第35話 令和三十年九月二十七日(日)東京⑤

文字数 1,883文字

中入りがあける。
曽呂利新左衛門の前に、色物としてマジックがある。

出番は、ライオネル小林である。持ち時間は10分。
ライオネル小林は30代後半であるが、父親のライオネル大林率いるライオネルマジック一座に、生まれた時から参加しているため、年齢=芸歴の実力派大御所先生である。
寄席の初出演は8歳の時で、一つ下の弟とお笑いマジカルコンビ「ガオガオパオーンズ」を組み、一世を風靡した。16の時に弟がダンサーになったため、コンビを解散した。寄席で、ピン芸人としてお笑いマジックを届けてもう20年になり、父親のマジカル大林が亡くなってからは、ライオネルマジック一座の座長も務め全国巡業も同時に行なっている。
寄席でのライオネル小林のマジックは、ほぼ漫談といって良く、寄席のライオネル小林しか知らない客は、マジックが下手な面白いおじさんという認識である。

もはや精神的に満腹で客席は集中が切れている。
そこに時々、動画配信のバラエティ番組で見かける面白おじさん、ライオネル小林が、陽気なBGMに乗って出てくる。客席からは、まばらな拍手が送られる。
舞台袖の三玉斎は「きついだろうな」と同情する。

「はい、私の手品。種も仕掛けもありますよ。」

お決まりの台詞だが、客席からは乾いた笑いがあるだけだ。

「まず水を石油に変える術。これ出来たら、私もう大金持ち。一日で一億は儲かるよ。一億円稼ぐのに、玉露亭、何回出なきゃいけない?4回も出なきゃいない。」

淡々と使い古されたギャグをこなし、ペットボトルを口に含む。ライターで紙に火をつけて口元に持ってくる。
途端、舞台の天井に届こうかという火柱が上がる。

ブォーっと上がった火柱に客席は驚く。「火事になったらどこから逃げればいいんだろう」自己防衛本能のスイッチが上がり、切れていた脳みそがオンになる。

「みなさんラッキーだね。二回に一回失敗するんです。明日から新宿で一週間出番です。初日で出禁。でも大丈夫。会場も無くなってるから。」
ふわっと笑いを掴む。
「さ、失敗したら危ないんで、今日はもうマジックしません。喋るだけ。あ、ロビーで防火服売ってます。」
ドッした笑いはこないが、リズム良く運んでいく。
「はい次はこちらの白いハンカチ、鳩出ます。たまに出ます。ほとんど失敗します。クリスマスに女の子とレストランに行ったんです。白いおしぼりありました。ハト出してって言われたんで、困ってました。見かねたウェイターが七面鳥出してきました。」
笑い待ちのポーズをとる。客席はくだらなさについ笑ってしまう。

「こんな感じの漫談続きます。手品しません。みなさん燃えたら困るんで。」トントンと小さなネタを繰り返していく。
客席は、熱狂することはないが、フラットに、演芸を楽しむような状態へと整っていく。

「最後ね、本当にね、みなさん感謝でね。こんな手品もせずに、10分も付き合ってもらってね。両手合わせて拝まないとね。両手合わせてね。拝んでね。両手を高速でね、擦って、擦って、擦ったら〜、火柱が」

客席がググッと寄ってくる。

「出ません。」
ニコッと笑ってペコリとお辞儀する。観客も、ひょっとしたら出るかもという期待感はあったものの、爽やかにかわされたと満足している。

「以上、マジックのライオネル小林でした。ありがとうございました。」

両手を合わせて客席に対して拝む。馬鹿真面目な表情を作り高速で両手を擦りながら舞台袖へと歩いていく。その様子に客席は微笑ましく拍手見送る。
すると、ライオネル小林は笑顔を作ったかと思うと、擦っている両手を客席へ向ける。ブオっ炎が上がる。客席はおおっと反応して、一段大きな拍手を送る。

舞台袖に下がってきた、ライオネル小林が「お先に勉強させていただきました」と挨拶をする。
客席は、次の演芸を期待している。芸で、押しすぎることもなく、引すぎることもなく、空気を整えた。それができる一流の色物をこの位置に配置した、玉露亭の席亭のプロモーターとしての才能に三玉斎は舌を巻いた。

転換の囃子を三味線・太鼓が演奏する。
前座が舞台のマジックセットを片付け、座布団を敷き、舞台袖へと戻ってくる。
着物に着替え終わった曽呂利新左衛門が舞台袖へとやってくる。
少し悩んだあと「ごめん、やっぱり見台ありで。」と言ったので、前座が、もう一度見台を持って舞台へ上がり座布団の前に見台を設置する。

出囃子が曽呂利新左衛門のものへと変わる。

三玉斎も他の若手たちも、慈水の説法に対し、曽呂利新左衛門がどのような「立ち切れ線香」を見せてくれるのかという期待でいっぱいで、「見台ありで」の意味に気づいていなかった。
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