第32話 令和三十年九月二十七日(日)東京②

文字数 1,084文字

19時開演の「曽呂利新左衛門・慈水 二人会」の番組は、前座が15分ほど高座を務めたあと、慈水の長講で中入り、10分尺のマジックがあり、曽呂利新左衛門の長講となっている。

慈水は寄席だけでなく、一般社会でも広く知られ始めた。
グラビアを中心とした週刊誌でコーナーを持ち、先日公開された人気アニメの映画版でのナレーションを務めた。
令和仏教を毛嫌いする人々も多数いるので、令和仏教という名前は前面に出さず「説法師 慈水」という肩書きで紹介されることも多くなった。

また、令和仏教の教祖は「慈水さんについて」というタイトルのVR中で

「最近、寄席界隈で世間を賑わしている慈水さんは、令和仏教の僧侶ですが、説法を演芸にまで昇華させて素晴らしい方だと思います。我々は、新宗教であるが故に世間の皆様に受け入れられない部分もたくさんあります。それでも社会で苦しむ全ての人々を救いたいという思いでやっております。慈水さんが活動することで、救いを得たという方々や、これから救いを得られる方々も多いと思います。その救いの道に対して、我々教団が足を引っ張ってしまうといけません。慈水さんのファンの方々に、令和仏教に入信していただこうとも思っておりません。また、慈水さんのフィーバーが落ち着くまでは、令和仏教の集まりで慈水さんに特別に説法をしてもらおうとも思っておりません。ただ、多くの人々に救いの道を感じていただきたい。それだけが私の思いであります。」

と語っている。
この徳の高そうな様子に教祖の様子に興味を持った若い世代が、令和仏教の集会に顔を見せることも増えている。

玉露亭の客席は、大入り満員である。
勢いのある若手が横綱を破る瞬間をこの目で見届けられるかもしれない期待を持つ者、なんだか分からなけど流行に遅れまいとチケット争奪戦に参加した者、長講一席ずつの二人会という趣向に痺れた者。様々である。
令和仏教の教祖が、慈水の高座の客席にいることはない。自分がいることで、妙なレッテル貼りをされることを避けており、教祖の行動から、他の僧侶も見かけない。

三玉斎には、この教祖の行動が一代で令和仏教という巨大組織を作り上げた教祖という名の経営者としての判断なのか、ただ単なる応援したい気持ちなのか、どちらなのか分からない。
ただ、慈水という一人の演芸人が、曽呂利新左衛門に対してどう挑むのか、また曽呂利新左衛門という現役チャンピオンは慈水に対してどう戦うのか、その様子を見届けに楽屋にやって来ている。
自分も「先輩達の顔色を伺ってばかりいなければ、一度くらい挑戦権を得られたのかもしれないな」と少し後悔している。
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