第39話 疑心の騎士(4)

文字数 3,063文字

「何だ、こいつは」「どこから、来やがった」
 謎の男の突然の出現に皆、騒然となる。
「オーベル様」バラルの顔が青くなった。
「愚か者が。我が名を敵に晒すとは、万死に値するぞ」
 こいつが悪霊の騎士か、と一斉に身構える。
「いや、こいつは悪霊の騎士ではねえ。だが、お前、かなり淀んだ魂を持っているな」
「お前がヨーヤムサンか。あの方に抗うとは身の程を知らぬ愚かな男よ」
「何だ、てめえは。一体どこから現れやがった」
「華美な容姿に似合わぬ言葉を吐く男よ。己が尽くすべき人物を見誤ると取り返しがつかぬぞ」
「何ィ」オバスティが剣を抜いた。
「てめえ、舐めた口を聞いてやがると、ナマスにしてやるぜ」
「剣を納めよ。今日はお前たちと構える気はない」「てめえにその気が無くても、こっちにはあるんだよ」
 いきなりオハスティが袈裟斬りを放つ。一撃必殺の高速の剣で、剣の達人でも躱すのは至難の技と云われている。
 しかし、オーベルという男はいとも簡単に躱してみせた。一同に衝撃が走る。
 オバスティは、相手を睨んだまま追撃しない。さらに怒気を増すかと思いきや、意外な冷静さだ。
「何もんだ、てめえ」静かに聞く。
「ほう、怒り一辺倒の男ではないということか。中々の男よ」
「てめえに褒められても嬉しくねえよ」
「我が名はオーベル。疑心の騎士と呼ばれている」
 その名を聞いて、ヨーヤムサンの両目がカッと見開く。
「お前、三罪の騎士の一人か」
「ほう、知っているのか、我らのことを」
「ああ、ジュドー流剣術に極悪非道の三人の達人がいると聞いている」
「我らは、お前達の心の奥底にある本性を体現しているだけだ。いわば、お前達の心の中を映す鏡の如きもの」
「他の二人は何処にいる」
「焦らずとも、近い内に会える。いくら取り繕ったところで、人は生まれながらに汚れた心を持つもの。神に助けを求めたところで、どうにもならぬ。それより欲望のまま生きた方が素晴らしい人生を送れるとは思わぬか。汚れた心そのままで構わぬではないか。お前達も薄々感じていよう。どうだ、我らと共に生きたい者は来るが良い」
「正に悪魔の囁きだな。貴様らと共に生きても地獄で苦しむだけよ」
「ほう、お前は天国に行けるとでも言うのか」
「さあな、死者の世があるのか、ないのかも知らぬが、もし、あるのなら少なくともお前達が行く先よりはマシなはずだぜ。それよりも俺の質問にこたえろ。他の二人は何処にいる」
「フフ、お前は間違っているぞ。我らは三人ではない。疑心、嫉妬、憂苦、そして傲慢。我らは四人だ」
「何だと」
 オーベルはスウッと風の様にスナイフルに右腕を拘束されているバラルに近づく。
「帰るぞ、未熟者めが。あの方もお前には落胆しておられよう」
「オーベル様、お許しを」
「あの方の前で詫びよ」
 シュッと言う音がした。途端にギャアという悲鳴が上がる。上腕から右腕を切断されたバラルの悲鳴だった。苦痛にもだえ苦しむバラルの左腕を掴みオーベルが走り始める。
「お嬢、逃がすな」ターナが叫び、エリン・ドールはスナイフルをオーベルの背中に放つ。黒く細い鞭が逃走者の左腕を捉えようと伸びる。オーベルは振り向き剣を振るった。
 エッと、エリン・ドールは青い瞳を大きく見開く。なんとスナイフルが弾かれたのだ。
「久しい感触よ。思い出したぞ。十年前に、同じ鞭の遣い手と会ったことがある」
 エリン・ドールはさらにスナイフルを放とうと構える。その時だった。
 大きな牙を持ち、白色の毛皮を纏った巨大な猛獣が現れた。
「な、何だ、あれは」「銀虎だ」「いや、白銀虎だ。幻獣、白銀虎だ」
 3メートルもの巨体の虎だった。人の背丈を超える高さで飛び跳ねながら、オーベルの元へ行く。オーベルとバラルが背中に飛び乗ると、そのまま、虎は駆け出した。
「ナランディ、討て。逃がすんじゃねえぞ」
 無言のナランディ。神技の様な弓矢の腕を持つ、オバスティの右腕だ。グウと大きく引いた弦から、矢が一直線に飛んでゆく。
 しかし、白銀虎は背に矢を刺したまま二人を乗せ、疾風のような速さで山頂に消えた。
「何て奴だ」「追え」「逃がすな」
 オバスティの手下達が後を追いかけるが、到底追いつける速さでは無い。
「くそったれ」取り囲んでおきながら、取り逃したことに、オバスティの怒りは大きかった。
「お頭。済まねえ。作戦通りだったんだが、みすみす逃しちまった」
「仕方ねえさ。オーベルって野郎は、はなから俺達と事を構えるつもりはなかったようだ。あの虎の存在に気付くのは無理だ。川沿いに潜んでいたのだろう。完全に気配を消していた」「ああ」
 逃走手段として、仕込んでいたあの虎をどのように手なづけたのかは驚きだが、気配を消して忍び寄る野生動物を察知するのは、かなり難しい。
「しかし、今度会うときは、命のやり取りになる」「ああ、分かってるぜ。今度はあの野郎の首を必ずぶった斬ってやるぜ」
 エリン・ドールがジッとスナイフルを見つめていた。「どうした、お嬢」ターナが近寄り、覗き込むと、アッと声を上げる。マキ達も集まる。アルジも来た。「アッ」
 スナイフルに一本の傷が付いていた。
「奴に付けられたのか」「そのようね」
 ターナ達は信じられない表情をする。どんな刃であろうとも、斬られずに巻き付くことが出来る、魔獣ムバンドの革で作られたスナイフルに傷が付いたのだ。
「今まで、スナイフルに傷を付けることなど、誰にも出来なかったはずだ。そうだろう、お嬢」
「ええ、わたしは経験したことがないわ。でも」
「でも?」「母が死んだ時、形見として貰ったスナイフルに傷が付いていたのを覚えているわ」
「まさか、お嬢」
「母を殺したのはあの男に違いない」
 エミリア族の戦士だった母は、10年前、ある男と戦って死んでいる。奴隷となっても、エミリアの戦士としての誇りを失わなかった母はスナイフルの遣い手だった。エリン・ドールは母から鞭さばきを教え込まれたのだ。
「疑心の騎士。いずれ、あの男とはまた、会うことになる。まずはスナイフルを治さねばならん。ムバンドの革はモリトルから取り寄せよう」
 ヨーヤムサンが言う。顔色には出していないが、人形のような女はショックを受けているに違いない。
「エムバに、エミリアの母上のために取り寄せた物があったはずです。頂けるよう、父上にお願いしてみます」アルジが申し出る。
「うむ、その方が早いかも知れん」
 悪霊の騎士の手下達との遭遇は、少年に取って、衝撃の連続だったであろう。だが、ヨーヤムサンは、この少年の可能性を感じていた。いち早く危険を察知する力は目を見張るものがある。偶然かも知れないが、多くの民を治める者として、一番必要な能力といって良い。上手く鍛えることが出来れば、エムバを災いから避けることが出来るだろう。
「一時間後に出発する」ヨーヤムサンの号令に、一味はオオと応える。
「お頭、俺達は先に行くぜ」オバスティは水筒の水をクビっと一口飲むと、おめえ等、出発だ、と手下達に命令する。
「じゃあな、お嬢。アモイで待っているぜ」
「分かったわ。お頭のことはあたし達に任せて」
「分かっているぜ。心配はしていない」
 オバスティは先頭を切って歩き出した。
 オバスティか、言葉は汚いが、判断力と統率力が凄い人だと、一行を見送りながらアルジは思う。
「ヤクにちゃんと餌をやっておきな」
 いつもの様にターナがはっぱをかける。
「はい」
 もう少しでアデリー山脈を越える。ピネリー王国とは一体どんな所なのだろう。まだ見ぬ新しい世界にアルジは期待と不安に胸を膨らませた。
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