第32話 軋轢の騎兵団(4)

文字数 3,406文字

 今宵は綺麗な半月が浮かんでいた。とある高貴な夫人の館を後にしたテプロは、しばし余韻を楽しむ様にゆっくりと馬に跨っている。
 夜明け前には、女性の館を出ることにしている。それは人には言えない逢瀬をしている相手への礼儀だと、ナルシア夫人に教わった。
 アランスト公爵の屋敷までは半時ほどの道のりだった。真夜中に馬の蹄が聞こえれば色男が乗っている、とは慣用句のように都の人々の間で使われているが、正にテプロがそうだった。
 一時の逢瀬であっても、相手の女性を本気で愛しなさい、これもナルシア夫人の教えだったが、テプロは忠実に守っていた。
 女を敵に回してはいけない、自分の野望を果たすため、力になってくれる女を決して粗末に扱ってはいけないことは肌で感じていた。
 一時でも夢を見させてくれる男に、女は満足し、見返りをくれる。己の野望を果たすため、テプロは生まれ持った容姿と高貴な家柄を余すことなく駆使することを誓っていた。
 アランスト公爵邸に着く少し手前に、木々が茂った場所がある。王の怒りに触れ没落した貴族の屋敷跡だった。
 屋敷は帝国に没収されたが、しばらく住む者もおらず、そのうち木々が茂る鬱蒼とした場所になってしまっていた。
 昼間でも薄気味悪いため、女の召使い達はその前を通るのを嫌がるほどだ。テプロはさして気にもとめてはいなかったが、今夜は少し嫌な雰囲気を漂わせている。誰かが潜んでいる気配があった。浮浪者の類ではないようだ。すぐ近くでホーホーと梟が鳴く声が聞こえる。
 テプロは馬を降りると、少し前に進む。
「何者だ。そこにいるのは分かっている」
 突然、カチャカチャという鎧の音と共に10人の兵達が現れ、さあーとテプロの周りを囲む。その手には槍が握られていた。
「何者だ」
 四方八方から槍を突き付けられた状況下、半月の灯りのもとでは、暗過ぎて、もう少し近寄らねば相手の顔を判別できない。しかし、前方の男の構えから、先日の合同演習で戦った男の一人だと気付く。
「私をアランスト子爵と知ってのことか」
 邸宅に近いこの場所で待伏せしているということは自分を狙ったものに間違いなかった。
「名乗らないのか、名乗れないのか、まあどちらでも良いが、10人では私は討ち取れぬぞ」
 全く慌てる素振りを見せないテプロに男達は動揺した。
「ハッタリに決まっている」
 一人の男が声をあげる。テプロの強さは合同演習で目の当たりにしている。5人をまとめて難なく倒したのは驚愕だった。おそらく7人でも刃が立たないだろう。
 しかし、10人ではどうか、さすがのテプロも手の打ちようがないだろう。10本の槍の穂先がテプロを隙間なく取り囲んでいる。二、三歩踏み出せば、突き刺さるほどの間合いだ。
「ほう、どこかで聞いたことのある声だが、まあ良い、名は聞かずにおこう。しかし、警告しよう。10人では私は打ち取れぬぞ。それでもかかってくると云うのならば手加減はせぬ。死ぬ覚悟ができている者から掛かってくるがいい」
 そんなはずはない、こんな状況でどう逃れるというのか。
「大した余裕だが、そちらこそ、投降してはどうか。この状況では串刺しになるだけだぞ。大人しく投降すれば苦しまぬよう急所を一突きにしてやろう」
 リーダー格らしき男が応える。
 ふうーとテプロは溜息をつく。
「サンド流剣術を聞きかじった者達に良く聞かれることがある。一度に何人を相手に出来るのかと」
 テプロはスラリと二刀の剣をぬいた。身体を左右に撚るようにして、自身の前後に剣先を構える。
「熟練者で3人、達人は5人と云われている」
 二つの剣が半月に照らされ、キラリと光る。
「だが、それは一刀の時だ。奥義をマスターした者が二刀持てば、その倍は相手にできると云われている」 
 刀身が欠けた時の予備として、二刀携えている者は多い。だが、サンド流剣術の達人はどちらも戦いに用いるために持っている。
「最後の警告だ。10人では私は打ち取れぬ。止めるなら今のうちだぞ」
 男達に槍を下げる気配はない。怯むな、とリーダー格の男が叱咤する。ジリジリとテプロを囲む輪が更に狭まっていく。もう手が届きそうだった。
 このまま突けば刺せるのではないか、そんな誘惑に男達は必死に耐えていた。テプロを討ち取るため、一斉に槍を突く訓練を行ってきた。タイミングを誤る訳にはいかない。
「10人相手に出来るとほざいていたが、この状況では何ともなるまい。虚勢を張って我等を退かせようというのだろうが、そうはいかぬぞ。だが、いまさら投降したところで無駄だがな」
 ふうーとテプロは溜息をつく。
「やむを得まい。冥土の土産にお前たちに見せてやろう。サンド流剣術奥義、八眼双剣を」
 かかれ、という男の合図で10本の槍が一斉にテプロ目掛けて突き出される。同時にテプロは円を描くように左に体を回転させる。
 まるでスローモーションを見ているようだった。そこにテプロが四人いる様に見えた。四人の双剣が波打つように動き、次々と槍を弾き飛ばす。
 呆然とする男達にさらに双剣が襲いかかる。
 あっという間に四人が血飛沫を上げながら倒れる。斬られたことすら分からぬほどの斬撃で悲鳴を上げる間もなく絶命していた。
 何が起こったのか理解出来ず、リーダー格の男が絶句する。
「ひ、退け、退け」
 撤退を指示すると男たちは我先に逃げ出した。闇の中、躓いて転倒する者もいる。鬱蒼とした屋敷跡の中庭に繋いでいた馬に跨ると男達は裏手の門から逃げ出していった。
 テプロに追撃する気はない。男達が去ったのを見届けると二刀を鞘に納めた。
 フウーと溜息をつくと、音もなく一人の男が目の前に現れた。黒尽くめの装束は闇に紛れ、そこに人がいるとは思えないほどだ。常人ではない。
「ビクトか」
「ハッ、相変わらずの鮮やかな剣捌き。私が手助けするまでもございませんでした。お見事でございます」  
 ビクトと呼ばれた男は跪く。
「フフ、世辞は止せ。それよりも奴らの後を追え。まあ、行先は予想がついているがな」
「手の者に追わせております。それよりも、この斬られた者達をいかがいたしましょう」
「ほおっておけ。おそらく今晩のうちに回収に来るだろう」
「確かに、このままにして置くのは問題でしょうな」 
 騎兵団では死闘を固く禁じている。唯一、決闘という騎士の作法に法った私闘は認められているが、それも正当な理由がいる。
 気に入らない相手を10人で闇討ちしたなど、正当化出来ない。しかも、返り討ちにあったなどと明るみに出れば、ダボーヌとて、ただではすまないと考えているだろう。必ず証拠隠滅に来るはずだ。
 ビクトはライトホーネと並んでテプロの片腕と言える存在である。ライトホーネが表でテプロを支える存在であれば、ビクトは裏で支える存在だった。
 彼は諜報活動や工作活動を行う集団の頭だ。彼率いる集団は代々、アランスト家に仕え、諜報活動のほか、要人暗殺など政治的な工作活動を行ってきた。
 テプロが父である公爵に請い自分専用の諜報部隊とした経緯があった。
 彼らはテプロが外出する際は常に影から警護していた。今日はビクト自ら警護していたのである。
「これで、奴らも、しばらくは大人しくするだろう。しかし、少しやりすぎたか」
 テプロはその場に横たわっている男達を見る。
「いえ、これで良かったと思いまする。テプロ様の斬撃を目の当たりにして、武力で持って手出ししようとする者はいなくなったでしょう。変に手加減しては、あの方々を増長させるだけでしょう」
 ビクトの言うとおりだった。10人を返り討ちにしたことで、今後、闇討ちには慎重になるはずだ。また、死人が出たことで、今度何か仕掛けてくれば容赦はしないとの警告になっただろう。
「そなたの申すとおりだが、味方の兵を斬るのはあまり気分の良いものではない」
「ハッ、心中お察しいたします。しかし、あの方々はテプロ様を排除するため違う手を使ってくる可能性があります。例えば毒殺ですとか」
「うむ。引き続き、奴らの動向に目を光らせよ」
「ハッ、全部隊に協力者を配置させました。不穏な動きがあれば密告するよう手筈を整えております」
「うむ。頼むぞ」「ハッ」
 ビクトは暗闇に去っていった。テプロも再び帰路につく。もう直ぐ邸宅だった。どうも気分が猛り寝むれそうもない。久しぶりにマリエッタの寝床に忍び込もうか。そう考えるテプロだった。
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