第9話 令和三十年七月二十一日 大阪。

文字数 1,370文字

目覚ましアラームが鳴る。吉田は、自分で書いた紙のメモを読みながら、色々と思案しているうちに寝てしまっていたようだ。
吉田はジャージ姿のまま無人コンビニに朝食を買いに行く。サンドウィッチと牛乳を食べる。
吉田は大阪市、湾岸エリアの一軒家を借りている。
このあたりは空き家も多く、新築のマンションを借りるよりも、一軒家を借りた方がずっと安い。
リュックサックに着物を畳むための敷紙を入れて家を出る。
自転車シェアの月額1200円のサブスクリプションサービスに登録しているので、近くの駐輪場から自転車に乗り、曽呂利新左衛門の住む北エリアのタワーマンション最寄りの駐輪場まで20分かけて移動する。
 タワーマンションの一階で待っていると、曽呂利新左衛門がキャリーバッグを引いて出てくる。吉田はすかさず、キャリーバッグを受けとり、どこに行くとも教えてもらっていないままに曽呂利新左衛門の斜め後ろを歩く。

「どないや?落語の存在意義は?答えでそうか?」
「今、寄席の歴史を調べています」
「賢い人は歴史調べるんやな。なんかわかったか?」
「はい。寄席は、政変で止まることはないですが、感染症では止まります。」
「ほう!コロナか??」
「いえ、コレラです。」
「コレラ?」
「はい、幕末以来、毎年夏に日本ではコレラが流行するんです。明治時代に入っても治りません。なかでも、1886年がひどかったみたいです。大阪では、5月25日以降、9月になるまで、興行が中止されています。この年は大阪だけで15650名コレラによる死者が出ています。」
「落語家はどないしとったんやその時は?」
「有馬温泉に行ってます。」
「ええ身分やなぁ。」
「いえ、都市部での興行が叶わないので、旅まわりです。」
「分かってるがな。」
「6月、落語家・講談師・手品師、有馬温泉へ出稼ぎとあります。ところが7月遊芸稼人の多くが廃業届を出す。とあります。」
「遊芸稼人。」
「けど、落語界自体は右肩上がりに発展しているように感じました。なにせ、桂派と、それ以外、のちに浪花三友派となる落語家とバチバチの頃ですから。」
「なんや?桂派と浪花三友派って?」
落語家である三代目曽呂利新左衛門よりも少し調べた、ただの青年の方が落語の歴史について詳しいこれは一体どういうことか?
「俺らな、不思議なことに太平洋戦争以前の落語の歴史って知らんねん。大体俺らが共有してる歴史は「戦後上方落語四天王が滅びかけた上方落語を復活し」で始まるからな」
「え!?上方落語って滅びかけるんですか?」
「それ、知らんのかいな。そっちの方が驚きやわ。」
「まだ、成立から、明治時代までしか調べていないもんで」
「ははは、けったいな調べようやなぁ。確か、二代目の春団治師匠が亡くなられた時に「上方落語は滅んだ」って新聞に書かれたんやったんちゃうかな。戦後すぐとかやと思うけど。」
「上方落語四天王というのは、文都・文三・文団治・文之助のことですか?」
「なにいうてるねん。違うがな。なんやその四人の括りは?今でもいてはるがな。」
「明治に活躍した、初代桂文枝の弟子たちです。」
「あぁ、ニセ曽呂利か。」
「ニセ曽呂利と言いますと?」
「君、桂派とか浪花三友派とかそんなんの前に自分の師匠の名前に興味持ちや、ホンマ。その桂文之助って、文枝になられへんかったし、曽呂利新左衛門を名乗るんや。」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み