声を上げる。場末の酒場についた頃には、だいぶ日が傾いていた。楽天家のノエルもさすがに不安にかられていたのだ。
「ああ、兄さん、待たせたね」
 ニヤッとディーンが笑い、「この野郎、格好つけやがって」と兄が弟の頭を軽く小突く。
 いつものようにふざけ合う兄弟だったが、泥だらけのディーンを見れば、激闘をくぐり抜けてきたことが分かる。トラルが顔色を変えて飛び出して行った程だ。余程の相手だったに違いない。
 よく見れば、首筋に掠り傷だが斬られた跡もある。一歩間違えば命を落としていたかも知れなかった。
「ほう、これは驚いた。よく帰ってこれたものだ」
 中年の女店主はカヲルを見てあ然としていた。まさか帰ってくるとは、思っていなかったのだ。帰って来られたとしても、良くて大怪我、十中八九、死体で帰ってくると思っていたのだ。
「おや、坊やも良く帰ってきたねえ。ところで貸してやった馬はどうしたんだい」
「すみません。盗られてしまいました」
 ディーンが申し訳無さそうに頭を下げる。
「何だって」
「でも、カヲルは取り戻せたよ」
「何、言ってるんだい。あの馬は良い馬なんだよ。借金の肩に取り上げた物なんだ。ちきしょう、こんなことになるんじゃないかと思ってたんだ。こんなことなら貸すんじゃなかったよ。いいかい、弁償してもらうよ」
 カヲルより馬の方が大事だとでも言わんばかりの女店主にティーンは怒りを覚える。それはノエルも同じだった。
「そっちこそ、何言ってやがる。店の女より、馬の方が大事だってのか」
 ノエルも女店主に掴みかからんばかりの形相だ。
「そんなことはどうでもいいんだよ。盗られた馬をどうしてくれるんだと聞いているんだ。訳の分からないことを言ってんじゃないよ」
「何イ」
 ノエルは女店主の胸倉を掴む。
「まあ、待て」
 サルフルムが割って入る。
「確かにあれはいい馬だ。弁償を求める気持ちは分からんでもない。そこで、どうだ店主。人攫い共が乗ってきた馬を三頭連れてきておる。好きな馬を代わりに一頭やるから、帳消しにならんか」
「これはこれは、サルフルム様。でも、あの馬はかなりの上物です。そこいらの馬と一緒にしてもらっては困ります」
「あの馬達も人攫い共が使うくらいじゃ、悪い馬ではないぞ。まずは見てみよ」
 そう言われて、女店主は馬達を値踏みするように隅々まで眺める。
「どうじゃ」
「確かに悪い馬ではありませんが、私の馬は特別です」
 なんて強欲な女だ、とノエルがなにか言いたげだが、トラルが目で制す。サルフルムに任せろ、という合図だ。
「ほう、なるほどな。ならば二頭ではどうじゃ。これで納得せねば、この取引はなしじゃ」
 女店主は少し考えこんだが、ニコッと愛想笑いを浮かべた。
「分かりました。サルフルム様からの折角の申し出、お受け致します」
「おお、では、商談成立じゃ」
 いかに良い馬だったとはいえ、連れてきた三頭も栗毛の良い馬達だ。二頭と引き換えにするのは余りに不公平感がある。しかし、サルフルムは一向に意に介さない様子だ。
「好きな馬を二頭連れて行くがよいぞ」
「では、遠慮なく」
 女店主は先程目星をつけておいた二頭を選び、店の者に連れて行かせた。
「では、私はこれにて失礼させていただきますよ。ああ、そうだ。サルフルム様、今晩いかがでございますか。騎兵団の皆様もさぞお疲れでございましょう。良い酒もご用意しております」
 商魂逞しいとは、まさにこのことだ、とディーンは呆れる。
「それは良いのう。じゃが、生憎まだ任務が残っておる。また今度じゃ」
「それは残念ですわ。では、またのお越しを。ほらカヲル。いつまでそこに突っ立ってんだい。早く店の中に入りな。あんたがいない間にいっぱい仕事が溜まってんだよ」
 カヲルが不安そうな目でサルフルムに訴える。
「何やってんだい。早くしな。いつまでノロノロしてんだい」
「店主よ。我等の任務とは、お前に用があるのじゃ」
「私に」
 女店主が怪訝そうな目で見る。
「そうだ。お前の店は年貢を滞納しておるそうじゃな。今日はその取り立てにきたのじゃ」
「な、何をおっしゃいますか。私共の店は年貢を納めなくてもよいと聞いております。年貢を払えなど、これまで言われたことなどございません」
「ほう。これは異なことを申す。我らの台帳には五年間滞納と書かれておるが」
「見、見間違いではありませんか、ここで十年以上、商売しておりますが、これまで年貢を払えと云われたことなどありませんよ」
「なんだと。我らの台帳が間違っていると申すのか」  
 騎兵の一人が声を荒げる。
「ええ左様で。いかに騎士様といえども間違いはございますでしょう」
 女店主は全く動じない。
「確かにな。騎士といえども人には違いない。人である限り間違いもあろう。だが、これはどうじゃ」
 サルフルムは懐から滞納を示す証文を取り出し見せた。テネア司令長官マークフレアー・ワーズのサインがある。グウッと女店主が押し黙る。
「まさかこの証文も間違いだとは申すまいのう」
「マークフレアー様のサインがある。もはや言い逃れは出来んぞ」
 先程の騎兵が畳み掛ける。
 女店主は、はぁーとため息をついた。そして、騎兵をギラっと睨みつける。
「うるさいね。こっちは荒くれ共相手に命張って商売してんだ。年貢なんて払う金はビタ一文もないよ」
 女店主は開き直って声を張った。
「何、言わせておけば」
 カアーと熱くなった騎兵を、待て、とサルフルムが制す。
「店主、今、命を張っていると申したな。面白い。我らもこの任務を果たすのに命を掛けておる。分かっておろう。年貢の滞納は重罪ぞ。増して開き直って支払いを拒否するなど不届き千万。マークフレアー様の沙汰を待つまでもなし。女、そこに直れ。このサルフルムの槍で一突きにしてくれようぞ」
 シャキーンとサルフルムは長槍を構えた。
 先程、人攫い二人を刺してきたばかりだ。その迫力にさすがの女店主も震え上がった。穂先を突きつけられ恐る恐る前を見る。女店主はギョッとする。そこに鬼のサルフルムがいた。
「お、お待ちを、お待ちください」
 必死に命乞いするが、サルフルムの穂先は下がる気配がない。
「わ、分かりました。は、払います、はらいます。で、でも手持ちがないんです」
 ギロっとサルフルムが睨む。
「本当だ。本当なんだよ。信じておくれ!」
 必死の懇願にサルフルムはやっと穂先を降ろす。ハアハアと女店主は地面に両手をつき肩で息をする。腰がすっかり抜けていた。
「本当に払うのだな。二言はないぞ」
 サルフルムの睨みに女店主はコク、コクッと何度も首を盾に振る。
「あい分かった」
 サルフルムが構えを解くと、女店主はヘナヘナとその場にヘたり込んだ。
「しかし、手持ちがないとは困ったのう。マークフレアー様からは猶予はならぬと厳命を受けておる。さて困った」
「ヒィー、命だけはお助けを」
「よし、我らも鬼ではない。代わりにそこの娘を貰っていくのはどうじゃ」
「へ?カヲルのことでございますか」
「そうじゃ。人攫いが目を付けるほどの器量。どこかの店で高い金で買ってくれよう。十分に年貢の代わりになる。どうじゃ店主」
「は、はい。仰せのままに」
「おお、では商談成立じゃ」
 こうして、カヲルは女店主から開放された。最後、女店主はいかにも不機嫌な顔で借金の証文とともにカヲルを引き渡した。
「お前が来てからろくな事がないよ。二度と此処に来るんじゃないよ。早く行きな、目障りだ」
 捨てゼリフを吐き、そそくさと店の中に入って行った。
 カヲルはそのままサルフルムの口添えでマチスタの中心にある木材問屋に住み込みで働くことになった。
 仕事の内容は、木材加工職人達の掃除や食事の世話などが主で、忙しいが店主の面倒見がよく、充分な衣食住を与えられ、重労働をさせられることもないだろう。
「ディーン、もう会えないの」
 別れの時、カヲルは哀しげだった。
「マチスタには年に数回は父さん達と来る。その時に会いに来るよ」
「本当、必ずよ。絶対に来てね」
「分かった」
「ディーンから貰ったこれ、一生大事にする」
 カヲルは橙色の鼈甲細工の櫛を取り出した。本当はジュンにあげようと買ったものだった。少し複雑な心境のディーンに、カヲルは顔をそっと近づけると、頬にチュッとキスした。エッと驚くディーンに手を振り、カヲルは新しい雇先の店に消えて行った。
「よ、色男、モテモテだね」
 ノエルがからかう。ディーンはしばらくカヲルの消えた後ろ姿を見送っていた。
「ディーン、お前ならばマークフレアー様も気にいられるかも知れん。あの方はテネアのため、若く伸びゆく力を所望している。もし、騎士になる気持ちがあるのなら、わしを頼って来るが良い」
 別れ際、サルフルムは言った。テネアとはどんなところなのだろう。マークフレアーとはいかなる人物なのだろう、ディーンは興味を持たずにはいられない。
「マキナルのこと、くれぐれも油断するな。父の元で修行に励め。ではさらばじゃ」
 テネア騎兵団二十騎は去って行った。鬼のサルフルム、確かに戦っているときの迫力は鬼のように凄まじかったが、心優しい老兵だった。
「では、我々も帰るぞ」
 トラルが荷馬車の手綱を引く。
「あいよ、早くお袋のスープが飲みたいぜ」
 ノエルが応える。
 そうだ。オリブラに帰れば、母さん、ミラ姉さん、妹のジュンが待っている。疲れてはいたがディーンの足取りは軽かった。
「ほらよ。これをジュンにあげな」
ノエルがポンっと何かを寄越した。
「え、これは」
 鼈甲細工の櫛だった。ノエルも買っていたのだ。何だ、かんだで、やはり妹は可愛いらしい。
「けど、兄さんが買ったんだろう」
「いや何、遊ぼうと思ったんだが、いい娘がいなくて金が余っちまったんだ」
 ノエルは柄になく照れくさそうだ。
「兄さんから、あげたらいいじゃないか。ジュンも喜ぶよ」
「いいや、こういうのはお前からの方がいいんだよ」 
 ディーンは困惑する。
「そうだ。ノエル兄さんと俺が半分づつ出したことにしよう。そうだ、それがいい」
「勝手にしろい」
 我ながら良い案だと思う。ノエルはそれ以上、何も言わなかった。
「今夜はマクラの森で野宿だぞ」
 トラルが振り向く。
「あー、あの森は蚊が多くて眠れねえんだよ」
 ノエルが愚痴る。ディーンも憂鬱になる。5箇所くらいは刺されることを覚悟しなければならない。
 しかし、荷馬車に羽を剥いた雌の山鳥が二羽ぶら下げてあった。今夜は山鳥の丸焼きだ、とディーンはワクワクするのだった。
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