第25話 マチスタの少女(4)

文字数 2,798文字

 酒場に着く頃には昼過ぎになっていた。すでに酒場は開いている。夜ほど客が多くはないが、既に男たちが酒を飲んでいた。昼間に酒を飲んでいる男達は年老いたり怪我をしたりして重労働が出来なくなった者達、いわば溢れ者達である。小間使いをして得たわずかな金を飲み代に費やしている連中だ。
「なんだい、随分と遅かったね。どこかで道草食ってた訳じゃないだろうね」
 この店の店主らしき小太りの中年女が出てきた。
「すみません」少女は必死に謝る。
「おい、ちょっと待てよ。こんな女の子にあんなに荷物を積んだ車を引いてこられる訳がないだろう」
 ディーンは思わず文句を言う。
「誰だい、あんたは。んーまさか、もう男に色目を使うのを覚えたのかい。なんて娘だい」
「違う。そんなんじゃない。俺は見かねて手伝っただけだ。それよりもカヲルにこんな仕事をやらせるなんて、どういうつもりだ」
 思わずカッとなったディーンは女店主に怒りをぶつけた。しかし、女店主は全く動じる気配がない。
「あんた、この娘に熱をあげているようだけど、何が出来るって言うんだい。この娘の親父は借金をしちまってるんだ。その形でこの店で働いているだけだ。文句があるなら、この娘の親父にいいな」
「でも、あんな仕事はカヲルには無理だ」
「何をやらせようとこっちの勝手さ。大人子どもの区別はしないよ。子供が働けないっていうのなら、親父が働けばいいだけさ」
「いいんです。お父さんは病気なので働けません。私が悪いんです。ちゃんと働きますので許して下さい」
 少女は必死に頭を下げた。
「だ、だけど、あんな仕事をさせるなんて」
「フン、金さえ返してもらえれば何の文句もないよ。なんだい、あんたが肩代わりしてくれるとでも言うのかい」
 ディーンは押し黙った。
「出来ないんだったら、部外者は黙ってな。中途半端な同情はこの娘にとって何の慰めにもなりゃしないよ」
「ん、んぐ」
 何も言い返せない自分が情けなかった。
「ほら、いつまで愚図愚図してるんだい。もう店は開いているんだ。さっさとおし」
「は、はい」
 少女はそそくさと店に入っていく。ディーンは何も言えずに立ち尽くすだけだった。
「それはそうと、あんた、今夜、店に来るのかい」「え」
「サービスするよ。尤もカヲルは無理だけどね」「な、」この酒場は売春もしているのか、ディーンは裏社会の構図を垣間見た様な気がした。
「それと安心おし。あの娘には力仕事はさせないよ。まあその内だけどね」
 本当か、とディーンは女店主の顔を見る。しかし、ニヤリと笑っているその顔に違和感を覚える。
「あの娘は器量がそんなに悪くない。どこかの大問屋の主人が目にかけてくれたら、もしかしたら借金を返せるかもね。気娘は高く売れるからね」
 そういうことか。この世界はこんなにも理不尽なのか。ディーンはガクっとうなだれる。
「じゃあね、今晩、待っているよ」
 女店主は店に戻っていった。
 世の中の厳しさに直面し、ディーンは自分の無力さを自覚した。俺は少女一人も助けることができないのか。酒場の横に広がる草原に腰を下ろし、空を見上げた。初夏の青空に入道雲が立ち込めていた。
 俺は余計なことをしたのだろうか、考える程気持ちが下を向いていく。
 酒場で飼っている馬達だろう、草を喰んでいる隣で仰向けになり、しばらく空を眺めた。時々通る通行人に奇怪な目で見られるが全く気にならなかった。
 取り敢えずオリブラに帰ろう。俺には家族が待っている。どうしたら良いのか、今は結論が出ないが、帰るしかない、とディーンは立ち上がった。
 父と兄が待つ町の中心部に戻ろうとした時だった。馬に乗った、黒いマントに黒いつば付き帽子を被っている三人組の男達とすれ違った。この辺では、よく見かける装束だが、只者でないのは、すぐに分かった。 
 異様な雰囲気を放っており、腰に携えている剣から血の匂いがする。
 この界隈では人を斬ったり斬られたりするのは珍しいことではない。しかし、それは喧嘩がエスカレートして刃傷沙汰に発展した場合が殆どだった。
 あの三人組は人を斬ることに慣れている、何かあれば躊躇せずに斬るだろう、そんな直感がした。
 馬を降りた三人組が酒場の中に入って行くのが見えた。壮齢な男達が昼から酒場に来るとは珍しい。何か良からぬことを企んでいるのではないか、と疑念が湧く。
 しかし、あの手の酒場には必ず用心棒がついているものだ、とトラルから言われた事を思い出す。何かトラブルがあれば対応してくれるかも知れない。しばらく様子を見ることにした。
 異変は程なくして現れた。キャアという女の叫び声と共にドタンバタンというけたたましい物音が酒場から聞こえた。
 サッと酒場の方に目を向けると、あの3人組の男たちが出て来るのが見える。一人は剣を抜いている。ただ事ではない。そして一人は肩に誰かを抱えていた。目を凝らしてみると、なんとそれはカヲルだった。
「カヲル!」
 咄嗟に駆け寄る。
「ディーン、助けて!」
 あっという間にカヲルを抱えた男は馬に跨った。そこへ店の中から用心棒らしい体格の大きい男が2人出てきた。
「野郎、ふざけやがって!」
 用心棒の男たちは剣を抜く。
「先に行け。ここは俺に任せろ」
 そう言って、黒マントの男の一人が立ちはだかった。
「ああ、任せたぞ」
 カヲルを抱えた男の馬が走り出す。もう一人の男の馬も並走した。
「野郎、逃がすか」
 用心棒の男たちが飛びかかる。
「おっと、ここは俺が相手だ」
「どきやがれ」
 用心棒の男の一人が剣で斬りかかる。
「?!」
 次の瞬間、用心棒の男の両腕が剣を握ったまま血しぶきをあげて宙に飛んだ。ギャーという男の悲鳴が響き渡る。
「や、野郎」
 もう一人の用心棒の男が斬りかかる。ズブっという音と共に黒マントの男の剣が腹部に突き刺さっていた。倒れている二人に目もくれず、黒マントの男は馬に跨り仲間を追って駆け出した。
 恐るべき剣技だった。あっという間に用心棒の男二人が斬り捨てられたのである。ディーンの背中を一筋の汗が伝う。
 人が斬られるのを目の当たりにするのは初めてだった。だが剣筋は見えていた。多分俺の剣の方が早い。
「あ、ああ、何てこったい」
 顔面蒼白になりながら狼狽えている女店主に、ディーンは素早く駆け寄った。
「馬を貸してくれ。早く走れる馬がいい」
「あ、あんたは」
「早く、逃げられてしまう」
「追いかけてどうしよってんだい。あいつら人攫いのプロだ。殺されちまうのがオチだよ」
「いいから早くしてくれ」
 あまりのディーンの気迫に、女店主は逞しい黒毛の馬を貸してくれた。ディーンはひらりと飛び乗る。
「よーし、ドウドウ。いい子だ」
 荒馬のようだがこれなら行けそうだ。ディーンは馬の首筋を優しく撫でた。パン!と鞭を入れると、ヒヒンと嘶きを上げ馬は走り出す。
「間に合ってくれ」
 馬上でディーンは必死に、そう祈るのだった。
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