第33話 女山賊たちとの旅(1)

文字数 4,146文字

 アデリー山脈は、ローラル平原とアロウ平野に跨がる連峰だ。急峻な地形と厳しい気候は、人々の往来を遮り、連峰の頂上の雪は消えることがない。
 さらに、もう一つの連峰ノーマル山脈が西に連なっており、二つの山脈の谷間にエムバはある。
 二つの山脈の山裾にあって、地形が比較的穏やかなこの地は、本来であればローラル平原とアロウ平野を結ぶ交通の要所となる地である。
 しかし、ここで暮らすエムバ族は、他の民族と交わるのを良しとせず、干渉しない代わりに他の民族が踏み入るのを一切受け付けなかった。
 山岳民族である彼らは、山々で暮らす鹿などの野生動物を狩りで射止めるほか、牛、ヤクなどの家畜、食用の高山植物を育てるなどして、日々の糧としていた。
 ローラル平原進出を図りたい、アジェンスト帝国に取って、喉から手が伸びるほど手に入れたい地である。
 これまで何度も国境を開かせようとしたものの交渉に一切応じないエムバに対して、強硬手段を取るに至った。異教徒である彼らを成敗するという名目で軍を遠征したのである。
 しかし、遺伝的に体格、身体能力に優れたエムバの人々は屈強で、地の利を生かした山岳での戦闘に秀でていた。アジェンスト帝国は進軍するたびに撃退されるということを繰り返してきたのである。
 そんな状況が覆りつつあったのが、アジェンスト帝国のエース、スタチオ・アウトテクスの存在である。
 巧みな戦術と兵達を手足のように指揮する卓越した統率能力は、エムバに十分な脅威を与えた。
 この時、ヨーヤムサンの加勢が無ければ、エムバは侵略を許していたであろう。エムバの王、レンドはそうした状況を危惧し、16歳の息子アルジの見聞を広げ、成長を促すため、ローラル平原に向かうというヨーヤムサン一行に同行させたのだった。

 これがローラル平原か。眼下に広がる広大な土地にアルジは感嘆の息を漏らした。
「今日は珍しく天気がいい。ラドーネまで見えるかもしれん」
 ヨーヤムサンが岩肌に片足を乗せ展望する。
「でも、どうして、わざわざ高地を迂回するのです。僕の知っている道を行けば早く着くのに」
 絶景だが、あえてアデリー山脈の中腹にルートを取るのが疑問だった。ピネリー王国に行ったことはないが道ならば知っている。父に連れられて、狩りで何度も通った道だ。
「フフ、確かにあなた達が通る道は、この道より歩きやすいわ。でも、それは敵に取っても同じこと」
 それはどういうことだろうか。
「アルジ、知らないの。エムバに密かに入り込んでいる連中は多いのよ」
 エリン・ドールがニコッと笑う。そんなことは知らない。一体、どんな連中がいるというのか。父は知っているのだろうか。
「当然、帝国の諜報部隊が、かなり入り込んでいる。また、息の掛かった商人達もいる。まあ、エムバの内部まで入り込んでいる訳ではないがな」
 獅子のような髭面の大男の相変わらずの迫力には今でも圧倒される。
「あたし達の行動を知らせる訳にはいかないでしょ」
 ああ、そういうことか、と納得する。エムバに居ては分からないことばかりだった。
 それにしても、エムバを出てからというもの、雑用ばかりやらされている。一番の仕事はヤクの世話だ。この草食動物は粗食に耐え、山岳地帯でも重い荷物を背負って運ぶのを苦にしないため、旅には欠かせない。
 エムバでも、荷役、食用として多く飼っているが、世話をするのは当然、王子の仕事ではない。
「いいかい、もしヤクが死ぬようなことがあれば、お前の責任だ。代わりにお前が荷物を運ぶんだよ」
 ターナに脅され、悪戦苦闘しながらヤクの世話をする。ヤクを引くのは意外と重労働だが、餌やり、毛づくろいと、やるべきことは沢山ある。
 だが、アルジは与えられた仕事を達成する遣り甲斐を徐々に感じ始めていた。こんな充実した気持ちは、これまで持ったことはない。
 武術の修練は嫌いでは無かったが、体が小さいことを周りから馬鹿にされ虐められ、やる気を失っていた。真剣に取り組まなくなっていたのである。
 エムバに居たままであれば、こんな仕事をすることはなかったであろう。
 しかし不満もある。僕は強くなりたいのだ。ヨーヤムサンやエリン・ドールが武術の稽古をつけてくれるのを期待していた。
 しかしこれまで、そんな素振りは一切ない。雑用を言い付けられるばかりだ。こんなことでは、いつまで経っても強くなれない。アルジは焦りを感じ始めていた。
 今夜の露営場所に着いた。まずはヤクを繋ぎ止め、荷物を降ろす。そしてエサやりと毛づくろいだ。一通り終わってから、やっと食事となるが、その頃には皆食べ終わっていて、最後に一人で食べることが多い。
 食事と言っても、いつもどおり乾パンと干し肉を取り出し食べるだけだ。アデリー山脈を超える時は、どうしても保存食に頼るしかない。全てエムバで調達してきた物なので、口には合う。
 水は残雪を口に含むだけでいい。ワインだけはヤクに背負わせた樽に大量にあったが、アルジは当然飲んだことがない。この季節は寒さが残っているため、火を起こして暖を取ることもあるが、場合によっては帝国の諜報員達を警戒し敢えて火を焚かない時もある。
 日は落ちつつあった。丁度、食事を終わらせたときだった。
「食事は済んだ?」
 見上げるとエリン・ドールが立っていた。休みに入ろうとする、この時間に彼女から声を掛けられるのは珍しい。
「た、食べました」「そう」
「ところで、お頭から何か聞いている」
「え」何のことか、全く検討がつかない。
「いえ、何も聞いてませんが」戸惑うアルジに珍しく暗い表情を見せる。
「何かあったんですか」
「何でもないわ」そう言って、エリン・ドールは立ち去った。

 露営するときは岩陰など雨風を凌げる場所で各自が寝袋に入る。アデリー山脈の北西側は洞窟が点在しており、露営地には事欠かない。
 蝙蝠など野生動物や節足動物がいるときもあるが、これ位の標高になると生き物は殆ど生息しておらず快適と言えた。また熊など危険な肉食動物もいない。
 アデリー山脈を熟知しているヨーヤムサンは、露営出来る場所を移動しながら縦断していく。
 日は沈みつつあった。各々寝床を確保し、洞窟に入っていく。今夜の露営場所は大きな洞窟が三箇所続くところだ。
 ヨーヤムサンは早々と真ん中の洞窟に入る。
 ワインが入った瓶を片手に持ち、岩肌に腰を下ろす。グビッと瓶を口に含んだ時だった。エリン・ドールが中に入ってきた。珍しいこともある。何か言いたいことがあるのだろう。いいだろう。日暮れまで、まだ少し時間がある。
「お前も飲むか」
 ワインの入った瓶を差し出すと、青い目の人形は受け取り、口をつけた。
 直接、瓶に口をつけるのは、品の良い飲み方とは言えないが、エリン・ドールの仕草は気品がある。さすがは貴族の家で育てられただけのことはあると、ヨーヤムサンはいつも感心する。
「エムバのワインも悪くないわ」
「そうか、お前はエムバが初めてだったな」
 エリン・ドールは向かいの岩に腰掛けた。スラリと伸びた脚が美しい。
 ヨーヤムサンは、今回、エムバに初めてエリン・ドールを伴って来ていた。アジェンスト帝国内での活動が多い彼女を連れてきたのには訳があった。
 今後、活動の主体はローラル平原となる。ローラル平原は四傑の一人、オバスティの拠点だが、どうしても、もう一人別働部隊が要る。
 そこでエリン・ドールにその役目を託すことにしたのである。ローラル平原に抜けるにはエムバを通らなければならない。
 そこでエムバ族の王、レンドに引き合わせるため、エリン・ドールとその腹心ターナを含む四人を引き連れてきていた。
 二人は暫し、寡黙にワインを飲む。
「エムバはどうだった」
「ええ、少し寒いけど、いい村だったわ」
「うむ」また、二人は静かにワインを飲む。
「アルジのことだけど、少しいいかしら」
 エリン・ドールが話を切り出した。思ったことを直ぐ口にする彼女にしては珍しく時間が掛かった。
 うむ、とヨーヤムサンは頷く。
「前にも聞いたけれど、あの子を仲間に受け入れるということは、あたし達の掟に従ってもらうことになるわ。本当にそれでいいの」
「そう約束したはずだ。構わん」
「エムバの王はそのことを知っているの」
「ああ、知っている」そう、とエリン・ドールはワインの入った瓶を口にした。
 レンドから、アルジを託された時のことをヨーヤムサンは思い出す。

「お主の息子を連れて行くのは構わん。だが、一時であれ、俺達の仲間になるということは山賊になるということだぞ」
「ああ、分かっている」
「それと、もう一つ。暫く俺はエリン・ドールと行動を共にするつもりだ。あ奴は女しかいない一味を率いている。アルジは、その一味に入ってもらうことになるが、それでもいいのか」
「お主が認めた人物に、男か女かは問わぬ。現にスナイフルに勝てる者は、男といえども、そうは居らぬ」
「それはその通りよ。だが、あいつらはあいつらの掟を持っている。それは頭であるわしと雖も口出し出来ぬ掟だ。女達だけの一味に男が入るということは想像以上に過酷なものよ。まして16歳の男に取っては悪夢となるやも知れんぞ」
「やむを得まい。アルジはまだまだ一人前には程遠く、赤子の如きもの。いや、ヨチヨチ歩きすら出来ていないのかも知れぬ。女達に認められるまでかなり時間は掛かろう。それまでは、女達の慰めものになろうとも、いずれ立派な男になってくれれば良い」
 レンドは女達だけの集団における掟を承知していた。
「分かった。最早何も言うまい」
 ヨーヤムサンはレンドの決意が固いことを悟った。

「本当にいいのね。みんな我慢出来なくなっているわ。特にターナはそう」
 青い目の人形が念を押す。
「構わん」そう言いながら、ヨーヤムサンはワインの入った瓶をグビっと煽る。
「そう、分かった」
 エリン・ドールがスクっと立ち上がる。
「ワイン、美味しかったわ」
「また、飲みに来るといい。ワインは山程ある」
 日は既に落ちていたが、代わりに月明かりが辺りを照らしている。
「そうね。でも、みんな本当は、お頭に鎮めて欲しいと思っているわ」
 去り際のエリン・ドールのシルエットにヨーヤムサンは何も答えなかった。
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