第25話 令和三十年 四月五日(日) 東京④

文字数 686文字

三玉斎は、自宅のある「喜多見」駅で下車する。
人間新しい知識が入ると、目につく景色が変わる。いつもは、気味が悪いと思って避けていた「令和仏教狛江支部」と書かれた大きな建造物もスタイリッシュな建物に見えた。

ここで、集団生活している人たちの実態が全く外界へ届いてこないので、得体の知れない人たちと思っていたが、ネット上の賛成派の人たちの意見のように「互いに助け合う介護施設・保育施設・そして修行の場」なのかもしれない。
そう思うと、より温かみのある、学校のような場所に感じた。

「令和仏教狛江支部」と書かれた看板の上のマークに見覚えがあった。慈水の着物に入っていた紋だ。

自宅まで、曲がりくねった一軒家の立ち並ぶ道を通る。
家の玄関にこの慈水の紋が入ったシールが張ってある家が多いことに驚いた。
ネット上で「悪徳訪問販売撃退にも効果がある」という意見も目にすることもあったが、シールの貼ってある同士の家でかなり密接な協力関係があるのかもしれない。

限界集落となった地域の後期高齢者が、子供世代に呼ばれる形で、都内に増加した。
地域と人生が一体となっている人々にとって、これはパニック的なストレスであり、そこに生きる意味を与えるのが令和仏教である。
死ぬこと、生まれること、育つこと、育てること、全ての基本は、助け合いであり、それを導くのが令和仏教。難しいことはなにもない。まずは令和仏教ステッカーをオンラインショップで手に入れ、玄関先に貼りましょう。それが、救いの世界の始まりです。

気持ちが悪いと、一蹴していたネット上でよく見る賛成派の意見が何故か、帰路に向かう三玉斎の頭にリフレインしていた。
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