第34話 令和三十年九月二十七日(日)東京④

文字数 1,101文字

電話通知の電子的なサウンドに客席全体が一度、噺の世界から、現代へと戻ってしまう。
客席には一斉に「誰だよ。こんな大事なときに」という雰囲気が広がる。
舞台袖では、若手落語家たちが目線で会話している。客席と同じ思いを共有している。
三玉斎は、慈水がこの電話通知の音に対して、説法の中でイジリを入れて解決するのか、あるいは触れないのか、一度手放した空気を戻せるのか、それともこのまま不完全燃焼になってしまうのかハラハラしている。
三玉斎の後ろには、いつの間にか曽呂利新左衛門が立っており、真剣な眼差しを舞台に送っている。

慈水は、ただ今までより大きな声で喋るという、原始的な方法で対応した。
対応したというよりは、ただ本能的に電話通知の音をかき消すように、一段と声を張り上げた。

「電話通知の音なんかに気を取られず、兎に角、俺の噺についてきてくれ」の一点突破だ。
客席も「電話通知の音を聞こえない振りをしてくれ」というメッセージに呼応し、慈水の声に対する感度のみをあげ、他の世界をシャットアウトする。

その本能的に大衆を先導していく慈水の姿が、説法「末法思想」に登場する僧侶の姿と重なり、困難な世界に一筋の救いを見出す姿がドラマチックに浮かび上がる。
客席の空気は、共に電話通知音を乗り越え、噺の世界観を守った一体感に包まれている。
完全に会場の空気は慈水に支配された。
舞台袖の若手たちもその空気に飲まれている。三玉斎は「歴史が変わった」と感じた。おそらく慈水史上一番の出来だ。神がかりと言ってよい。この出来では流石の曽呂利新左衛門も敵わない。

曽呂利新左衛門の顔を見る。一見穏やかな表情に見えるが、目の奥に刃物のような鋭さが混じる。長い付き合いの三玉斎も初めて見る顔だ。互角かそれ以上の相手に対して死を覚悟した上で真剣勝負をしなければならない古武士のような面持ちである。
曽呂利新左衛門は一度、息を吐いたかと思うと、いつもの飄々とした雰囲気を纏い、慈水の説法が終わる前に楽屋へと消えていった。

慈水が噺を終える。
完璧な出来だ。三玉斎は嫉妬心よりも、歴史的瞬間に立ち会えた喜びを感じている。

観客はというと、まだ中入りだというのに、もう満ち足りている。
これ以上何も入れなくてよい。この状態で家に帰りたい。
たとえものすごく美味しい料理だったとしても、これ以上食べてはせっかくの今の料理の美味しさを噛み締めながら帰ることも出来ないし、胃がもたれてしまう。
精神的に心地のよい満腹感を感じており「もうこれでこの会終わってもいいんじゃないか。」
誰も言葉には発しないが、その思いで満員の客がそれぞれテレパスのように、会話できているような気になった。
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