第12話 令和三十年七月二十一日 大阪。④

文字数 1,682文字

浴衣の若者二人は自分たちを「楽屋番」なのだと言った。
朝、楽屋と舞台を掃除し、昼席・夜席ともに先輩方の着物を畳んだり、太鼓を打ったりするのが業務だそうだ。

「新左衛門師匠は芸も人気も協会ではピカ一やからな。あの時、新左衛門師匠が協会抜けてたら、追随する噺家も多かったやろし、もう協会ガタガタなってたんちゃう?文団治師匠とめちゃめちゃ仲良かったし。」
「文団治師匠?」
「そう。文団治師匠は、夜席を通常興行に変更する一件で最後まで協会の会長と揉めてはった。結局多数決で会長の意見通ったから、文団治師匠は協会辞めて、新しく上方落語連盟いうのん作らはったんや。文団治師匠は「連盟派」の会長やねん。そもそも「協会派」の会長と文団治師匠は、襲名のいざこざで揉めてはるから、長年溜まったもんが爆発したんちゃうかいう話や。新左衛門師匠と文団治師匠はめちゃめちゃ仲良かったから、ひょっとしたら、新左衛門師匠も協会抜けはるんちゃうかて噂されてたけど、残りはった。」

昼の1時半となり、一方が、開場のきっかけの太鼓「一番太鼓」を打つ。
楽屋番の二人が楽屋にいる際、曽呂利新左衛門が「どっちが先輩やったけ??二好くんの方が先輩?開口一番であがったらええわ。なにする?」
「はい。私の方が半年ですが、入門が早いです。「子ほめ」でよろしいですか?」
「ええやん。15分くらい??枕ふってや。羽織も持ってきてたら着ていいし。20分に収めてくれたら。」
楽屋番二人で「二番太鼓」を打つ。拍子木をチョンと曽呂利新左衛門が入れる。
三味線は専属の三味線奏者が奏で、太鼓は落語家が打つ。銅鑼や鉦の入った賑やかな出囃子で、当り鉦は曽呂利新左衛門がリズミカルに打っている。
「君も拍子木くらい打ちや。リズムに合わせてチョンチョン打つくらいできるやろ。」と吉田に促す。吉田は突然のことに「まだ弟子にもなっていない見習いの自分が出囃子演奏に入る事で迷惑をかけてしまわないか」という思いが、まずよぎったが、師匠や先輩達はそれが当然といった風である。
明るいリズミカルな出囃子に乗って、楽屋番の二好が開口一番として舞台に出ていく。その後ろ姿を拍子木を打ちながら見送る。
「太鼓も覚えや。今のまま楽屋おっても役たてへんで。まぁ、弟子にとるかどうか知らんけど。」曽呂利新左衛門が楽屋に戻り吉田に向かって言う。
着替え始めたので、着付けを手伝う。
「二好くんが舞台から、降りてきはったら着物たたましてもらい。先、手ぇ洗えよ。ほんで、着物畳めたら、舞台袖で落語聞いてたらええわ。」

曽呂利新左衛門は中入りを挟み、合計三席かけた。
一席目は、酔っ払いが店主に迷惑をかける噺。二席目は、子供の塾の宿題に困る父親の噺。中入り後の三席目は、どうしようもない若旦那の噺だ。
吉田にとっては、どれも聞いたことのない噺だった。

終演後、曽呂利新左衛門がポチ袋を楽屋番に渡す。
「なんぼも入ってへんけど。」
二人は正座し、ポチ袋をいただきながら「ありがとうございます」と低頭する。

「二人とも、夜も残らなアカンわな〜?ついてきて欲しいとこあんねんけど。」曽呂利新左衛門が楽屋番二人に訊ねる。
「そうですね。一応、二人とも夜も楽屋番の予定ですが、新左衛門師匠のお誘いでしたら、楽屋番誰かに変わってもらいます。」二好が答える。
「それってルール的にオッケーなん?総会で問題なれへん?会長怒らへんか?」
「大丈夫やと思います。一人だけでしたら、変わってもらう人見つけられれば、オールライトのはずです。」
「ほな、悪いんやけど、二好、ついてきてくれる?」
「はい。もちろん喜んで行かせていただきます。」
「喜んで、行けるかどうか分からへんで。」曽呂利新左衛門が苦笑する。
「どちらですか?」
「桃山台や」
「も、桃山台ですか?」今から、わざわざ桃山台へ?二好は理由が見当もつかない。
曽呂利新左衛門はその様子を悪戯っぽく眺めている。

「文団治兄さんの家、行くからついてきて欲しいねん。」

二好の顔が固まる。連盟派会長の家へ?新左衛門師匠が?なぜ?

「夕飯誘われてんねん。俺一人で行ったら変な感じなるやろ?頼むわ。」
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