第43話 ミラの決意(4)

文字数 7,764文字

 マチスタの酒場で父親の借金返済のために働く少女、カオルを人攫いの手から救い出したことは大きな自信となった。人を助ける行為は大いなる充実感を与えてくれた。
 しかし、酒場に帰してやったところで、カヲルは借金の肩として、自身の意志に反して見ず知らぬ男に抱かれていただろう。それで助けたことになったのか。どちらもカヲルにとって地獄には変わりない。俺の自己満足なのか、と自問自答を繰り返す。
 あの時、偶然にもテネア騎兵団副団長のサルフルムがいなかったら、本当の意味でカヲルを救うことは出来なかった。サルフルムの知恵と機転のお陰だ。騎士になれば、あのように知恵と機転を効かせることが出来るのだろうか。
 俺はマキナルを斬りたくはない。どうにかして斬らずに済む方法はないのか。知恵と機転でマキナルを納得させることが出来ないものか。ディーンは剣を構えながら、そんなことばかりを考えている。
 ドゴーンと遠くで落雷の音がした。山の天気は移ろいやすい。もう少しで嵐が来そうな空模様だった。今日はここまでか。そう考えたとき、こちらに近づいてくる女性の姿が見えた。ミラだとすぐに気付く。少し茶色が混じったブロンドの髪を靡かせ、スウーと歩くその姿は我が姉ながら見惚れてしまうほど美しかった。
「姉さん」「フフ、お腹空いたでしょ。差し入れよ」
「助かるよ。お腹ペコペコだったんだ。ありがとう、姉さん」
 ふとミラの背に剣が見えた。しかも通常よりも刀身が長い。「その剣はどうしたの」
「ディーン、食事の前にやることがあるわ。私はそのために来たの」
「え、何だろ」
 不思議そうな顔をするディーンにミラは真剣な顔で言った。
「私と立ち合いなさい」「え」
「時間がないわ。早く準備をしなさい」
「え、ちょっと待ってよ。姉さんと剣の立ち会いをしろって言っているの」
「そう。そのために剣を持ってきたわ」
 いつものミラ姉さんとは違う。命令口調で、しかも剣で立ち会えという、意図が分からなくてディーンは戸惑う。
 まさか、本気なのだろうか。そう思ってる間に、ミラは休憩小屋で支度を整えディーンの前に立っていた。ブロンドの髪を後ろで結い、右手に剣を持っている。
「お父様から話は聞いています。元騎士だった男と決闘をするそうですね」
「うん」
「では、あなたに聞くわ。騎士は生死を超えた信念を持っている者達。あなたはその信念を持っているの」「え、それは」
 フウーとミラは溜息をつく。
「まだ持っていないようね。あなたはそれで決闘に臨もうとしているの」
「ミ、ミラ姉さん」
「無謀ね。今のままではあなたは勝てない。一人で決闘に行かせる訳にはいきません。いいえ、お父様がお許しになっても私が許さないわ。決闘に臨みたければ、私に勝ちなさい。私を決闘の相手と思って、立ち会いなさい」
 呆然とするディーンを前にしてミラは剣を抜いた。スウッとした自然な構えは隙の無い構えだ。
「ディーン、剣を抜きなさい」
「そんなことできないよ」
「私が姉だから、女だから剣を抜けないの。戦場ではそんなことは通用しない。親兄弟でも殺し合うのが戦場」
「で、でも、ミラ姉さん」
 スッとミラの剣先が動いた。するとグラーという音とともに周りの木々が次々と倒れていく。その数10本ほどだ。
「な、何イ」
 ディーンは驚愕した。ミラの剣筋が見えない。どうやって木を斬ったのか。10本も一気に斬るとは信じられない。自分は5本が限界だというのに。果たして父さんでも出来る技なのか。
 もしかしたら、ミラ姉さんは見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)、最強の遣い手なのではないか。ディーンの顔つきが変わった。
「もう一度だけ言うわ。私を決闘の相手だと思って本気で立ち会いなさい。手加減しては駄目。私もあなたを殺す気で立ち会います」
「み、ミラ姉さん」
 ミラの表情が変わった。全身から発せられる只ならぬ気迫と殺気の籠もった瞳、何処かで見たことがある。
 そうだ、マキナルだ。あの男だ。
「では、参ります」
 スウーとミラの剣先が光る。咄嗟にディーンは剣を抜いて前で受ける。キーンという金属音が響き渡る。恐るべき高速の剣だ。剣筋が見えない。
 しかも、骨の髄まで痺れるような衝撃だ。細身の体からどうやったら、こんな強い斬撃を発することが出来るのか。
「や、やめてくれ。姉さん」
 しかし、ミラは二の剣を繰り出した。後ろに思いっきり飛んで躱す。
「うっ」上着がスパっと真横に切り裂かれていた。紙一重である。全く剣筋が見えない。しかも、空気を切り裂く斬撃の音さえしない。本当にミラが剣を振るっているのかさえ分からないほどだ。躱せたのは運が良かっただけだ、と冷や汗が背中を伝う。
 ミラが静かに近づいてくる。
見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)奥義、雷撃斬。お父様から習いましたね」 
 大人の胴程もある木の幹を一撃で斬る技だ。
「この技が何故、雷撃斬と呼ばれているのか分かりますか」
「か、雷のように鋭い斬撃を繰り出すからだろ」
 ミラが首を横に振る。
「それでは、まだ完成に程遠いわ。達人に至れば雷すら斬れる程の鋭い剣だから、そう呼ばれているもの。本当の雷撃斬は空気を切り裂く音すらしない。ディーン、あなたの雷撃斬はまだ未熟です」
 ミラの背後でドゴーンと稲光がした。空が真黒な雲に覆われ、大粒の雨が降り出してくる。それはあっという間に土砂降りになった。
「雷撃斬は見偽無想流(けんぎむそうりゅう)奥義の一つに過ぎない。この流派の真髄は読んで字の如し。無想となることで相手に偽りの虚構を見せながら斬ること。そのためには相手の心が分からなければならない」フワアーとミラのブロンドの髪が逆立つ。
「あなたは今、私が決闘の相手に見えているはず」
 そのとおりだった。今、対峙しているのはミラではなくマキナルに他ならなかった。
「では参ります」
 再びスウーとミラが前に出てきた。凄まじい斬撃が襲いかかってくる。剣筋が見えず、躱すには後ろに飛び距離を取るしかない。
 土砂降りの雨の中、泥濘む足場の中を転げるように逃げ回るうち、ディーンは全身泥塗れになった。ハアハアと息もかなり荒い。
「逃げ回ってばかりなの」ミラの表情は微動だにしていない。
「やめてくれ、ミラ姉さん」
 ディーンの懇願にもミラは全く聞く耳を持たず、次々と剣を繰り出してくる。殺気が籠もった斬撃に、本気なことを悟る。殺らなければ殺られる。
 しかし、ミラに斬撃を放つことなど到底出来ない。躊躇するディーンにミラは冷たい視線を浴びせた。
「命の遣り取りをしている最中に手を抜くなど、騎士は屈辱に感じるはず。あなたの姿勢は私を侮辱しているのと同じこと」
 どこかで聞いた言葉だ。そうだ、マキナルだ。奴もそう言っていた。
「では、参ります」
 再びミラの斬撃が始まった。相変わらず凄まじいが、慣れて来た所為なのか、微かながら剣筋を追えるようになっている。
 しかし、躱せるレベルの速さではない。ディーンの衣服はミラの斬撃でボロボロになっていた。 さすがにこれ以上、斬撃に晒されるのはまずい。ディーンは剣を構え直す。
「フフ、やっと、やる気になったようね。いいわ。打ち込んできなさい」
 余裕を見せるミラにディーンはカチンときた。
「どうなっても知らないからな」と、抜き打ちの構えを見せる。最近、編み出した必殺技だ。
「行くぞ」間合いを詰め一気に斬撃を放つ。キーンという金属音が響く。ミラが剣で受け止めたのだ。
「く、くそ」と更に斬撃を放つがこれも軽く受け止められる。どうしてだ、速さならば引けを取らない自信があるのに、全く通用していない。
「あなたの剣は軽い」
「え」これもマキナルが言っていた言葉だ。眼の前にいるのはミラではなく本当にマキナルなのではないか、ディーンは愕然とする。
「今のままではあなたは勝てない。ディーン。あなたの剣は軽すぎるの。命のやり取りをする覚悟が見えない」
 ミラは下段の構えを取る。
「これで最後よ。本気で来なさい」
 ディーンも抜き打ちの構えを取る。勝負は一瞬で決まる。
 ジリジリと間合いが詰まる中、ドゴーンと頭上で雷鎚が鳴り響いた。二人は同時に剣を放つ。
「?!」ミラがぬかるんだ地面に足元を取られ、一瞬たじろぐ。手練同士の戦いでは致命的な隙が生じた。
 ディーンの斬撃がミラに向かった。勝負あったかに見えた。
 しかし、その場に蹲ったのはディーンだった。好機にディーンは躊躇し、ほんの僅かだが剣先が鈍ったのだ。その隙を見偽無想流(けんぎむそうリゅう)達人のミラが見逃すはずがない。ディーンの斬撃を躱しつつ、己の斬撃をディーンの胴に打ち付けたのである。
「ね、姉さん」薄れゆく意識の中、ディーンが見たのは悲しそうな顔で自分を見つめるミラの姿だった。
 俺は死んだのか、嵐の中、ミラ姉さんの剣の前に倒れたところまでは覚えている。恐らくマキナルと決闘しても同じ結果だったのだろう。
 マキナルの手にかかるより、ミラ姉さんの手で死ぬことが出来て良かった、と何故か安堵している自分がいた。
 父の顔が浮かんだ。父さん、俺は騎士になれなかったよ。どうしてもマキナルを斬ることが出来なかった、ごめん。
 遠くで自分の名を呼ぶ声が聞こえる。女性の声だ。
(ディーン、あなたはまだやるべきことがある)
 後ろから光が差し込み、顔は良く見えないが若い女性が目の前に立っていた。ミラ姉さんではない、誰だろう。けれど何故か懐かしい感じがする。
 顔を覗き込もうとしたとき、頭上でドゴーンという凄まじい音がした。パッと起き上がると、ユラユラした意識のなか、パチパチと焚き木の焔が仄かに揺らいでいるのが目に入る。美味しそうな匂いもする。ここはどこだ。
「ディーン」心配そうに見つめるミラが眼の前にいた。
 次第に意識がはっきりしてくると休憩小屋で横になっているのがわかった。
「痛てて」
 起き上がろうとすると胸が痛む。ミラから斬撃を食らった場所だった。だが斬られた痛みではない。打撲のような痛みだ。気を失った自分をミラがここまで運んでくれたのだろう。
「ディーン、大丈夫」
 ミラが心配そうにディーンの体に触れる。その仕草は、いつものミラ姉さんだった。
「だ、大丈夫だよ」
「無理しないで。まだ横になっていて」
「大丈夫だよ、心配いらない」
 起き上がろうとするディーンを制し、ミラは水に浸した布を持ってきた。
「汗でびっしょりよ。拭いてあげるからジッとしていて」
 ミラはディーンの体を優しく丁寧に拭いてくれた。先程の立ち会いで泥塗れになっていたはずだが、綺麗になっているところを見ると、一度拭いてくれたのだろう。
 ミラがマチスタの豪商の跡取り息子に嫁ぐ前、泥だらけになって遊んで帰ってくるディーンはこうやって体を拭いてもらったものだ。
 また、剣の修行で何度も転ばされ、泣きながら泥だらけで帰って来たときも、優しく体を拭いて慰めてくれた。
 ディーンは目を閉じ、身を任せた。安らかな気持ちになってくる。ミラ姉さんは本当に女神のようだ。誰に対しても優しく、身を犠牲にして人の身を案じてくれる。俺にはとても出来ない。
 ふとマチスタの宿で父が言ったことを想い出す。
「お前の持てる力と知恵で為すべきことがあるはずだ」「我々家族だけが幸せになっても、それは本当の幸せではない。皆が等しく幸せにならねばならん」
 俺がなすべきこと。もしかしたら騎士の信念とはそういうことなのか、そうしたら、ミラこそ騎士の信念を持っているのではないか。
 先程の立ち会いは夢を見ているようだった。ミラ姉さんが見偽無想流(けんぎむそうりゅう)の達人だったとは今でも信じられない。
 いや、それより、あのとき目の前にいたのは、たしかにマキナルだった。あの死闘は忘れようがない。まるであの男がミラに乗り移ったかのようだった。
 見偽無想流(けんぎむそうりゅう)の真髄は無想となることで相手に偽りの虚構を見せながら斬ることだ、とミラは言っていた。あのとき俺は虚構のマキナルを見せられていたと言うのか。
「ディーン、ごめんなさい。痛かったでしょう」
 ミラはディーンの胸の汗を優しく拭きながら謝る。
「大丈夫だよ。姉さん、手加減してくれたんだろう。本当だったら、俺は斬られていた」
 ミラは何も言わなかった。
「お腹が空いたでしょう。山鳥のスープがあるわ」
 ぐうーと腹が鳴る。ディーンの大好物だ。母の作ってくれる山鳥のスープは絶品で、ノエルと競うように何杯もお代わりするほどだ。娘のミラが作る山鳥のスープも母の味を受け継いでいる。
 嵐は止みそうにない。
「今夜はここで嵐が過ぎるのを待ちましょう。多分、明日の朝には止むと思うわ」 
 ミラの言うとおりだった。今、動くのは慣れた道とはいえ遭難する恐れがあり危険だった。トラル達もそれは察していよう。
 地形を俯瞰する能力を持つディーンであるが、これほどの悪天候ではその能力も発揮しない。方向感覚が弱まるのが原因のようだ。
 この休憩小屋は粗末な作りであるが雨風を凌ぐことが出来た。放牧された馬の世話や見張りをするために作ったものだ。
 何日にも及ぶ時もあるため、煮炊きが出来る釜戸もある。近くには泉も湧いていた。枯れ草の貯蔵庫も兼ねているため、寝床としても使える。一晩過ごすには十分だった。
 食事が終わり、後片付けが済むと、二人は毛布に包まり横になる。雨音は去りつつあったが、時々落雷が鳴り響く。焚き木の焔が仄かに部屋の中を灯していた。
 横になったものの、ディーンは眠れない。
 先程までは、マキナルを斬りたくない余り、知恵と機転で何とかマキナルを納得させることが出来るのではないか、と思っていた。
 ところがマキナルと化したミラと対峙してみて、それは無理だと実感した。それどころか手も足も出なかった。このままでは負けてしまうのは確実だった。俺は死んでしまうのか。
「ディーン、眠れないの」
 ミラが声をかけてくれた。
「うん」
「ディーン、あなた、震えているの」
「え」ミラに言われて自分の体が小刻みに震えていることに気付く。
 なんてことだ。自覚のないまま恐怖で震えているらしい。止めようと思っても震えは止まらない。
 マチスタでカヲルを助けるためマキナルと対峙した時は無我夢中だったためか、震えることはなかった。
 だが、今は死を確信したせいなのか、震えが止まらない。
「本当だ。俺、震えてる。ハハ、情けないなあ」
「ディーン」
 ミラは立ち上がり側に寄る。
「ディーン、決闘なんて止めて。騎士になんてならなくていい。ずっとオリブラで私達と暮らしましょう」
 ミラは優しかった。いつだってそうだ。小さい頃から、こうやって慰めてくれた。あの頃から何も変わっていない。
 ハハ、俺も弱虫のまま何も変わっちゃいない。自虐の思いがするが今は、こうして安らかに過ごしていたい。しかし、「ディーン?」
「ありがとう。姉さん。理由は上手く言えないけど、騎士にならなきゃいけない気がするんだ」
「駄目よ。さっきの立ち会いで分かったでしょう。今のままでは勝てないわ。死んでしまうのよ」
 ミラの顔が紅潮していた。こんなに激昂しているミラを見るのは初めてだった。
「分かっている。何とかするしかない。でもどうしても俺は冷酷になれないみたいなんだ」
「ああ、ディーン」
 嘆きの声を発した後、しばしミラはその場で沈黙した。ミラ姉さんを悲しませてしまった、とディーンは悲痛な気持ちになる。
 何と言ってやればよいのか分からず沈黙を続けるしかない。
 すると、ミラがスっと立ち上がった。そして、静かに衣服を脱ぎ始める。
 エっと驚くディーンの目の前で、焚き木の炎に照らされた白い裸体が仄かに輝く。
 ミラ姉さんは一体、何をしようとしているのか。
「ね、姉さん?」
「あなたに足りないのは、覚悟と猛々しさ。決闘では、それが命取りになるわ」
 まさか、とディーンは動揺する。
 一糸まとわぬ姿でディーンを見下ろすミラのブロンドが静かに揺れ、神々しいまでの美しさは、まるで女神の様だ。
「私を姉と思っては駄目。それに私は子を宿すことが出来ない体。安心して」
 戸惑うディーンの毛布を解き、スっとミラが入ってくる。
 駄目だ、姉さんと、懸命に拒否しようとするが、美しい肢体に魅せられた様に体が動かない。
「深く考えては駄目」
 そう言って、ミラは静かに唇を重ねてきた。
 あまりの出来事にどれくらいの時間が経ったのかすら分からない。
 押し寄せる罪悪感を払拭するかのように、もうどうなってもいい、という心境になっていた。
 ふと気付くと華奢な両腕を背中に強く絡みつけながら、ミラが泣いているのに気付く。
「死んでは駄目、必ず生きて、ディーン」
 ディーンの頬にも涙が伝う。
 ああ、俺はこの女性のために絶対に死ねない。愛しさの炎が激しさを増すと、それに呼応するように絡みつくミラの両腕がきつくなっていく。
 いつしかミラの涙は吐息に変わっていた。女性がこんなにも激しく愛おしいものだとは知らなかった。
 これまで知っているミラ姉さんは、淑やかでいつも優しい笑みを浮かべている女性だった。 
 ディーンは女性の奥深さを知る。
 その夜、二人は何度も体を重ねた。気付いたとき、夜明けはまだだったが、嵐は去ったようだった。お互いの両手を握りしめたまま、いつの間にか眠っていたらしい。
 自分の胸で静かに寝息を立てるミラの長く美しいまつ毛を見てディーンは思う。
 今なら、マキナルを斬れるような気がする。ここまでしてくれたミラを悲しませることだけはしてはいけない、そう思う。
「眠れないの、ディーン」
 目を覚ましたミラに上目遣いで見つめられ、我が姉ながら改めて美しいと思う。
「うん」
「そう。でも夜明けまで、もう少し時間があるわ。目を瞑りなさい」
「分かったよ」
 ミラは優しく微笑み、再び目を閉じた。
「ミラ姉さん」
「どうしたの」
「俺、必ず勝つよ。必ず生きて帰ってくる」
「ディーン」
 ミラが愛おしそうに頬を両手で撫でる。
「必ずよ、必ず生きて帰ってきて」
「うん」
「さあ、もう目を瞑って」
 ディーンは静かに目を閉じ、眠りに陥ちていった。
 スヤスヤと眠るディーンを見て、ミラは満たされた気持ちと胸が張り裂けるような気持ちの狭間にいた。 
 血の繋がりが無いとはいえ、姉弟として育ってきた間柄だ。きっとディーンは激しい罪悪感に苛まされていることだろう。贖罪の意識と同時に愛おしさが増々こみ上げてくる。
 決闘に挑もうとするディーンに猛々しさを促すためとは言ったものの、それ以上に自分の感情が抑えられなかった。
 これまで人を愛し人に尽くしてきたミラが初めて愛されたいと思ったのである。
 本当ならばディーンの妻となるはずだった。そして、二人の間に生れた子供達と平穏に暮らすのがささやかな夢だった。
 子供が望めない体であることは分かった。せめて一度だけでいい。愛する人と結ばれたいという願望が叶ったのだ。
 けれど愛する男は命を賭けた決闘に臨もうとしている。絶対に生きてほしい。ミラは思いをぶつけるようにディーンと体を重ねた。
 カレンお姉さんはきっと同じ気持ちだったのではないか。ディーンの実の母親であるカレンは苦難の道を歩もうとしているおじさんの無事を祈ったに違いない。今ならカレンの気持ちが分かる。
 今夜だけ、神様お許しくださいと、静かに祈りを捧げる。
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