第14話 寄席の歴史③

文字数 969文字

吉田は以前、まとめた江戸から明治にかけての落語の歴史のメモをながめる。

1882年桂文三が二代目桂文枝を襲名して、月亭文都らが離脱し、1893年「浪花三友派」を立ち上げ、「桂派」との二つ派閥に分かれてから、1907年の両派合同興行までの25年間、この二つの派閥は独自の路線を走る。
ざっくり言ってしまえば、地味で通好みの「桂派」と、派手で笑いの多い「浪花三友派」である。
落語のネタの中で笑いは三つだけあれば良いとの考え方の「桂派」は今の落語のイメージとはほど遠い。これが本流だったというから「大阪=笑いの街」という図式は明治期にはなかったのかもしれない。大阪で興り当時大流行の芸能「人形浄瑠璃」も「情」の芸能である。
このあたりで「大阪人」の気質が変質したのかも知らない。
シェアブックポストに取り寄せたのは速記本である。なかでも一冊は1907年に行われた「両派合同興行」の速記本である。この口演で「あえて本日は昔のままやらせてもらいます」と断っている表現が出てくる。
このあたりで落語が「古典化」したのではないか?それは、時代にちょっとずつ合わせてアップグレードしてきたが、時代のあまりの変化に落語が変化しきれなくなったのかもしれない。

この25年間に何がおこったか?
1889年大日本帝国憲法が発布され、1894年英国との間の不平等条約が撤廃され、1895年日清戦争に勝利する。当時の旗印「脱亜入欧」とは、江戸時代的生活スタイルを捨て、一流の工業国を目指し、それが形になっていく頃合いである。
江戸時代的なものは「間違って」おり、西洋的なものが「正しい」。

商業形態も「旦那」「番頭」「丁稚」という古いスタイルよりも、新しい「会社」というスタイルが正しい。

工業が興り、街は都市化する。「水の都」は「煙の都」と変化する。市街地には路面電車が走り出し、ついには大阪神戸間を高速の電気鉄道が走り出す。
1907年はその「脱亜入欧」が日露戦争勝利という形で達成されたと、日本中が思いこむ年である。
形だけの西洋化はそのあとも日本の病巣となるがそれはまた別の話である。

そんな1907年は日露戦争の戦勝に湧くと同時に未曾有の大恐慌に襲われる。戦時バブルが弾けたのだ。
経済的に窮地に立たされた「江戸時代的」な芸能は、手を結ぶことで、この困難に立ち向かったのかもしれない。
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