第4話 悪霊の騎士(3)

文字数 3,310文字

「ピネリー王、ガウリー二世は以前よりローラル平原制覇に意欲を見せている。既にフーマン王は首都エメラルドに親書を送っておられたのだ」
 なんと、父王はこういう状態を見越し生前に手を打っていたのだ。しかし、相当な覚悟を強いられていたに違いない。
「父王は、ピネリーの配下に就くのを覚悟されていたのですな」
 ウム、とマスター・ロードは頷く。
「慈愛に満ちた偉大な王、フーマン王は民の幸せを一番に考える御方であった。究極の選択だったであろう。だが、悪魔が率いるアジェンスト帝国よりは、ピネリー王国の方が民に取って良策と判断されたのだ」
 大国に挟まれた辺境の地、ローラル平原はこれまで、アジェンスト帝国、ピネリー王国、双国の侵攻を尽く跳ね返してきた。だが、その状況に終止符が打たれる時が来たのだ。
「しかし、ピネリー王国は動くでしょうか」
「ガウリー王からの返書は既に届いている。我が息子がミネロまで受け取りに行った」
「トラルが」
 マスター・ロードの実子であるトラル・ロードは男の幼なじみであり親友だった。しかし、トラルは騎兵団を退団し家族と共に何処かに去ったはずだ。
「テネアの危機に居ても立っても居られなかったのだろう。単身テネアに駆け付けてきたのだ」トラルも見偽夢想流の達人だった。かなりの戦力になったはずだ。それなのに、この俺は、皆が命を掛けて戦っている時、祖国を離れ放浪の旅に出ていたのだ。何と情けないことよ、と男は右手の拳を握りしめようとするが全く力が入らない。クソっと男は左の拳を動かない右の拳に叩きつけた。
「先ずは傷を治す他ない。しばらくはマクネの森に潜んでいよ」
「ジッとしてなど、おられませぬ」
「冷静になれ。その体で何が出来るというのだ」
「こんな傷など、クソっ」やはり、右腕は全く動かない。それどころか右足も麻痺してきている。
「たわけ、ジッとしておれ。無理をすればその腕一生動かぬかも知れんぞ」
「奴を倒せるのならば、腕の一本など惜しくありませぬ」どんなに吠えようとも、体は言うことを聞くまいに、とマスター・ロードは溜息をついた。
「もう少しすればカレン様がここに来られる。世話をして頂くが良い。それまでは此処で大人しくしておれ」
「カレン、カレンが生きているのですか」
「無事だ。お主が帰るのを、ずっと静かに待っておられたのだ」
 カレンとは男の許嫁の名前だった。将来のテネア王妃となるべき女性だ。「カレン」そう呟き男は静かに横たわる。その様子を見てマスター・ロードは隠れ家を後にした。

 一年後、ピネリー王国は三万もの大群でテネアに遠征してきた。アジェンスト帝国との戦いは熾烈を極めたが、ミネロという大都市が背後にあり、十分な補給が可能だったピネリー王国軍はアジェンスト帝国軍を押し出し退却させた。
 こうして、テネア国はピネリー王国領となり、首都エメラルドから遠征軍に参加した貴族、ルーマニデア・ワーズがそのまま地方長官としてテネアを治めることとなった。
 そして、この戦いの人知れぬ最大の功労者はマスター・ロードであった。彼は大国同士の戦いが始まると単身、漆黒の瞳を持つ男に挑み、手傷を負わせるに至った。眉間から血を流し、断末魔のような叫び声を上げ、悪霊の騎士と呼ばれる男は汚く呪詛の言葉を吐き散らかしながら退いた。
 成敗には至らなかったものの、退かせることには成功した。今の自身の技量では、これで十分だとマスター・ロードは満足していた。しかし、その代償に左腕を失い、腹部に致命傷というべき傷を負った。
「マスター・ロード、何故、あの男に挑んだのです」事情を察知し、駆けつけた男に抱き抱えられたマスター・ロードは、息も絶え絶えであったが、穏やかな表情を浮かべていた。
「お主も分かっておろう。あの男が生きている限り、脅威は去らぬ」
 それは確かに感じていた。ピネリー王国軍は地の利を活かし、アジェンスト帝国軍に打ち勝ったが、あの男は再び大軍を率いて現れるだろう。そのときは勝つことが出来るのか、分からない。
「あの男は、しばらく活動できまい。いや、今も邪悪な者として完全に覚醒していた訳ではないだろう」「そうなのですか」驚きだった。
「そうだ。あの男の目的はテネア程度ではないはずだ。もっと大きなものだろう。今回、テネアに現れたのは、ほんの肩慣らしに過ぎぬ」
「奴を、このまま生かしておく訳にはいきませぬ。奴を追います」「止めよ。お主の体はまだ完全ではない」
 体はかなり回復し、全く動かなかった右半身はかなり動けるまでになっていた。右腕も軽いものであれば掴める程度にまで回復している。常人であれば、生涯麻痺が残ってもおかしくない程の傷を負っていたのに驚異的な回復力だった。
 苦しそうな息遣いの中、マスター・ロードの話は続く。
「私の腕では、あの男に止めを刺すことが出来なかった。だが、悪の根に傷をつけることは出来た。10年間は邪悪な存在として活動はできまい。いや、もしかすれば、2、30年間、目覚めぬかもしれぬ。周りの者達には、まるで憑き物が落ちたように見えるだろう」
 悪魔とは本人の自覚なく覚醒と催眠を繰り返すものなのか。理解の範疇を超えていた。
「だが必ずいつかは目覚める。用心せよ」
「マスター、もう話さないでください。傷に触ります」もう長くはない、それはマスター・ロード本人も分かっていた。
「テネアはピネリー王国の領土となる。それはやむを得まい。ガウリー王はテネア王の血筋を探すだろう。民に慕われているテネア王の血筋を排除し、統治を万全にしたいと考えるだろう」
 現テネア国王であったフーマン王はアジェンスト帝国の策略により死んでいる。その仇討ちをしてくれたピネリー王国軍は民に歓迎されるだろう。しかし、新たな統治者にとって、テネア王の血筋は邪魔な存在に違いない。
「お主がテネア王の血を引く者であることを知られてはならぬ。身を偽り生きていくしかない」
 うぬう、と男は唇を噛む。マスター・ロードは男の身の上の憐れさを悲しむ。しかし、心を鬼にして話を続けた。
「偉大なるテネア王の血筋を絶やしてはならぬ。いつか必ず、テネア王の血を引く者がテネアをいや、ローラル平原を統べるときがこよう。お主の代ではそれは叶わぬかもしれん。だが、望みを捨ててはならぬ」「マスター」
「傷が癒えたら、カレン様を連れてトラルのところへ行け。そこで二人で暮らすがよい。あの男を追ってはならぬ」
「トラルは何処にいるのです」
「妻子とともに、オリブラという村で暮らしている」「オリブラ?」
「エネリー山脈の山間にある小さな村だ。そこで木こりをして暮らしている」
 マスター・ロードの息子であり男の親友であるトラルは、テネア国の総代として援軍要請の役目を果たすと、家族の居るオリブラに戻っていた。
「分かりました、マスター。ご安心ください」
 マスター・ロードは深い溜息をついた。
「お主は悪魔の男を追うのを諦めんだろう。止めろといってもお主のことだ。言うことは聞くまい」男は何も言わなかった。
「だが、無理はするな。テネア王の血筋を絶やしてはならぬぞ。分かったな」
 はい、と男は答えた。うむ、とマスター・ロードは安心したように目を閉じる。
「トラルに伝えることがありましたら、お話し下さい」
「うむ。妻や子らと善き生涯を送れ、それだけ伝えてくれ」「分かりました。必ず伝えます」
 うむ、とマスター・ロードは静かに頷いた。そして、以降目を開けることはなかった。

 一年後、傷が癒え、体力もほぼ元通りに戻った男は、妻カレンを連れて旅に出ることとした。ここから深いマクネの森を抜けていかなければならない。カレンは、父王フーマン王から授かったテネア王妃の証である、絡まる二匹の蛇を模った銀のネックレスを携えていた。
「辛い旅になるぞ、カレン」「はい、覚悟は出来ています」男の傍らにいる女性が優しく穏やかな笑みを返す。艶やかな長い黒髪が美しい華奢な女性だ。
「だが、心配は要らぬ。お前のことは必ず俺が守って見せる」「はい、あなたを信じております」
 うむ、と男は頷いた。二人の行く手には遠くエネリーの山々が聳えていた。
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