第34話 女山賊たちとの旅(2)

文字数 5,996文字

 食事が終わり、洞窟の中で寝袋に入った時は、既に日は落ちていた。慣れない生活の疲れからか、アルジは直ぐにウトウトと眠りに堕ちようとしていた。
 うつらうつらしながらも、こちらに近づいてくる何者かの気配にふと目が開く。野生動物ではない。人の様だ。洞窟に差し込む月明かりで、僅かだが辺りの様子が伺える。
 段々とスラッとした細い体と腰がくびれたシルエットが浮かび上がった。女だ。
 エリン・ドール達は他の洞窟で寝床を取っているはずだが、一体自分に何の用だろうと息を潜めて様子を伺う。
 まさか、他の山賊の類が寝込みを襲おうとしているのではあるまいか。しかし、この辺にヨーヤムサン以外の山賊はいないはずだ。まさか、アジェンスト帝国の諜報員か。一気に心臓が高鳴る。
 完全に目は覚めた。
 アルジは懐に抱いていた短刀をギュッと握りしめる。女は枕元まで来るとジッとこちらを見下ろしている。緊張が高まる。
「起きているんでしょ」
 上からエリン・ドールの声がした。
 アッとアルジは目を開ける。何だ、エリン・ドールか。相手が分かり、少しホッとする。
「お願いがあるの」
「えっ」
 起き上がろうとするアルジを、エリン・ドールは、そのままでいいわ、と首を横に振り制した。
「最近、良く眠れないの。だから少し付き合って欲しいの」
 そういいながら、カチャカチャと腰のベルトを外し始める。
 エリン・ドールが、一体何をしようとしているのかが、分からずアルジは困惑する。
 すると、エリン・ドールが寝袋の中に入ってきた。
「?!」
 細かく編み込んだ青い髪の束がパラパラと顔に降りかかる。息がかかるほどの近さで、青い瞳にジッと見つめられ、心臓が早鐘のように鼓動する。
 アルジは息を呑んで、ひたすらジッとした。
「あなた、もしかして初めて?」
「えっ」
 まさか、刹那にエリン・ドールの言っている意味が分かり、思わずアッと声を上げる。
 何故僕と、駄目だ、そういう行為は妻とだけ行うものだと教えられてきた。結婚したら、エリナと行うべきものだ。ああ、だけど、エリナはもう僕の婚約者ではない。
「あなたの鼓動凄いわ。いい、ジッとしていて。でも、あなたも悪くないはずよ」
 エリン・ドールが腰を沈めてくる。
 駄目だ、こんなことをしてはいけない、拒否しなくては、と懸命になるが、頭の中が真っ白で言葉が出てこない
 荒い息を吐く年上の女に抗うことができず、アルジはひたすら揺れ動く蝶の刺青を見上げていた。
 目の前にいるのは本当に、あの青い目の人形、エリン・ドールなのだろうか。
 
 やっと解放されたのは、一時間以上経過した後だった。
「ありがとう、アルジ。あとはゆっくり休んで」
 何事もなかったかのように腰のベルトを閉めると、エリン・ドールは去っていった。岩肌の地面に擦られた背中の痛みだけが残った。

 いつの間にか眠っていたらしい。
 アルジは夢にうなされていた。エリナとお互い一糸まとわぬ姿で抱き合っている。違う。僕の知っているエリナはこんなことをする女性じゃない。
 必死に否定し見上げると、いつしか相手が隻眼のターナに代わっていた。
 止めろ、止めてくれ、と必死に叫んだところで目を覚ます。
 ハアハアと激しく息をする。
 全身が汗びっしょりだった。喉の乾きに気付き、水筒を手探りで漁る。人心地つくと、まだ夜明けまで時間があることに気付き目を瞑る。
 あれは夢だったのだろうか。だが、背中の痛みが現実だったことを思い出させてくれる。しかも、何故かエリナとターナの夢まで見てしまった。
 何故だろう、そう悩んでいるうちに眠りに陥っていた。再び目覚めたとき、朝日が洞窟の中に差し込んでいた。
 背中が痛い。寝袋の背の部分に無数の擦り傷を負ったようだった。洞窟から顔を出すと、既に皆起きている。
 あんな夜だったにも関わらずエリン・ドールの表情はいつもと変わっていない。遠くの景色を眺めながら優雅に朝食を取っている。
 朝食は、昼、夜と変わらず乾パンと干し肉だが、ビタミン不足を解消するため、ドライフルーツも食べる。
 アルジは岩肌の上に座り、黙々と朝食を食べ始めた。エリン・ドールとは、まともに顔を合わせることが出来ない。
 酷い罪悪感に襲われた。妻となる女性とだけ許される行為をエリン・ドール相手に行ってしまった。
 それなのに全く抵抗できず、しかも快感すら覚えてしまった自分に怒りが込み上げ、乾パンをガツガツと嚙じる。
「出発する」
 ヨーヤムサンの声がやまびことなって響き渡り、一行は出発した。今日もターナを先頭に、アデリー山脈の険しい中腹を縦断していく。殿はいつものようにエリン・ドールだった。
 天候が大きく崩れることもなく、一行は予定通りに今夜の露営地に着く。ここには山々に積もった雪が融け出し、泉が湧いている場所だ。
「久しぶりに体が洗えるぜ」
 隻眼のターナが歓喜の声を上げる。他の女達も喜びに湧く。エリン・ドールも口には出さないものの嬉しそうに見える。
 今朝の夢を思い出し、アルジは一人顔を赤らめる。
 女達は洞窟に荷物を置くと泉に集まった。ヨーヤムサンは洞窟に籠もったままだった。
「アルジ、お前も来な」
 ターナが呼ぶ。隻眼のターナ。
 彼女は腹心としてエリン・ドールに常に付き従っている。そして女達に指示を出すのは彼女の方が多い。
 歳は25歳とエリン・ドールより年上だが、年下のリーダーに絶大な信頼を寄せている。背は女達の中で一番高い。
 性格は一言でいうと、荒々しく、彼女のトレードマークである左目の黒い眼帯と相まって人々に凄みを与える。
 アジェンスト帝国の首都アルフロルドの貧民街で生まれ育った彼女は、幼い時から男勝りの体格と凶暴さで恐れられていた。同じような境遇の女達のリーダー格として、一目置かれる存在だったのである。
 そんな彼女が20歳の時、治安維持の名目で守備軍が貧民街に一斉に押し入って来たときのことだ。
 守備兵達は暴虐の限りを尽くした。片っ端から貧民街で暮らす人々を次々と捕らえ、抗う者には容赦なく刃を振るった。
 ターナは仲間達と必死に抵抗した。だが、多勢に無勢、仲間が一人、また一人と倒れていく中、孤軍奮闘していたターナは捕えられてしまう。
 両手両足の自由を奪われ、兵達の好色な目に晒された。整った顔立ちとショートボブの赤色の髪、少し釣り上がった大きな瞳は男達を欲情させるのに十分だった。
 それでも反抗的な態度を止めないターナに、兵長の一人が逆上し左目に剣を突き刺したのである。
 ターナは絶叫した。
 ドクドクと血が溢れ、まるで左目が焼けたような激痛が走る。のた打ち回りたいが両手両足を拘束されているため、それすら出来ない。心臓が経験したことの無い速さで鼓動し、ターナは死を覚悟した。
 その時である。ヒュンヒュンと空気を切り裂く音がした。無事な右目で凝視すると、兵達があっという間にその場に倒れていくのが見えた。
 そして、可憐な青い目の人形が、優雅に舞を舞っていた。あまりの華麗な動きに、一瞬、左目の痛みが消える。
 ターナの窮地を救ったのは、青い目の人形と呼ばれる、一匹狼の美少女だった。彼女のことは知っていた。2年ほど前に貧民街に突然現れ、誰もとつるまず1人で行動する女と聞いていた。
 無表情で淡々とした言い方、貧民街で暮らしているとは感じさせない気高さと振る舞いから、異色の存在感を放っていた。
 彼女を気に入らない連中や仲間に引き込もうとする連中、手籠にしようという輩が多くいたが、彼女の強さは尋常ではなく、全員、返り討ちにあっていた。
 いつしか、彼女は孤高の存在として誰にも束縛されない存在となっていたのである。
 そんな彼女のことを気にはなっていたものの、来る者拒まず去るもの追わずが信条のターナは、積極的に関わろうとはしなかった。会話を交わしたことすらない。だのに見ず知らずの女が何故この窮地を救ってくれたのか。
「何故、あたしを助けた」
 ハアハアと息も絶え絶えにターナは聞いた。
 青い目の人形は不思議そうに見つめながら、「あなたが死んだら、困る人達が沢山いるわ。それが理由じゃ駄目」と無表情に答えた。
 アッと、ターナは青い目の人形のことを一瞬で理解した。この少女はあたしと同じだ。去る者追わず来る者拒まずの信条を貫いているだけなんだ。
 周りが勝手に誰ともつるまない孤高の女と決めつけているだけで、今まで、仲間と呼ぶべき人間に出会わなかっただけに違いない。
「あんたの名前は」
「エリン・ドールよ」
「あたしの名前はターナだ」
 それ以降、この人形のような少女と行動を共にするようになった。失明した左目の傷が癒えた頃、散り散りになっていた仲間達も徐々に合流するようになった。
 ターナは仲間達と共に、エリン・ドールに忠誠を誓い、アロウ平野を縦横無尽に暴れ回る盗賊団を結成するに至ったのである。
「お嬢、冷たいけど、気持ちいいよ。あんたも早く水浴びしなよ」
 ターナはエリン・ドールのことをお嬢と呼ぶ。それは他の仲間達も同じだった。
「今、行くわ」
 そう言って、エリン・ドールは全裸となり女達と一緒に水浴びを始める。
 突然、目の前で全裸の5人の若い女達が水浴びを始めたのだ。アルジは驚き、見ないよう下を向く。特にもエリン・ドールのスレンダーな裸体を見ると昨夜のことを思い出してしまう。
 エムバ王の舘で初めて彼女を見た時、こんなにも美しい人間がいるのだと感動したものだ。
 純粋に美しいものを見たいという欲求に抗えず少し顔を上げると、背中の白い肌に浮かぶ大きな刺青の蝶が目に入った。優雅に宙を舞っているようだった。
「アルジ、お前も早く来い」
 そんなアルジをターナが誘う。何故か昨夜の夢を思い出し、アルジは焦る。
「い、いや、僕はいいよ」
「気持ちいいのに、おかしな奴だな」
 不思議そうな表情で女達は水浴びを続ける。
 一体、ターナ達は僕のことをどう思っているのか。アルジは戸惑いと共に憮然とした表情を隠さない。

 エリン・ドールと衝撃の一夜を過ごした、次の日の夜も月が出ていた。
 洞窟の中の入り口近くに寝床を取ったアルジは寝袋の中に早々に入り込んだが、中々寝付けないでいた。  
 もしかしたら、エリン・ドールが、今夜も来るかもしれない。でも、妻ではない女とこれ以上、ああいう行為を重ねては罪が重くなっていくのではないか。期待と不安が入り混じる。
 そんな中、何者かが入ってくる気配がした。エリン・ドールか、と鼓動が早まるが、上から見下ろしていたのは赤いショートカットの髪、ターナだった。思わずガハッと上半身を起こす。
「起こしちまったな。寝てたのかい」
「い、いや、まだ起きていたよ」
「そうか」一体、何の用があるのだろう。弥が上にも、昨夜見た夢を思い出してしまう。
「昨晩は、お嬢と寝たんだろう」
 思わず、エッと声を上げる。何故、そのことを知っているのか。
「今晩は、あたしの相手をしてもらうよ」
 少し釣り上がった大きな瞳が妖しく光ったように見えた。待ち切れないようにターナがカチャカチャとベルトを外し始める。これじゃあ、昨夜見た夢と一緒じゃないか。まさか、僕はまだ、夢を見ているのか。
「え、嫌だよ」
 思わず拒否すると、ターナが冷たい視線を投げかける。
「何だい、お嬢とは出来ても、あたしとは出来ないってのかい」
 凄むターナの迫力に気圧されしないよう、必死に見返す。
「いや、こういうことは妻となる女性とだけしか、してはいけないんだ」と、やっと言うことが出来た。
「ふん、エムバでは、そう教わってきたのか。確かに間違っちゃあいない。だけど、ここはエムバではない。あたし達の掟が全てだ」
「けれど、その、女と寝るのは、子を為すためだって聞いたよ。いや、あの、その、ターナさんと、その」
「アッハハハ、その心配はいらないよ。あたし達は子が出来ないようにする術を知っている。それと、お前に教えてやる。女は昂ぶってどうしようもない時がある。鎮めて欲しい時があるのさ。分かったら、黙って相手をしな」
「え、けど、やっぱり僕は」
「お前に拒否する選択肢は無いよ」
「え、どういうこと」
 ターナは眼帯を左手でつまむ。彼女の癖だ。
「あたし達はお前を仲間として受け入れたが、お前を一人前と認めた訳じゃない」
 それはアルジにも理解出来る。確かに今の僕では頼りないだろう。いざ争い事になれば、戦力にならないばかりか、足を引っ張ることにもなりかねないという自覚はある。けれど、このことと何の関係があるというのか。
「それは分かっているよ」
 そう言うと、ターナはフウーと溜息をつく。
「いいや、お前は分かっていない」「え」
「昼間、あたし達が水浴びしていた時、誘ったのに来なかっただろう」
「それが何か関係あるの」
 再びターナが溜息をつく。
「いいかい。あたし達は、誰もお前のことを一人前とは思ってやいない。それは男としてもだ。お前は裸をあたし達に見られるのが恥ずかしかったかも知れないが、あたし達は何とも思っちゃいない。それはお前に裸を見られても同じだ」
 あっ、そういうことなのか、とアルジは理解した。一人前の男として見ていないからこそ、ターナ達は自分達の裸を晒しても恥ずかしくも何ともないのだろう。また、逆に僕の裸を見ても何とも思わないのだ。
「分かったようだな。一人前の男と認められるまでは、あたし達の相手をしてもらうよ」
 そういいながらターナはベルトを外す。素足が月明かりに映えている。エリン・ドールに引けを取らないスラリとした美しいシルエットだと、こんな状況の中、アルジは思う。
「これを背中に敷きな」
 ターナは厚い毛布をアルジに手渡す。
「昨晩はお前が痛がってたって、お嬢が言っていたからね」
 言われるままに、毛布を背中に敷く。
 ターナはジッと見下ろした。
「あたしみたいな大きい女は嫌かも知れないけど我慢しな」
 昨夜の夢が現実になったのだ。それともこれは夢なのか。
 ターナの欲望は果てることが無いように思えた。アルジは屈辱と快感に耐えながら、ひたすらターナの左頬に彫られている蝶のタトゥーを見つめていた。エリン・ドールのとは少しデザインが違うことに気付く。
 解放された時、昨夜よりも長い時間が経っていたように思える。
 次の日の夜は、マキがやってきた。「ほら、早くしな」24歳で小柄な彼女はターナの妹というだけあって言葉使いも乱暴だった。
 また、次の日の夜はルナがやってきた。19歳で小麦色の肌を持つ細身の彼女は、疾駆のルナと称されるほど足が速いのだという。
「勝手にするから、気にしないで寝てていいから」
 大きな黒い瞳で、そう言って一時間ほどで帰っていく。
 ああ、僕は女達の欲望を解消する道具なのだ、そう悟るアルジだった。それ以降、夜、うなされることはなくなった。
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