第2話 悪霊の騎士(1)

文字数 3,163文字

 皆が平和に浮かれる頃、
 アデリーの峰々を越えて
 悪魔がやってくる。
 
 悪魔は邪悪な刃を振るい、
 男も女も老人も赤子も
 八つ裂きにする。

 大きな剣を背負い、槍を左脇に携えた男がハアハアと荒い息を吐きながら、テネア城に急いでいた。
 男の身長は2メートルを超えているであろう。がっしりとした体格、汗に濡れた筋肉が衣服を引きちぎらんばかりに盛り上がっている。手に持つ槍は大人の腕くらいはあろうかというほどの太さだ。
 黒い髪の毛は逆立ち、大きく見開いた目は今にもバチバチと火花を放ちそうなほど赤い。喉の奥から唸る様に荒い息を吐きながら走るその姿は、まるで獲物を追う猛獣だった。
 男の姿を見た町の人々は、あまりの迫力に圧倒され、身動き出来ないまま、その場に立ち尽くし、愚図っていた幼児はピタッと泣き止んだ。
「許さん、絶対に許さんぞ」
 鋭く見据えた先に城壁が迫っていた。石畳の先にあるアーチ型の城門は固く閉じられており、二人の門番が立っている。
「止まれ、何者だ」
 全く怯む様子を見せない男に門番は槍を構えるが、男の勢いは止まらない。
「敵襲だ。テネア国の残兵だ」
 騒然となる中、城門にたどり着いた男は、門番二人の体を槍で一瞬のうちに突き上げる。
 悲鳴を上げる間もなく地に附す門番には目もくれず、男は右手の拳を大きく振り上げ、ウオオという咆哮と共に門扉に叩きつける。
 グワシャという鈍い音と共に木材の破片が飛び散る。男の拳が厚い木板を幾重にも重ねて作られている門扉を突き破り破壊したのだ。
 男はギザギザ模様に大穴が空いた扉を潜り抜け悠然と城内に入る。
「ば、バケモノか」
「な、何者だ」
 直ぐに駆け付けた20人程の兵達は男の荒業に目を疑う。
「どけ」と、男が怯むことなく槍を振るうと、兵達の首が一気に3つ、4つポンポンと飛ぶ。
 オオと驚愕する兵達を容赦なく次々と槍で突き倒していく。
 あっという間に数十もの屍が広がる。常軌を逸したあまりの男の強さに兵達は圧倒され、為すすべがない。
「司令官に報告」
「化け物のような男が来襲、第三騎兵隊、壊滅」
「応援を至急要請」
 隊長達の怒号が飛び交う。
 兵達の返り血を浴び、悪鬼のような形相となった男は主塔の階段を駆け上がる。この城はつい一週間前まで我々の城だったのだ。
 それを、アジェンスト帝国の兵達が平和に暮らす我々を突然襲ってきたのだ。その上、降伏する時の約束を違い、父である我が王までも手に掛けた。
「許さん、絶対に許さんぞ」
 次々と襲いかかってくる兵達を男は槍で薙ぎ倒す。もう少しで4階の王の部屋に辿り着く。そこに敵の司令官がいるはずだ。
 その時、一人の女がユラリと蜉蝣のように現れ、男を見下ろした。「?」
 美しい女だった。真っ白なプラチナの長い髪。睫毛、眉毛も白い。見開かれた大きな瞳は右目が茶眼、左目が碧眼だった。
「若き男よ。そなた、何者ぞ」
 美しい声で男に語りかける。体に纏わりつくような黒い衣装がスラリとした肢体を際立たせる。こんなに美しい女を見たことがなかった。
「父の仇を取りに来た。お前に用はない。そこを退け」
 こんなところに女がいるのはおかしい。凝視する男に女は微笑みを浮かべる。
「ほう、そなた、テネア国王フーマンの息子か」
 フフと笑う女の雰囲気が普通ではない。一体何者だ、と男の警戒心がみるみる大きくなっていく。
「お前は誰だ」
「見る者によって余の姿は違う。そなたの目に余はどう見える」
 この女は人間ではないのか。精霊か、はては物の怪か。男は背負っていた剣に手を掛ける。
 柄には、テネア国王の紋章である2匹の絡みつく蛇の彫刻が刻まれている。漆黒の闇を照らし、魔を滅すと伝わる聖剣アルンハートだ。
 ジャキーンと鞘から抜くと、どっしりとした光沢の剣が眩いばかりの光を放つ。途端に目の前の女が消え、入れ替わるように青白く、まるで彫刻のような肉体美の男が現れた。
 深き闇の如き漆黒な瞳が、聖剣を構える男を見下ろしている。怯みそうになるほどの邪悪な雰囲気を放っている。
 これが女の正体なのだ。いや、女ではなく邪悪な男だ。聖剣アルンハートが真実をさらけ出したに違いない。
「悪魔か」思わず男はつぶやく。
「フフ、そう呼ぶ者もいる。だが、余はそなたと同じ人間ぞ」
 いや、この男は人間ではない。邪悪な魔物だ。ほっておいてはならぬ存在だと確信する。
 しかし、俺に倒せるのか。剣術には自信がある。聖剣アルンハートも右手に握っている。だが、光も届かぬと思われるほどの闇の深さに、男は躊躇せざるを得ない。
「どうした。かかって来ぬのか。フフ、そなたの父、フーマンを手に掛けたのは余ぞ」
「?!」父王が目の前の男に剣で心臓を貫かれている映像が鮮明に浮かんだ。この男が父の仇なのだ。みるみる体の奥底から憎しみがみなぎる。
「そうだ。そなたの憎しみを余にぶつけてみよ」
「うおお」
 ありったけの力を振り絞り、聖剣アルンハートを振るう。キーンと金属同士が激しくぶつかり合う音が響き渡る。周りの石壁が崩れんばかりの衝撃だ。
「そなたの怒りは、こんなものか」
 男の挑発に逆上し、聖剣を振るうが、漆黒の瞳を持つ男の剣に軽々と受け止められる。
「いいぞ、もっと憎しみをぶつけてみよ」
 次々と斬撃を振るう内に、鍔迫り合いとなり、互いの息がかかるほどの近さで漆黒の瞳を持つ男と対峙する。
 目の前の男は汗一つかいていなかった。それどころか涼しげな笑みを浮かべている。
「フフ、そなた、気に入ったぞ。どうだ、余に仕えぬか」
 妖艶な漆黒の瞳に魅入られたように体が動かない。
「余の下に参れば、思うがまま生きることが出来るぞ。財も地位も名誉も女も、そなたが望むもの全てが手に入る」
 囁くような誘惑の言葉は非常に心地よい。
 しかし、パッと後ろに離れると聖剣アルンハートを振り上げながら、
「そんなものは要らん。俺が欲しいのはお前の首だけだ」と言い放ち、一気に漆黒の瞳を持つ男の頭上に振り下ろす。
「そうか、ならば死ぬが良い」
 漆黒な瞳が赤く光った。
「ぐわぁ」
 聖剣アルンハートを振り下ろした男の眉間から血がドッと吹き出す。漆黒の瞳を持つ男の剣が額に突き刺さっている。吹き出る血を右手で押さえながらヨロヨロと後退する。
「ほう、余の突きを躱すとは大したものよ」
 男の獣のような反射神経が致命傷となるのを防いだのだ。だが、頭蓋骨を突き破った傷はかなり深い。
「ここで死ぬには惜しい男よ。どうだ、もう一度だけチャンスをやろうぞ。余の下に参らぬか」
「断る」
 ドクドクと溢れ出る血で顔面が真っ赤に染まったが、男の目は猛獣の如く強く滾っていた。
「死に急ぐ愚かな男よ」
 漆黒の瞳を持つ男が剣を構えるのを見て、男はこのままでは奴には勝てぬ。一旦、退却しようと咄嗟に後ろを振り向く。そこへ漆黒の瞳を持つ男の刃が一閃する。
「グオオ」
 背を縦に切られ男の動きが止まる。しかし、男は歯を食いしばると、登って来た階段を一気に駆け下りた。
「退け、退け」押し寄せる兵達を剣で押し分けるように下がっていく。手負いの男に兵達が一斉に襲いかかり、あっという間に体中が傷だらけとなる。
 眉間の血が止まらず目の中に入り視界が霞む。意識も薄くなっていく中、闇雲に剣を振るい、男は何とか塔の外に出た。
 しかし、そこには何百もの兵達が待ち構えていた。男は力を振り絞り剣を振るう。兵達の首が一気に、二、三つ飛ぶが先程までの勢いはない。しかも、背中に受けた斬撃の所為なのか、次第に利き腕である右腕が痺れてきている。
 だが、男の執念は剣を振るうのを止めない。最後の血の一滴が枯れ果てるまで戦う決意だ。
 手負いの猛獣のような男に兵達は「怪物だ」「魔物だ」と恐れを抱き始めていた。
 その時、銀の甲冑姿の騎兵が一騎城内に侵入してきた。
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