第36話 令和三十年九月二十七日(日)東京⑥

文字数 1,269文字

曽呂利新左衛門が座布団に座る。
見台の上の小拍子を左手でチョン、と打って出囃子が止まる。

観客はフラットな状態だ。横綱、曽呂利新左衛門に対して期待しすぎる訳でもなく、かといって頭から聞かない訳でもない。
中入りのこれ以上何も受けつけない満腹状態から10分の間にライオネル小林がよくぞここまでの仕事をしたなと三玉斎は感じた。
もし、この寄席で鍛えられた色物の大家がいなければ、曽呂利新左衛門は勝負にもなっていないだろう。それほどまでに空気を変えてくれた。

「ライオネル小林先生いてくれて良かったわ。」

曽呂利新左衛門は第一声、ぽつりと言った。
客席もドッと湧く。同意の笑いである。観客もライオネル小林が、次の演芸を聞ける環境に整えてくれたことは嫌というほど感じている。

そこで、グッと観客と演者との距離が近づく。

三玉斎は感激した。前の演者のことに触れるなど、曽呂利新左衛門の美学からすると考えられない。いわば目潰しのような技だ。そこまで、慈水の説法は曽呂利新左衛門を追いつめている。また、道場の戦いではない命のやりとりだと曽呂利新左衛門が認識している覚悟に感激した。綺麗事は言ってられない、戦なのだと。

曽呂利新左衛門は目潰しを使ってでも第一声で掴みたかった手綱を自在に操るように枕を振り、本ネタに入る。
今日は「立ち切れ線香」をやると言っていた。

どうしようもない若旦那と親旦那との会話から始まる。
若旦那、奥さんが病気で実家に戻っているが、一向に見舞いにいく気配がない。
それを親旦那が咎める。若旦那は「見舞いは嫌いだ」と答える。それでは済まないだろうという親旦那に対して「蛙の子は蛙」と神経を逆撫でにするような言い訳を唱え、親旦那はカンカンになってしまう。

冒頭のやりとりは笑いは少ないが、着実に客席に情景が浸透している。
舞台袖の三玉斎の脳裏にも、様子が映し出され、真剣に聞いている。

「すみません。三玉斎師匠。」

鳴り物担当の前座が聞いてくる。三玉斎は現実に引き戻された苛立ちがあったが、それを抑えて「なんやろか?」と答える。
「これ、なんていうネタですか?」馬鹿なことを聞く。「立ち切れ線香」と言っていたではないか?
「立ち切れ線香ちゃうの?言うてはったんちゃう?」ついぶっきらぼうに言ってしまった。
「こんな型あるんですか?若旦那に奥さんいてるんですか?」
三玉斎はハッとする。「立ち切れ線香」ならば、どうしようもない若旦那には違いないが、花街でありながらウブな女性に惚れる噺で、奥さんはいない。
曽呂利新左衛門は一体なんの噺をしているのか。
曽呂利新左衛門は「見台ありで」と言った。「立ち切れ線香」ならば、位牌の仕草があるため、見台は使わないことが多い。
慈水の説法を聞いて、曽呂利新左衛門は心づもりの演目を変えたのだ。では一体今何をしているのか?
鳴り物担当の前座はより不安そうな顔で「すみません。上方のネタに詳しくなく、もしハメモノがあれば、どうしようもありません。ネタが分かればなんとか調べますので、お教え願えませんでしょうか?」申し訳なさそうな顔で三玉斎を見つめた。
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