第13話 令和三十年七月二十一日 大阪。⑤

文字数 1,312文字

曽呂利新左衛門・二好・吉田の三人は北大阪急行「桃山台」駅に降り立つ。
もう日が暮れており、駅前の公園は、公園の管理が行き届いていないのか、鬱蒼と茂っており、池の水も濁っており、不気味な雰囲気で「痴漢注意」の看板に現実感がある。
新しいファミリータイプの大型マンションの間を抜けると、80年前のニュータウン開発で計画的に作られた商店街跡が現れる。物寂しい廃墟となっており、アーケードのビニールテントが破れたまま天井からぶら下がっており、一層気味が悪い。
赤い煙突の幼稚園と小学校跡の間を通り抜ける。大型の戸建て住宅の立ち並ぶエリアは、空き家と今風の新築住宅が混在している。
なかでも一際大きな一軒家の前に到着する。表札は色味がかった半透明の石に「桂文団治」と印字され、凝った意匠である。

「ほんなら、吉田はここでええわ。明日も10時にうち来て。」
曽呂利新左衛門はキャリーバッグを吉田から受け取り、吉田を自宅へ帰す。
「吉田くんは、文団治師匠のお宅へは上がらないんですか?」二好がたずねる。
「うん。まだ見習いのん連れて行っても、文団治兄さん困るだけやろ。昔やったら運転あるから、車で待っとけてなもんやけど、それもないし。一応形だけでも修行やから、ここまで連れてきたけど、ここで帰すわ。お疲れさん。」
吉田はいつもの如く、突然、帰宅命令を告げられたが、今日ばかりは名残惜しかった。連盟派の会長とどんな話をするのか。
曽呂利新左衛門がインターフォンを鳴らす。

「おお、新左衛門か。今開けるわ。」
「兄さん、今日も、若手一人連れてきましてん。」
「文団治師匠大変ご無沙汰しております。二好です。」
「おお。久しぶりやな。自分とこの師匠にはウチ来るのん言うてんのか?」
「いえ、まだ言ってないです。」
「内緒にしときや。しくじるで。敵方の大将やから、俺。」
インターフォンから豪快な笑い声が聞こえる。
大きな玄関の門の鍵が開く「ウィーン」という音が聞こえる。曽呂利新左衛門と二好の二人が文団治の家へと入っていく後ろ姿を吉田はただただ眺めている。

吉田は自宅へ帰ってくるなり、玄関にかけられたシェアブックポストを開く。注文していた落語の資料が二冊届いていた。レンタル期間は1週間だ。
「落語は社会生活の維持に必要か?」この問いに答える期限が迫っている。吉田は、歴史から、この問いに対しての答えを見つけようとしている。
ところが、今日は資料を読んでも、なかなか頭に入ってこない。桃山台の文団治邸では一体どんな話がなされているのか。

あの時、インターフォンごしに、師匠は「今日「も」若手一人連れてきましてん。」と言わなかったか。
師匠は、頻繁に文団治のところへ通っている。しかも、若手を連れて。二好に拠れば、曽呂利新左衛門が「連盟派」に移れば、それに賛同する落語家も大勢いるという。そうすると、落語界の構図が全く変わる。
吉田は、歴史の1ページを目撃しているのではないかという高揚感を感じながら、どこか他人事である。「協会派」も「連盟派」も今日初めて知った言葉であり、自分はまだ見習いで落語家ですらない。
自分は「落語は社会生活の維持に必要か?」この問いについての答えを出せねばならない。
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