第42話 ミラの決意(3)

文字数 4,674文字

 マチスタから帰ってきて以来、ディーンは大きな壁にぶち当たっていた。
「お前の剣は軽過ぎるのだ。何かが足りぬ。それでは俺を斬ることはできん」マキナルから言われた言葉が脳裏から消えない。同じことをテネア騎兵団のサルフルムからも言われていた。
 一体何が足りないと言うのか、全然分からない。
 あの時、マキナルは信じられない力を発揮していた。どう見ても自分のほうが早く力強い剣を繰り出していたにも関わらず、それを上回る剣を繰り出してきた。
 父も此ればかりは自らが掴み取るしか無いという。何のために剣を振るうのか、その意義を自分で見つけるしかないというのみだった。
 いずれ、マキナルが決着を着けに現れるのは間違いなかった。それは剣を交えた自分が十二分に分かっている。マキナルは今、傷を癒やし、虎視眈々と牙を研ぎ澄ましているだろう。出来ることであれば逃げ出したい。そういう気持ちになる。
 思い悩むのを見かねたトラルは助言をくれた。
「そもそも、お前に剣術を教えたのは自衛のためだ。訳なく人を殺め傷つけるために教えたのではない。このオリブラは、守備軍の目が届かぬ辺境の地。自分の身は自分で守らねばならない。そのために教えたのだ」

 トラルは話を続ける。
「しかし、そのためにはやむを得ず人を殺めねばならない時もある。そうしなければ、自分の大事な者達に危害が及ぶからだ。そうなったときは神にお許しを願うほかない。お前も家族のためならば、人を殺めることもやむを得ないと思うだろう。だが、今回の相手は違う。我々家族に危害を加えようとしているのではなく、騎士としてのプライドを貫こうとしている男が相手だ。だから、お前は殺めることを躊躇しているのではないのか」
 そのとおりだった。最初は人を殺めることへの抵抗感がとどめを刺すことを躊躇させた。それは自覚していた。
 しかも、サルフルムから、マキナルは元々騎士だったと聞いた。家族を守るために侵略者と戦い、撃退させることは出来たものの、家族を失い、荒んでしまったという。根っからの悪い男には思えなかった。あの男を殺めてしまったら、一生後悔するのではないか。それを恐れている。
「奴は決して諦めないだろう。必ずお前を捜し出し、決着を着けに現れる」
 それは覚悟していた。凄まじい執念を目の当たりにしている。かと言って、一生逃げ続ける訳にもいかない。
「選択肢は二つある。一つは私が助太刀することだ。奴の腕は先日の戦いで分かった。騎士道には反するが、ニ対一で戦えば勝てるだろう。息子であるお前に仇名す者として、私がマキナルに止めを刺す。ましてお前は騎士ではない。騎士になる必要もない。今まで通り、ここで木こりをして暮らしていけばいい」ディーンは黙って聞く。
「もう一つはお前一人で戦い、奴を倒すことだ」ゴクッとつばを飲み込む。
「但し、とどめを刺すまでやらねばならない。そのためには騎士になる覚悟がいる。騎士道以外の信念で人を殺めるのは危険だ。悪の道へ踏み入れ、いずれ奈落の底へ落ちる」
 こんなことになるとは思いもよらなかった。人生を左右する決断に迫られている。俺は騎士になる覚悟があるのか。
「父さん、正直、まだ覚悟はつかないけど、一つだけは言えるよ。ここで逃げてはいけないような気がするんだ」トラルは黙って聞いていた。
「だから、あの男とは俺一人で決着を着けるよ」
「そうか、分かった。ならば覚悟が固まるまで修行を続けることだ。その間は仕事を手伝わなくてもいい」そう言って、トラルは伐採作業に戻った。
 その後ろ姿を見つめながら、もう後戻りできない、とディーンは覚悟を決めた。

 今朝、トラルは家族全員に、今日からディーンがマキナルとの決闘のため、暫くは剣の修行にだけ励むことを告げた。その間、家の仕事の手伝いは出来ないため、家族で協力して欲しい、と語ったのだ。
 妻のライラには予め言ってある。「やはり、ディーンには、あの人の血が流れているのね」ライラは悲しそうな顔をして、そう言った。トラルは何も言うことが出来なかった。
「おう、任せろ、親父。ディーン、あんな奴はさっさと叩きのめしちまえ」マチスタでの一件を知っているノエルはすぐに了解した。「うん。分かった」
「何言ってるのよ、ノエル兄ィ。決闘なんて危険じゃない。止めさせて、お父様」ジュンは心配そうな顔でディーンの左腕にしがみつく。
「心配要らないよ、俺は負けない」「だけど、ディーン兄ィに何かあったら、あたし、あたし」ジュンは少し涙ぐんでいる。
 ミラはいつものように何も言わなかった。これまでも父に意見を言ったことはない。それは従順だということではなく、父親の真意を理解しているからだ。しかし、今日のミラの瞳には怒りの表情が浮かんでいることにトラルは気づいていた。
 伐採作業に出かけようとするトラルにミラが近づいてくる。「どうした」「久しぶりにお父様と一緒に森の空気に触れてみたいのです。少しご一緒させて頂いてもよろしいですか、お父様」「うむ」
 しばし、父娘は朝の森の中を歩く。小鳥が囀る爽やかな朝だ。
「お父様とこうして一緒に歩くのは久しぶり」「うむ。そうだな」
しばしの沈黙がつづく。
「お父様」「うむ」
「ディーンに決闘をさせること、本当なのですか」
「本当だ。あいつは覚悟を決めた。我々は見守るしかない」
 ミラはくるっとトラルの方を向く。怒りの表情を隠していない。いつも穏やかで優しい笑みを浮かべているミラが、こんなにも感情を露わにするのは珍しかった。
「あの子は優しい子です。決闘で相手を討つなんて出来る訳がありません。それでは、ディーンは殺されてしまいます」
「ミラ、お前の気持ちはわかる。だが、こればかりはディーンが決着を着けるしかない」
「お父様はディーンを騎士にすることに反対だったではありませんか」
「その通りだ。だが、ディーンが自分で選ぼうとする道を阻むわけにはいかん」
「でも、あの子が死んでしまったら何にもなりません。そうではありませんか、お父様」
「お前は私に助太刀をしろというのか」
「お父様だったら、どんな達人でも敵わないはずです」
 ミラの言うとおり、見偽夢想流の達人であるトラルに一対一で勝てる相手はいない。
「確かに、私が助太刀すれば奴に勝てるだろう」「だったら」トラルはミラの方を振り向く。
「お前はディーンがそれを望むと思うか」「そ、それは」グッとミラは押し黙る。
「あいつは一人で決着をつけると言った。あいつなりに覚悟をしているのだ」
「でも、もしものことがあったら」ミラの表情が曇る。
「ミラ、カレンさんのお墓参りに行ってみないか」トラルは優しく語りかけた。
 家の近くの静かな森の中にカレンの墓標はある。途中でミラは花を摘む。子供の頃から何度もそうしてきた。今日もこの森には木々の間から柔らかな日差しが溢れている。二人で片膝をつき、両手を組み、祈りを捧げる。
 ミラは墓標に語りかける。お姉ちゃん、どうしたらいいの。ディーンが決闘するだなんて。騎士になんか、ならなくたっていい。ここで家族みんなと穏やかに暮らして行けばいいのに。どうして、男は危険な道を歩もうとするの。あのとき、どうして、おじさんを引き止めなかったの。教えて、お姉さん。
 サーっと風が吹いた。ミラちゃん、ディーンのこと、見守ってあげて。墓標がそう言っているようだった。ミラはスッと立ち上がる。
「お父様、このままではディーンは勝てません。私に任せていただけませんか」
「ミラ」振り返るミラの瞳に赤い炎が浮かんでいた。
こんな娘を見るのは久しぶりだった。うむ、とトラルは頷いた。

「ジュンも行く」
「フフ、危ないから駄目よ」「ミラ姉だって危ないじゃない。ジュンも行く」ディーンに差し入れに行こうとするミラにジュンが駄々を捏ねている。ディーンは、家から一時間ほど離れた森の中で修行に励んでいた。そこは野生馬の放牧地として使っている場所で、開けた牧野と泉がある。
「ジュンは母さんの手伝いが残っているだろう。ミラなら心配は要らない」
「嫌よ、どうして。お父様」マキナルが、いつ現れてもおかしくはなかった。トラルは家族に一人で行動しないよう注意をしていた。そうした中、ミラは山鳥と木ノ実が入ったバスケットを持つ。
「それじゃ、行って来ます」「ミラ姉、置いてかないで、私も行く」なおも駄々を捏ねるジュンに微笑み掛けてミラは出かけた。その背中に一本の剣が背負われていた。
「もう、ミラ姉ばかりズルい。私だって、ディーン兄ィに差し入れしたいのに」「マキナルって野郎がその辺を彷徨いてるかもしれねえんだ。危ねえよ」
「それだったら、ミラ姉だって危ないじゃない」
「いや、ミラ姉なら心配要らねえ。知らねえのか、ミラ姉の剣の腕前を」
「ミラ姉が」ジュンは驚いた顔をする。
「俺やディーンより遥かに強い。いや、もしかしたら親父より強いかもしれねえ」
「ええ、嘘でしょ、本当なの。お父様」ウムとトラルが頷く。見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)の遣い手は今や希少だ。何故ならば、この流派をマスターすることがあまりにも困難であるからだ。
 そして、20年前のアジェンスト帝国との戦いで、マスター・ロードを初め多くの遣い手が戦場に散っていった。今や、達人と呼ばれる技量の持ち主は、トラルを含め数人しかいないと云われている。そのトラルをして天才と言わしめたのがミラである。現在、過去においても見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)をマスターした女剣士は少ない。
 そもそもは自衛のために幼いミラに剣の手解きをしたのが始まりである。剣の基本動作を覚えてくれれば良い程度の軽い気持ちで修練を始めたのだが、我が娘が天賦の才能の持ち主であることに気づくのに時間はかからなかった。
「ミラは見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)を体現するために生まれてきたような娘だ。世が世なら騎士長として王に召し抱えられていただろう」
 そんなに凄いの、と、ジュンはまだ信じられないといった表情だ。ミラがディーンに騎士になるべく、剣の指導を行おうとしているのは間違いなかった。しかし、こればかりはディーン自身で克服するしかないはずだ。ミラは一体どうしようと考えているのか。空を見上げると黒い雲が近づいてくるのが見える。
「今夜は嵐になるかもしれん」
「え、ミラ姉とディーン兄ィは大丈夫かな」ジュンは不安そうだ。
「心配ねえぜ。あそこには休憩小屋がある。雨風なら凌げるし暖も取れる。まあ無理せず嵐が止んでから帰ってくればいいぜ」ノエルはあまり心配していない。
 一方のトラルは森の中で悩んでいるであろうディーンのことを思う。やはり、あいつの息子だ。こんな山奥の暮らしで満足する男ではない。あいつの血が騎士への道に導いているのだろう。
 見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)を息子達に教えたのは自衛のためだった。守備軍の目の届かない山奥にある辺境の地、オリブラで生きていくためには、自衛の手段として、武術を体得させる必要がある。
 実際、ここで長く暮らし、武術が必要となったことは何度かあった。言わば無法地帯と言えるこの地で、自分の身は自分で守ることが必要なのは明らかだ。その術を持たぬ者は強者、無法者に屈するしかない。
 しかし、ディーンは自衛のためとはいえ人を斬ることに抵抗を感じている。あいつは優しすぎる。教えない方が良かったのか。あいつの人生に剣技はない方が良かったのではないか。そう自問自答する。
「あまり、激しくならなければ良いが」
 不安と期待が入り混じった感情を示唆するような空模様に、トラルは嵐の前触れを感じずにはいられなかった。
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