第10話 令和三十年七月二十一日 大阪。②

文字数 1,256文字

「初代桂文枝四天王の桂文之助は曽呂利新左衛門になるんですか?ニセ曽呂利ってどういうことですか?」
紗の着物でスタスタと歩く三代目曽呂利新左衛門の後ろを、大きなキャリーバッグを持って、半袖姿の吉田が何処に向かっているとも知らせれず、ついていく。カンカン照りの日光にリュックサックとポロシャツに汗が染み込むのがわかる。それとは対象的に曽呂利新左衛門は清しそうにしている。
「二世曽呂利新左衛門でニセ曽呂利や。初代の曽呂利新左衛門っちゅうのは、米澤彦八と並んで、上方落語の祖とされる人や。それにあやかって洒落で、つけはったんやろな。」
「上方落語落語の祖は初代桂文治ではないのですか?」
「桂文治??なにいうてるねん。文治いうたら江戸落語の名前やろ。今でもいてはるがな。何代目になるんやったかな?なんでそれが、上方落語の祖になるねん。」
「大阪の坐摩神社で常打の小屋を作ってやり始めたのが、初代の桂文治だという資料がありました。」
「ふ〜ん。ほな初代は大阪やったんやろなぁ。いやホンマさっきも言うたけど俺ら資料、速記本読むことあっても、歴史を読み解くとしたことないから。太平洋戦争以前の落語の歴史って知らんのよな。なんとなく先輩方が、こない言うてた〜くらいしか知らんくて。皆、落語の内容に興味はあっても、落語の歴史にあんまり興味ないからなぁ。安楽庵策伝・米澤彦八・曽呂利新左衛門、この人らが落語の祖って先輩らが学校寄席で言うてたから、俺らもそない覚えたけど、実際なにした人か知らへんもん。」
「では、その初代の曽呂利新左衛門師匠のこともですか?」
「流石にこの人のことは襲名するときに、学者の先生に色々書いてもろたから、知ってるけど。そやけど結論言うと、こんな人おったかどうかわからん。」
「はい?」
「おらんかったかも知らんねん。初代の曽呂利新左衛門。生誕の地もお墓もあるけど。」
「生誕の地もお墓もあるのに、いなかったんですか?」
「あとあと、昭和になってから、堺の人らが作らはったんやな。聖徳太子みたいなもんや。」
「聖徳太子??」
「聖徳太子知らんのか?四天王寺建てた人やがな。」
「厩戸豊聡耳皇子命のことですか??」
「あぁそうそう、厩戸皇子。あの人みたいなもんや。モデルはおったけど、そんな超人いてへんやろいうやつや。太閤秀吉さんのお伽衆の一人やいう話やけど、まぁ江戸時代に作られた大阪の民話やわな、とんち話の。吉四六さんみたいなもんや。実際おったとしても、これが落語家の祖や言われても、あんまり腑におちんわな。ただのおもろいおっさんや。米澤彦八かてそう。大名のモノマネするオモロいおっさんや。安楽庵策伝なんか、おもろい坊さんや。」
「その方々と今の落語家への連続性はどうなってるんですか?」
「知らんねん。ホンマに知らんねん。その次ポーンと飛んで、色々あって滅びかけた上方落語を戦後上方落語四天王が復活し、ってなるから。ほれ、大阪の歴史って飛びがちやろ。仁徳天皇・聖徳太子の次は太閤秀吉や。そのあいだ800年なにがあったか全然わからへん。」
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