第59話 傲慢の騎士(4)

文字数 3,219文字

 剣を受け取ったナンドはナイトバードを睨んだ。この男が全ての元凶なのだ。指令官だろうが、構うものか、俺はこの男を倒して此処から、おさらばするのだ。
「いつでも、構わんぞ。掛かってこい」
 剣を腰に吊るしたまま微動だにしていない。ニヤニヤしている表情から何を考えているのか全く伺うことができない。
 何故、笑っているのか。剣術に自信があるのか。しかし、このズングリした体型で素早い動きが出来るとは思えない。俺のことを侮っているのか。
「どうした、かかってこぬのか」
 迷っている場合ではない。勝てば都に帰れるのだ。この狂った男を倒せばいいのだ。俺はこれまで戦場で何人もの人間を殺してきたのだ。男は痛ぶり、女は凌辱してから殺した。
 司令官だか何だか知らないが、目の前にいるのは、上から命令するだけで、戦場に出ることもなく胡座をかいている、只の男だ。幾多の実戦で培われてきた俺の方が強い。
 ナンドは剣を抜くと、ウオオと雄叫びを上げて、ナイトバードの頭上に剣を振り下ろす。主の危険を察知した近衛兵達が剣を抜こうとするが、サンバが右手を上げ、それを制する。
 ナイトバードはまだ剣を抜いてはいない。なぜ抵抗しないのか、一瞬、不思議に思ったが、もはや、どうでも良いことだった。
 迷わず、そのまま剣を振り下ろす。
 斬れる、そう思った瞬間、ナイトバードの顔が目に入った。その目には一筋の光も無く、暗黒の闇しかなかった。目の前にいるのは人間ではない。
 ああ、俺は悪魔を相手にしていたのか。
 その時、周りの者達は信じられない光景を見た。ナンドが剣を振り下ろしたままの姿勢でピクリとも動かなくなっていた。その剣先はナイトバードの脳天に紙一重のところで止まっている。
 ナンドが寸止めしたかの様に見えたが、様子がおかしい。そのままの姿勢で体が硬直している。
 ナンドは、必死に体を動かそうともがくが、全く力が入らない。一体何が起こったのか、確認すべく必死に視線を下に向ける。
「え」
 ナイトバードの左手に握られた剣が自分の胸にかなり深く突き刺さっているのが見えた。不思議なことに全く痛みがなく、血の一滴すら出ていない。いつ刺されたのかさえ分からなかった。いや、本当に刺されたのか、そう疑う程だ。
「わしの剣は貴様のあばら骨の隙間を通り抜け、心臓に触れている。動くことは出来ん」
「な、何をした」
「指先に貴様の鼓動を感じるぞ。フッフフ、わしが剣先を少し捻っただけで、貴様の心臓は破裂する」
「た、助けてください」
「ほう、神ではなく、このわしに命乞いをするのか」 
 コクッコクッと頷く。この悪魔のような男に正に心臓を握られているのだ。恐怖と気持ち悪さでおかしくなりそうだ。
「分かったであろう。神など信じても何の慰めにもならんということを」
「分かった、分かったから、助けてください」
「ならば神ではなく、わしを信ずるか」
「信じます、信じます」
「いいだろう。だが、既に遅い」
 ナイトバードがニヤリと笑うのを見て、ナンドは絶望を感じる。胸に刺さった剣先が動くのが分かった。ナンドの背中から大量の血飛沫が上がった。
 血飛沫を浴び、後ろにいた部隊長と拘束していた兵士の全身が真っ赤に染まる。ナイトバードがぐいっと剣を引き抜くと、ナンドはバタッと後ろに倒れた。
「見よ。これが、わしを信じずに神を信じた者の末路だ。だが最後は改心し、わしを信じると申した者の為に血の祝福を授けてやった。ナンドは黄泉の世界でも、今生と同じ、敵を殺し、女を犯すことが出来る快感に酔いしれているだろう」
 部隊長の真っ青な顔が紅潮していた。
「迷うことなどない。敵を殲滅するのは、我らの勝利の為。わしを信じよ。さすれば、この世でもあの世でも思うがままよ」
「ハッ、このアルハイ。ナイトバード様に死んでも絶対の忠誠を尽くしまする」
「うむ、頼りにしておる」「ハッ」
 部隊長は興奮した面持ちで去っていった。
「何故、ご自分で成敗されたのですか。一切の危険を嫌うあなた様が何故です」
 サンバが無表情のまま聞く。
「フン。お前の言う通り、わしはどんなことになっても死への危険だけは完全に排除せねばならん。だからだ」
「だからですか」
「たまに剣を使わねば腕が錆びるではないか」
「なるほど。ジュドー流剣術奥義忌難抜刀ですね。久しぶりに拝見させて頂きました」
「ジュドー流剣術だと、フフ、その名さえ忘れておったわ」
 奥義忌難抜刀は、相手を殺め、地獄に引き摺り込むことを目的としたジュドー流剣術の中では異色のものである。自身の身を守ることに特化した剣だからだ。
「それに、偶に心臓に触れてみぬと、たぎって落ち着かぬ」
「それは難儀でございますね」
「愚か者は、死んだら終わりだと思うから、生に執着する。死んでからが本当の始まりだということを知らぬ。なのに何故、非道な行いをするのを躊躇する必要がある。そんなに神が怖いのか。この世で何をしようが何も変わらん。それは死んでも変わらん。神など何も出来ん存在に過ぎぬ。そして、あの方とて、わしの剣を討ち破ることは出来ぬわ。フッフフ」
 サンバは相変わらず無表情のまま何も答えない。
「わしは傲慢の騎士と呼ばれておるが、そう呼ばれる意味が分からぬ。神もあの方もわしに対して何も出来ぬというのに、そのわしがやることを傲慢というのか」
 ナイトバードは心外そうな表情をした。
「まあよい。そのうち思い知らせてやるわ。それにしても、あの老いぼれが又、ローラル平原に行くと申していたな」
「マルボード長官のことでございますか」
「フン、老い先短い爺ィに何が出来るというのだ。黙って余生を都で過ごしておれば良いものを。まあ、ローラル平原に辿り着く前にアデリー山脈で野垂れ死にしないよう精々老体を労ることよ」
 騎兵団団長が一同に介する軍議において、マルホードに住民虐殺を問題提起されて以来、いがみ合う存在となっていた。
「ところで、援軍の件、如何でしたか」
「フン。ベニールの奴め。五万の兵はアスヌフ攻めには過分と申して中々首を縦に振らぬ。だが、取り敢えず二万は送ると申しておったわ」
「左様ですか」
「だが、五万の兵が揃わぬうちは、アスヌフには進軍せぬ。二万の兵が来たら、バルジの町の修繕に就かせよ。城壁を固めさせよ」
「畏まりました」
「それにしても、世の輩は我軍のことを悪魔の軍と呼んでいるそうだが、笑わせてくれるわ。神だろうが悪魔だろうが、わしには敵わぬというのに。グワッハハハ」
 バルジ城の主塔に傲慢の騎士の高笑いが響き渡った。

 真夜中の間隙をぬって、バルジの町に忍び込んだタブロとジミーは朝焼けに染まる町の光景を目にして、しばらく言葉を失った。
 建物はハンマーで壊され、どれ一つとしてまともな物はない。バラバラになった屍が至るところにある。地面は赤く血で染まり、悪臭が立ち込める町全体が人間の屠殺場のようだ。
「これは酷え」「ああ、こんなのは初めて見たさ。人がこんなことを出来るものなのか」
 あの女達が命を掛けて逃げようとしたのが分かる。エバンの酒場で商人が言っていた話に誇張はなかった。アルザ婆さんから聞いた西の国にあるという血の池地獄が、目の前にあった。
「人間のやることじゃねえさ」「ナイトバードって野郎の軍隊なんだろ。くそったれ、そいつと出会ったら、俺がぶっ殺してやるぜ」
 怒りで高ぶる気持ちを何とか鎮めながら、二人はバルジの町を歩いた。女達を襲っていた兵士達から奪い取ったアジェンスト軍の軍服を着ているため、怪しまれることはなかった。
「なあ、ジミーよ。アルザ婆さんがこの光景を見たら、何て思うだろうか。神様に、何て祈るのだろうか。こんなことをする野郎でも救おうとするのだろうか」
 ジミーは少し沈黙した。
「婆さんなら、きっとそうするさ」「ああ、そうだな」
 二人は再び、適当な建物に隠れ、夜になるのを待った。そして、真夜中にバルジの町を去っていった。
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