第45話 マキナルとの決闘(2)

文字数 5,251文字

 東の峠牧野はオリブラの村人が共同で使用している場所だ。元々は数人の村人が家畜を飼育するために峠の森を開拓したものだったが、急斜面な崖の上にあり、転落する家畜が出るなど危険なことや急勾配を行来しなければならず利便が悪いことから、次第にこの牧野を使用する者は少なくなっていた。
 鬱蒼とした東の森を抜け、ひたすら峠に向かって登ると、少し開けた斜面がある。そこが東の峠牧野だった。
 かなり日は昇り昨夜の嵐で泥濘んだ地面は乾きつつあった。ヒューと西から生暖かい風が吹く。ここには前に一度だけ来たことがある。トラルとノエルと牛の放牧のために来たのだ。東端は沢伝いに崖になっており、転落すれば命はないとトラルから言われたのを思い出す。
 即座に周辺の地形が頭に浮かんだ。奴は崖の縁にいるはずだ。ジュンを人質に取ったマキナルに取って、俺を待ち構えるのに格好な場所のはずだ。馬を降り警戒しながら進む。
「待ちわびたぞ、ディーン」
 崖の上に根付いている3本の巨木の陰から人影が現れた。あの時と同じ黒いマントを羽織っている男はマキナルだった。
「ジュンはどこだ」
「ああ、連れてきた女のことか。お前の妹か」
「そうだ、どこにいる」
「まあ、そう焦るな」「何ィ」
 のらりくらりと受け答えをするマキナルにディーンの怒りは頂点に達した。剣をスラリと抜く。
「お前を斬る」
「ほう、俺を斬れるのか。あれから少しは成長したか。あまり俺を失望させるなよ」
「すぐに斬ってやる。剣を抜け、マキナル」
「そう、焦るなと言っているではないか。いいのか、妹の姿を確認しなくても」
 マキナルは後ろを指さす。
「?」
 指差す先は崖の縁だったが、ジュンの姿を見つけることが出来ない。どこだ、と焦りが生じる。既にマキナルのペースに嵌っていたが、それに気付く余裕すらない。
「居ないぞ、どこだ」
「一体どこを見ている。フフ、大事な妹ではないのか。ちゃんといるぞ。上を見てみろ」
「何ィ」見上げると思わず、アッと声が出た。高く伸びたナラの巨木の枝に、少女が両手両足を麻のロープで縛られたまま逆さに吊るされていた。
「ジュン!」
 必死に名前を呼ぶが、何の反応もない。しかも意識が無いのか、ぐったりとしている。まさか、既にマキナルの手にかかっているのではないのか。
「貴様、まさか、ジュンを」「フフ、貴様が本気で怒ったのを初めて見たぞ。そうだ、それでいい。怒りを俺にぶつけてみろ」
「許さんぞ、マキナル」
 ゴォーと怒りで全身の毛が逆立つのを感じる。剣を右手に握りしめたままマキナルに近づく。無造作に間合いに入ったディーンは斬撃を振るった。キーンと鋭い音がした。頭上に振り下ろされた斬撃をマキナルが剣で受け止めたのだ。
「ほう、前よりも威力が増しているな。本当に俺を斬る気のようだな」
「斬ってやるといっただろう」
 お互いの剣を重ねて鍔迫り合いとなる。
「フフ、お前も少しは命の遣り取りを楽しめるようになったか」
「何い、そんなもの、楽しむものじゃないだろう」
 ドカっとマキナルの腹に蹴りを入れる。ドーンとマキナルが後ろに倒れるのを見て、止めを刺そうと駆け寄る。「!」
 しかしゆらりと立ち上がるマキナルの異様な姿に動きが止まる。
 全身からどす黒い殺気が溢れていた。前の闘いの時も凄まじい殺気を発していたが、今、目の当たりにしているのは、まるで異質のものだ。触れただけで相手を地獄に落とすような邪悪な気配に満ちている。
「貴様、一体」「フフ、俺の変化を感じとったようだな」
見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)、ローラル平原最強、幻の剣と呼ばれる遣い手のお前が相手では、俺の流派では勝てん。そこで俺は新たな力を手に入れたのだ」
「何だと」
「試してみるか、新たな我が剣を」警戒しながら、剣を構え直すと、すぐに凄まじい斬撃があらゆる方向から襲ってきた。異様な殺気を纏った剣筋を必死に見切り躱す。
 こんなに息が続くものなのか。マキナルの絶え間ない斬撃に驚きを隠せない。
「フフ、まだまだ、こんなものではないぞ」
 だが、躱せない訳ではない。冷静さを取り戻したディーンはひたすら、マキナルが疲れて手が止まる隙を伺っていた。斬撃を躱しながら、巧みに崖の縁に追い込む。
「!」マキナルはいつの間にか自分が崖の縁にいることを知った。後二、三歩後ろに退けば奈落の底だ。
「ほう、追い込まれたようだな」「余裕振っても無駄だ。お前に逃げ道はない」
 今、自分が斬撃を放てば、後ろがないマキナルは左右どちらかに躱すか、剣で受けるしかない。が、一度躱わせたとしても、二の太刀を放てば、斬られるか、あるいは足を踏み外して、崖の下に落ちるしかないはずだ。追い詰めたと確信する。
「かなり、修行を積んできたようだな。嬉しいぞ。だが、こうしたならばどうする」
 マキナルは懐から短刀を取り出す。何をする気なのか、警戒するディーンを横目にマキナルは短刀をシュッと投げつける。
 だが、短刀は正面のディーンではなく、木杭にグルグル巻きに繋がれたロープの方に飛んで行った。とぐろの様に巻かれていたロープがスルスルと解れていく。
「ア!」そのロープは巨木の枝に吊るされているジュンに巻き付いていた。ロープが余裕分の長さを失うと、ジュンはスウッと頭から落下をし始めた。急いで駆け寄り、ロープに手を伸ばす。
 ガクッという音と衝撃でジュンが目覚めた。「ん、んん」真下に深い谷底が広がっているのに気付いたジュンは「キャア」と悲鳴を上げる。ブランブランと体が大きく揺れた。
「ジュン、動くな。落ち着け」と、左手でロープの端を握りながら叫ぶ。
「ディーン兄ィ、助けて、助けて」
 悲痛な叫びとともにジュンの体が大きく揺れる。
「グッ」ロープが手に食い込み激痛が走る。
「フフ、形勢逆転といったところだな。どうだ、妹の命を片手に握っている感想は」
「貴様」ギリギリと歯ぎしりしながらマキナルを睨みつけるが、片手にロープを握ったまま相手をする状況は絶体絶命だった。
「卑怯な手を使って、何が騎士だ。お前のいう騎士道とはこういうことか」
「フフ、何とでも言うがいい。どんな手を使っても俺はお前を倒す」
 ジュンのすすり泣く声が聞こえる。左腕がプルプルと痺れてきた。両手を使いたいところだが、右手の剣を離す訳にはいかない。
「このロープだけは絶対に離さないから、頑張れ、ジュン」「ディーン兄ィ」
 恐怖と涙でグチャグチャになった顔でジュンが、うんと頷く。
「麗しき兄妹愛といったところだが、そんな状態で俺の剣を受けることが出来るのか」
「貴様」マキナルの言うとおり、このままでは太刀打ち出来ないのは明らかだった。ジュンの命綱を左手に握りながら、片腕だけでマキナルの強烈な斬撃を躱すのは至難の業だ。体捌きもこの状態では動きが制限される。
 どうしたらいい、このままではジュンも自分も死んでしまう。マキナルはジュンと俺の命を天秤にかけ、俺が足掻く様を見て楽しんでいるのだ。ジュンだけは絶対に助けなければならない。どうしたらいい、父さん、ミラ姉さん。
(どんな状況になっても絶対に諦めるな)
(マキナルが何故、お前を決闘の相手として選んだのか)
(見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)の真髄は相手の心に触れることにある)
出掛けにトラルから掛けられた言葉を思い出す。
(この流派の真髄は読んで字の如し。無想となることで相手に偽りの虚構を見せながら斬ること。そのためには相手の心が分からなければならない)
昨日の立ち会いでミラが言っていた。
 ロープを握る左手は限界を迎えつつあった。
「ディーン兄ィ、このままじゃ、ディーン兄ィまで死んじゃう。手を離して。私怖くないよ」健気にもジュンは微笑んで見せた。長い時間、逆さまに吊るされ、少女の華奢な体はぐったりしている。
 自身の左腕も麻痺して既に感覚は無くなっていた。もはや、猶予はなかった。ジュンだけを死なせはしない。その時は俺も一緒に崖の下に落ちると覚悟を決める。
 余計なことは考えずに、後はマキナルの出方を待つだけだ。そう思うと、不思議なことにマキナルの様子が良く見えた。いや、今までも見えてはいたが、小さな皺の一本一本までが見えるような感覚だ。
 さらに微妙な表情の変化、ちょっとした仕草までもが頭の中に入ってくる。心の中までも見通せるかのように感覚が研ぎ澄まされている。
 マキナル、お前は何故この決闘を望むのだ。俺に何を望む。
「マキナル、お前は家族に会いたいのだろう」「?!」
 唐突な問いかけに、マキナルは一瞬きょとんとした。
「何を言っている。俺に家族などおらぬ」明らかに動揺しているのが分かる。
「サルフルムさんから聞いた。お前は戦争で家族を失ったそうだな。亡くなった家族に会いたいのだろう」
「フフ、馬鹿なことを言う。この状況下で頭がおかしくなったか」
「家族を失い、自暴自棄になったお前は死を望んでいる。そして、騎士として死にたいのだろう」「止めろ。貴様の戯言など聞きたくもない」
「だったら掛かって来い、俺が冥府に送ってやる」
「クク、戯言を弄し、どうにかして俺を揺さぶろうとしているようだが、いいだろう。お前の挑発に乗ってやろう」
 マキナルは剣を構え直す。ジリジリと近づき間合いを測っている。
「フフ、次の一撃で終わりだ」殺気を放つマキナルに対し、ディーンは剣を下ろしたまま構えようともしない。まるで周りの木々と一体化したように佇んでいる。
「フフ、諦めたか。では、望み通り兄妹揃ってあの世に送ってやる。死ね」
 マキナルが上段から剣を鋭く振り下ろす。ディーンを袈裟斬りにしようという剣筋だ。
 その時、マキナルは、ディーンが左手に握っているロープをパッと離すのを見た。意外な行動に虚を突かれたが、構わず剣を振り下ろす。しかし、その剣は空を斬り、ディーンの姿は忽然と消えていた。
「何処だ」頭を振り、左右を見渡す。
「いない」
 頭上で何かがキラッと光った。見上げると、なんと空中でディーンが剣を振り下ろそうとしているのが見える。
「マキナル」ディーンは超人的な跳躍でマキナルの剣を躱したのである。その左手は再びロープを掴んでいた。咄嗟にマキナルは攻撃を受け止めるべく剣を頭上にかざすように構える。
「舐めるな。片腕で俺を斬れると思ったか」
 本当の雷撃斬は稲妻を斬るほどの速さと威力なのだとミラは言っていた。果たして、ディーンの放った斬撃はマキナルの剣を切断、さらに肩から右腕を切断した。一瞬で右腕を失ったマキナルは何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くす。
 着地したディーンは、すかさず、その鳩尾に剣を突き刺す。ズブッという感触がした。
 剣を引き抜くと、マキナルはゴブっと血を吐いた。そしてヨタヨタと後退りし地面に跪まづく。
 ロープを掴む左腕は限界だった。剣を離した右手で必死にロープを掴み体に巻き込むように引っ張る。
「ジュン、大丈夫か」
「わたしは大丈夫よ、ディーン兄ィ」「待ってろ、今、助ける」とはいったものの体が言うことを聞かない。
 その時、崖の下からオーイと呼ぶ声がした。恐る恐る覗き込むとノエルが崖の下に居るのが見えた。
「兄さん」ディーンは歓喜の声をあげる。
「ジュンをゆっくり降ろせ」「分かった」と答えたが、崖下まで20メートルはある。ロープの長さが足りない。
「私に任せろ」トラルの声がした。
「父さん」巨木の影にいつの間にかトラルがいた。
「私が押さえているから、そのロープを離しても大丈夫だ」「え」とトラルの方を見ると、もう一本別のロープが隣のナラの巨木からジュンに向かって伸びているのに気付く。いつの間に。いや、違う。あのロープは最初から命綱としてジュンに繋がっていたのだ。
「マキナル、お前」振り向くとマキナルは虫の息で横たわっていた。
「フフ、俺は最後の最後に非道になれなかったようだな」
「お前は最初から死に場所を探していたのだろう。家族を救えなかった罪を償うために」
「フフ、そうかも知れん。だが、俺は誤った方向に行ってしまった。俺自身の弱さだろう」
「マキナル」
「ディーンよ、騎士になるには修羅の道を往かねばならん時もある。だが、間違うなよ。俺のようになるな」
 ゴブっとマキナルは再び血を吐いた。
「そろそろ逝かねばならんようだ。礼を言うぞ、ディーン。俺はあの世で修行をし直さねばならん、ありがとう、ディーン」
 マキナルの目に妻と息子、娘の姿が写っていた。「おお、ナシス、カルデ、メル、父さんを許しておくれ、お前たちを救えなかった、この俺を」
(私達はあなたを恨んでなどいない。あなたは、ボルデーの町の人々を救ったわ)
(父さんは、命をかけて僕達の町を守ってくれた)
(お父様は沢山のお友達を助けてくれた。ありがとう、お父様)
「お前たち」
(私達は、あなたを誇らしく思っています。早く罪を償って、逢えることを楽しみにしています)
「ああ、待っていておくれ」
 マキナルは静かに息を引き取った。
 崖の上にヒューと風が吹く。ディーンの黒髪がサラサラと揺れる。
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