第11話 魅惑の貴婦人(1)

文字数 2,407文字

 マントヴァ宮殿はメートフィ建築の最高傑作と呼ばれる。幾何学的模様を積み重ねたような細かな装飾が特徴のメートフィ建築の中でも、マントヴァ宮殿の外壁と内壁の細かさは際立っていた。何枚ものタイルを敷き詰め再現されたその世界観はメートフィ教における天使降臨の場面を再現していると伝えられている。
 元々は5代前の皇帝マントヴァ帝が建築した宮殿であるが、増築を重ねながら代々の皇帝の住居とされてきた。今夜はここで宮廷舞踏会が開かれる。社交の場として、着飾った高貴な身分の男女が多く出席するほか、手柄を立てた軍人や有力な商人達も参加が許されている。
 国を支える、あらゆる重要な人物が参加することから情報交換や意見を交わす場としての政治的な面を持つ一方、若い紳士淑女の出合いの場としても賑わっていた。
 また、抑圧された生活を強いられている、貴婦人達にとっては唯一開放される場でもあった。優雅な生活を送っている様に見えて、彼女達の普段の生活は行動を制限された不満の貯まるものだったのである。満たされない虚栄心や自己顕示欲と言ったあらゆる感情を満足させるため、舞踏会で夜を明かし踊り続けるのである。

 宮廷楽団が優雅な楽曲を奏でるなか、テプロが軍服で現れると場が一気に華やかになった。一身に女性達の注目を浴びる。
「これはシルバー大公様。拝見出来て光栄に存じます」
「おお、これはアランスト子爵。聞いたぞ。今度は第七騎兵団に入団するそうではないか。貴族の癖に戦好きで困ったものだとお父上が嘆いていらしたぞ。フハハ」
「軍人は戯言で、嗜み程度で行っております。とても並み居る将軍達には敵いませぬ」「フフ、謙遜されるな。サマンド殿は、将来はエースにもなれる軍才と高く買っていらしたぞ」
「それは光栄でございます」
「御機嫌よう。アランスト子爵。今日も凛々しい姿。素敵だわ」
「これは伯爵夫人。相変わらずお麗しい限り。お姿を拝見出来て、このテプロ、舞踏会に来た甲斐があったと云うもの」
「まあ、相変わらずお上手ね」
 しばし、テプロはシルバー大公夫人と談笑する。シルバー大公は宰相である。参加者の中で一番の権力者と言えた。決して存外に扱うことは出来ない相手だ。「いけない。あなたとの会話は時間を忘れてしまうわ。お嬢様方が貴方をお待ちよ。彼女達の処へ行ってらっしゃいな」
「うむ。アランスト子爵がお目当てのご令嬢達は多かろう」
「いえ、そんなことはございませぬ」

 王族や有力貴族との付き合いは政治的に重要である。テプロはその優れた容姿、有力貴族でありながら、軍隊を率いて手柄を立てている経歴から、社交界では常に注目を浴びた。彼に恋焦がれる令嬢達からは熱い視線を浴び、既に伴侶のいる貴婦人達も色めき立つ始末だ。
 彼自身は華やかで綺羅びやかな社交界は性に合わないと感じていた。それより、戦場や軍隊生活の方が落ち着く。社交性の重要さは理解しているが、何か薄っぺらい感じがした。命をやり取りする戦場とは違う。しかし、彼はそんな雰囲気は露ほども出さず女達を洗練された会話で魅了していく。
 辺りを見渡すと、思い詰めた様な面持ちでこちらを見つめる令嬢の姿が目に入った。少し茶が混じった濃いブロンドの髪が美しく、銀で出来た星の形の髪飾りがアクセントになっている。首筋には、花のカラーを模った真珠のネックレスを身に着けている。
可憐な彼女は、社交界でも指折りの美女と名高い、有力貴族アランバート家の令嬢エルシャである。17歳の彼女は結婚適齢期を迎えており、求婚する男達も多かった。
 アランスト家当主であるテプロの父も息子の結婚相手として申し分ないと、アランバート家に打診していたのである。その話を漏れ聞いたエルシャは、その日から夜も眠れぬほど恋煩いに陥っていた。そのことをテプロは知らない。
「これはエルシャ殿。ご機嫌いかがですか」
 右手をとろうとすると、エルシャはサッと引っ込める。
「?」あ、とエルシャは声を漏らし、顔を赤らめる。
「なにか、お気に障りましたか」
 穏やかな表情でテプロは語りかける。
「いえ私、失礼なことを。お許しくださいませ。アランスト子爵」
「子爵など、堅苦しい呼び方では無く、テプロとお呼びください」
「よろしいのですか。テプロ様とお呼びしても」
「あなたの様な美しい方に、名で呼ばれるのは光栄です。エルシャ殿」
 二人はダンスを始めた。美男美女の優雅な舞に周りから感嘆の声があがる。テプロのエスコートにエルシャは夢心地だった。
「先程は失礼いたしました。テプロ様」
「いいえ。貴女に嫌われていないようで安心しました」
「私の方こそテプロ様に嫌われているのかと思っておりました」
「私が貴女を?何故です」
「だって。いいえ、私のことをはしたない女だと思わないでくださいませ。テプロ様からのお返事が待ち遠しく、だけど怖くて、夜も眠れないのです」
 エルシャの話から当人の知らぬところで縁談話が進められていることを知った。
「父上の仕業か」
「もしかして、このお話、テプロ様はご存知ないのですか」不安そうに見上げる大きく見開かれた緑の瞳が可憐で美しい。
「実は今、初めて知りました」「そうなのですか」エルシャは驚いた顔をした。
「なんてこと。ひどいわ、私一人で勝手に貴方に恋い焦がれていたなんて」
 今にも泣きだしそうな表情にテプロは今すぐ抱きしめたい衝動に駆られる。
「貴女に悲しい顔は似合いません。しかし、私も今すぐ返事をする訳にもいかない。貴女を悲しませるなんて父には困ったものです」
 テプロは踊りながら、エルシャを抱き寄せる。
「今はただ、貴女とこうして居られる幸せを噛み締めたい。エルシャ殿」
 テプロは豊かなブロンドの髪にそっと口づけする。「テプロ様」白の貴公子と呼ばれる色男に魅了され、エルシャは恍惚の表情を浮かべた。
 その時、オオ、と歓声が上がった。サマンド最高司令長官が現れたのである。

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