第63話 家族との別れと新たな命(4)

文字数 2,483文字

 ギイと静かにドアが閉まる音がし、ディーンが部屋を出て行ったのが分かった。ミラは両手をお腹の上にそっと置く。まだ、両手には抱き締めたディーンの体の温かみが残っていた。
(分かる?これが、あなたのお父様の暖かみなのよ)
 最初に体調の異変に気付いたのは、ライラだった。最近、気分が悪くなることが多くなった娘の様子を見て確信を持ったようだ。
 体調を崩して、ベッドで横になっていたある日、「ミラ、良くお聞き。お前は身籠っているわ。間違いない」と告げられた。
 えっとミラは両手で口を押さえながら、小さく声を上げた。あの時だ。しかし、5年間も子を宿すことが出来ず離縁された私が妊娠するとは信じられなかった。想像だにしていなかった事態に言葉がでない。
「まずは体を労りなさい。今が大事な時期。決して無理をしてはだめ」
 ライラはそれ以上のことは言わなかった。
 その日の夜、トラルが部屋にやってきた。父が部屋に入ってくるのは、久しぶりのことだった。
「大丈夫か、ミラ」
「心配かけてごめんなさい」
 何も謝ることはないと言いながら、ベッドの傍らにある小さな椅子に座る。
「母さんから話は聞いた。謝らなければならないのは私の方だ。済まない、ミラ。お前にはいつも苦労ばかり掛ける」
「お謝りにならないで、お父様。お父様は何も悪くはないわ」
「お腹の中の子の父親はディーンなのだろう」
 ミラはコクっと頷く。
「そうか。それ以上のことは何も言わなくてもいい。お前の気持ちは分かっている。あの子の騎士としての成長の為に為したことだろう。本当は師である私が導いてやらねばならなかったのだ。あの時のディーンには、騎士として非情になる覚悟がなかった。もう少し早く分かっていれば、別の方法で指導することも出来たはずだ。済まない、ミラ」
 ううん、とミラは首を横に振る。
「私は後悔していないの、お父様。ディーンが死んでしまうことだけは避けたい一心だったから。だけど、こんなことになるなんて、思ってもいなかった」
トラルは何も言わずに、只、頷いた。
「だけど、子供を宿すことが出来ない体だと思っていたのに、授かることが出来たことが、とても嬉しいの。だから、お願い、お父様。人からどんな目で見られてもいい。私に、この子を産ませてください」
 悲痛な声で懇願する娘をトラルは思わず抱きしめた。
「お前は私達の自慢の娘だ。何も心配は要らない。お前の為したことは誰にも咎めさせはしない。後のことは私と母さんに任せなさい。お前は安心して無事にその子を産むことだけを考えていればいい」
 ミラの身に起きた事態は、テネア王の守護たる我がロード家の宿命なのだろうか。それにしても、ここまで人の為に尽くす者が他にいようか。
「お父様、ありがとう」
 ミラの目から涙が溢れる。
「それと、お父様。もう一つだけお願いがあるの」「何だい。言ってごらん」
「このことはディーンには言わないで欲しいの」
「何故だ」
「あの子は優しい子。私が自分の子を宿していると知ったなら、きっとテネアに行くのを辞めるわ」
 トラルは胸が張り裂ける様な想いだった。実は彼もディーンには告げずにおこうと考えていたのである。 
 ミラの言うとおり、このことをディーンが知れば、テネアには行かないだろう。騎士になるのも諦めるに違いない。
 来る悪霊の騎士の脅威に打ち勝てるのは、テネア王家の血を引く者しかいない。テネア王の血筋を引いている人物と分かれば悪霊の騎士は、血なまこになって存在を消しにくるだろう。
 しかし、ディーンは騎士として、まだ未熟で修練を積む必要がある。
 また、ピネリー王国とて、テネア王の血筋はローラル平原を治める上で厄介だと思うに違いない。
 一人前の騎士になるまでは身分を明かさない方が良いのは明らかだった。実際、テネアに向かおうとしているディーンには、そう伝えようとしている。
 だが、ミラの気持ちはどうなる。大義の為とは言え、本当にそれでいいのか。
「お前は本当にそれでいいのか。本心を聞かせてくれ」
 トラルの問いかけにミラは押し黙ったが、様々な感情が押し寄せ、涙が溢れ出て止まらなくなっていく。
「私の望みは、家族みんなと静かに暮したいだけ。私が小さい時、お父様は仰っていたわ。お前にはディーンの妻になってずっとここで暮らして欲しいって。あのときは戸惑ったけれど、きっと、あの時からそうなることを望んでいたんだわ。けれど、あの子は旅立たねばならない人。ここにいてはいけない宿命の人」
「ミラ」
 話しかける言葉が出てこなかった。幼子のように泣きじゃくる娘を抱きしめるしかない。しばらく、トラルの胸で泣いたミラは顔を上げた。
「ありがとう、お父様。もう大丈夫」
「ミラ。お前を一人にさせはしない。生まれてくる子は私達に取ってもかけがいのない子だ。みんなで大事に育てよう」
 ありがとう、お父様と、ミラはトラルに感謝した。決して無理はするなと、言い残してトラルは部屋を出ていったのだった。
 昨日は少し体の調子が良かった。どうしても行きたかった森のお墓に行くことができた。そこに行くと、大好きだった、お姉ちゃんに会える気がする。ミラは、いつものように、花で囲まれた墓標に語り掛ける。
 お姉ちゃんが、暖かい眼差しで微笑んでくれている様な気がした。
「喜んでくれているの、カレンお姉ちゃん」
 命掛けでディーンを産んで、間もなく息を引き取った、心優しく強い女性だった。テネア王の血筋を絶やさないようにとの責任感もあったのだろうが、一人の女性として、人として、生まれてくる命を守りたいという思いが、真っ先にあったに違いない。
 今、その気持ちが手に取るように分かる。
「無事に産んでみせるわ。カレンお姉ちゃん。お姉ちゃんの様に私の命に替えても、お腹の中の子を産んでみせる。だから、お願い、どうか、私を見守っていて」
 スウーと一筋の柔らかな風が森の中を通り抜けていく。風は優しく慈しむ様に、ミラの周りを舞う。
(神様、どうか私とお腹の中の子をお守りください) 
 片膝を地面についたミラは両手を組み、静かに祈りを捧げた。
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