第50話 令和三十年十二月 再び大阪⑩

文字数 1,699文字

「絵馬堂の茶店はどこ?」
高津神社の境内に入った鶴女がキョロキョロしている。
「何それ?」
「何それ?って出会いシーンじゃないの。「崇徳院」の。さっき放送局内のコンテストでもやってたでしょう。」
「僕、前半聞けてなかったから。」
「聴けてなかったも何も「崇徳院」くらい知ってるでしょ、落語家だったら。」

吉田の胸に突き刺さる。曽呂利新左衛門が高座にかけた演目を調べるくらいで、他の噺まで手が回っていなかった。「弟子修行が忙しくて」と言いたいがそれがただの言い訳であることは自分でもわかっている。秀才肌の吉田は深く反省した。

「ラブホテルばっかり研究してる暇があったら、ちょっとくらい落語の勉強したらどうなの?」

吉田は、北京大学卒の秀才であるが親から勉強しなさいと言われたことはない。子供の頃から、何も言われなくても進んで勉強してきた。
そして、放送局を出てから、同年代の女性にずっと命令口調で上から喋られる状況。
吉田はにとっては生まれて初めてだった。
放送局内にいた時はキャップを被った陰気な女性だなと思っていたが、放送局を出て、帽子をとったときにとても綺麗な女性だなと思った。
朝ドラ女優の志水里香にそっくりである。
ところが、性格は似ても似つかない。高圧的で尊大な態度で志水里香そっくりな落語家が罵詈雑言をはいてくる。
にも関わらず、吉田は快感にも似た感情を持っていた。

「僕は、ひょっとして、マゾヒズムに目覚めたのか!?」

吉田は新しい自分で出会えた喜びに震えている。
goglassで地図を検索して、高津神社の位置と船場の位置関係を把握した。あとで崇徳院のVRを見るときに想像しやすいようにだ。


「何してるのよ?一人で。」
志水里香に瓜二つの落語家・鶴女が横から覗き込んでくる。
「高津神社の位置を確認してるんだ。」
「goglassで?」
「そうだよ」
「馬鹿じゃないの。私にもわかるようにしなさいよ。」

吉田は「馬鹿」と言われて流石に腹が立った。そこで「やっぱり僕はマゾヒズムには目覚めていなかったんだな。女性と二人きりで喋っている状況に慣れてなくて、それが楽しいんだな」と認識した。

吉田はgoglassを境内の掲示パネルと同期させて、地図を写した。
「ここが、若旦那とかが住んでる船場でしょ。そこから南東に歩いて20分もかからないかな。それくらいの位置に高津神社はあるんだよ。」
「なるほど。あなたも、たまには役立つじゃない。」
鶴女は落語のことには興味津々のようである。

「けど大阪城ってすごく中途半端な位置にあるのね。東の外れっていうか。大阪は南北の「筋」がメインストリートで、東西の「通り」はサブストリートでしょ?なんで、こんな位置に大阪城があるのかしら?」
「ああ、それだったら簡単だよ。昔は東西の「通り」がメインストリートだったからだよ。そもそも大坂って大坂城の城下町として、湿地帯を埋め立てて秀吉が作った街だから。」
「何言ってるのよ。さっき永遠の都「高津」って言ってたじゃない。大化の改新以前からあるんでしょ。」
「それは、この坂道より上の部分、谷町筋より東のこと。このあたりは大昔は海だったんだ。秀吉の頃には湿地帯になってて、それを埋め立てて作ったんだよ。だから大坂城は西向きで、その城下町である大坂は東が上の地図が使われてたりしたんだよ。」
「御堂筋は南北じゃないの?大阪のメインストリートでしょ?」
「御堂筋はもともと細ぉい道だったんだ。メインストリートになったのは、大正以降だよ。拡張工事のときは大阪の真ん中に飛行場を作る気かって大反対だったんだ。明治以前は、通りの方が太くて、筋の方が細かったんだよ。」
「説明が長くて全く頭に入ってこないわ。もっと簡潔に説明できないの?馬鹿ね。」
鶴女はため息をつく。
「君が説明しろって言ったんじゃないか。馬鹿って言う方が馬鹿なんだよ!」

と少し声を荒げてしまった。
すぐにしまったと反省し、謝ろうと鶴女の方を見る。

志水里香に瓜二つの鶴女は、赤い顔で俯いている。
怒って赤くなっているわけではない。紅潮している。

「私に馬鹿って言う人がいるなんて。。。」

吉田は一人の女性の何かを目覚めさせてしまった。
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