第22話 令和三十年 四月五日(日) 東京

文字数 869文字

千代田線の新御茶ノ水駅から五分ほど歩く。

昭和の末期に建てられたビルの一階を改装してできた会場は、10年前から1日〜10日の昼席に寄席興行をしており、あとは貸席として利用される。
座席数は80で、バブル経済期に建てられた匂いの残り「昭和かっこいい」建築特集でも取り上げられた。
三玉斎は、15時15分の上がりで合ったが、初めての出演で方々ご挨拶したいということと、14時10分に上がる「お説法 慈水」が気になり、14時に会場入りを果たした。

楽屋口から入ると前座が靴を揃えてくれる。
70代と思しき師匠がいたので、三玉斎は「まずこの師匠から挨拶せねば」と進み出て膝をつき挨拶をする。この70代の師匠が「あぁ、上方の。よろしくお願いしますね」と明るく受け入れてくれたので、三玉斎はホッとする。

二ツ目と思き青年が、三玉斎へ近づいてくる。
「ご挨拶よろしいでしょうか?」と丁寧に述べる。「流石、東京の二ツ目さんは丁寧だな」という感想を持ち、三玉斎も居住まいを整える。

「説法の慈水と申します。よろしくお願いします。上方の三玉斎師匠でいらっしゃいますね。ご高名はかねがね。」

まさか、この寄席芸人然とした青年が、胡散臭いカルトまがいだろうと思っていた令和仏教のお坊さんとは思わず、狼狽する。

「慈水先生ですか?思っていたより、お若いんですね。三玉斎と申します。」

寄席の色物の芸人の呼称「先生」などとつけないでおこうと決めていた三玉斎だったが、つい慈円の佇まいに飲まれてしまった。

14時10分となり、慈水が「お先に勉強させていただきます」と言ってから、高座へ上がる。衣装は、青の紋付に仙台平の袴で、落語家と同様座布団の上へ座る。
慈水の出番は20分与えられており、そのあとは中入り休憩となる重要な位置である。

三玉斎が舞台袖の格子から、客席を覗く。
慈水が上がると同時に、客席の照明が一段、明るくなったような錯覚を覚える。
高座に上がる慈水の姿はいわゆる「華」があり、座布団に座る頃にはもうすでに客席の空気は一つの塊となり、慈水が言葉を発するのを、今か今かと待ちわびていた。
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