第33話 令和三十年九月二十七日(日)東京③

文字数 1,096文字

前座が出囃子に乗って、高座に上がる。
出囃子は生演奏である。三味線は、曽呂利新左衛門の落語が当日何であっても、ハメモノ対応できるように上方のお囃子さんを呼んでいる。主催者である玉露亭の席亭はそこらあたりにぬかりはない。ただし、太鼓は江戸の前座に対応させる。
「多分「立ち切れ」する思いますわ。」曽呂利新左衛門が、お囃子さんにネタの心づもりを伝える。
太鼓を担当する前座は「立ち切れ線香」と聞いて安心する。
重要なシーンでハメモノがあるものの、三味線と唄だけで、太鼓が入ることはない。「この重要な二人会を自分のミスで台無しにできないし、ネタ出ししてなくてハメモノあるんだったら、上方から若手呼んでくれよな」と内心思っていたのでホッとした。

高座に上がっている前座はガンガン受けている訳ではない。といって、滑っているわけではない。笑い声は小さいが、何か熱気のようなものが発されている。次の慈水に対する期待感と、この二人会の幕が上がったことによる異様な高揚感が客席に充満している。

前座がオチを言って、出囃子が鳴る。このところ慈水の出囃子は固定されつつある。仏教寄りの出囃子ではなく、陽気な浄瑠璃のワンフレーズから頂いた出囃子だ。慈水を気に入った大御所落語家が「俺の若いときの出囃子を使って良い」と譲った。

三玉斎は舞台袖から、高座に上がる慈水の背中を見送る。勉強にきた七、八人の若手も舞台袖に集まっている。
慈水が語りだす。「釈迦尊入滅後、千五百年。末法の世が到来し........。」
三玉斎は頭の中で「おお」と一段ボルテージが上がる。慈水の得意演目「末法思想」だ。コンパクトにまとめた寄席サイズの「末法思想」は聴いたことがあるが、長尺では聴いたことがない。慈水の語りによって、1000年前の世の乱れがまるで、今の世の中かのような錯覚に陥り、最後は一筋の光を見たところでストンと終わる。
これが、長尺で聴けるとなると、魂がどれだけ救われるのかと三玉斎はこれからの語りに脳から喜んでいる。客席も同じような期待感から、もう一段熱量が上がる。
「疫病と戦乱に中央政府が醜い権力争いだけの場となり、誰も問題を解決しようとしない。地方豪族や寺社勢力も己の利権ばかり主張し、大量の民衆が餓死しているが、死体も見ても誰も何も反応しない。」そういった地獄絵図が慈水によって語られる。

観客はそんな様子を目の前で見ているように顔を歪める。慈水の語りの魔法に、地獄を見ている。ここから救いの道が語られると言った一番良いところで

「ピコンッ、ピコンッ、ピコンッ」

とマナーモードにし忘れたのだろう。客席でgoglassの電話通知音が鳴り響いた。
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